2021年11月28日
日本人の由来
溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』読む。
本書は、
なぜ日本人の姿形が、ヨーロッパ人と異なっているのか、
という問いから始まる。
「もしも、私たちホモ・サピエンスが、誕生した時のままの姿であったとすれば、私たちの外見はアフリカ人であるはずです。なぜならば、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは、化石的な証拠からもほぼ確実だからです。ところが私たちの姿形は、アフリカ人とは異なっています。ヨーロッパ人もまた然りです。
アフリカで長い時間をかけて猿人から進化し、ホモ・サピエンスになった人類は、アフリカから世界各地へただ移住しただけではなく、その土地土地の環境に適応していきました。」
その結果として、日本人は日本人に、ヨーロッパ人はヨーロッパ人になったとすると、
「日本人は、いったいどのようにして日本人になったのでしょうか? 私たちはなぜ、このような姿形をしているのでしょうか? 現代の人類と化石人類の姿形の特徴から、日本人のルーツを探り、その謎を解き明かそう」
と試み、アフリカで誕生した人類が日本人になるまでの700万年を辿っていく。
いわゆる原人に当たる、
ホモ・エレクトス、
が最初に発見されたのは、アフリカから2000キロ離れたグルジアのドマニシで、
約180~70万年前、
とされる。早くも、原人の段階から出アフリカがあったのではないか、とされ始めているが、いわゆる、
出アフリカ、
は、約15~6万年前誕生した、
ホモ・サピエンス、
が、10万年前には中東に達していた、とされるものである。
「各地に住む現代人のDNA比較したところ、ヨーロッパ人も、中国人も日本人も、アメリカやオーストラリアの先住民も、すべてアフリカのホモ・サピエンス起源であるらしいことがわかってきたのです。(中略)ネアンデルタール人よりも新しいと考えられていたホモ・サピエンスの化石の一部が実はネアンデルタール人よりも古いことが判明した」
とあり、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人とは、
60万年以上前に分岐した別の種、
とされてきた。しかし、今日、
「ほとんどの現代人のDNAの中には、ネアンデルタール人由来のDNAが1~4%含まれている」
ことがわかって来ている。このことは、ネアンデルタール人由来の遺伝子が、コロナ重症化にかかわるなどということが話題になったばかりである(https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/35499)。その意味で、ネアンデルタール人は、絶滅したのではなく、
「交配することでしだいにホモ・サピエンス集団に吸収されていった」
という見方も最近なされている。
さて、出アフリカしたホモ・サピエンスは、
「中東またはアラビア半島の南端からインド、インドシナ半島へと海岸線を移動し、ユーラシアの南東部にたどり着いたところで、日本人の祖先のように北へ進む人々と、南へ進む人々に分かれた」
と考えられている。
「南下した一派は、遅くとも4万年前までにはボルネオ島北中部(現在のマレーシアのサラワク州)に、3万年前までにはオーストラリア南東部に到達した」
とされ、ユーラシアの東側を北上したホモ・サピエンスは、
「遅くとも3万5000年前頃までには中国の北京周辺に、2万年前頃までにはシベリアのバイカル湖南辺に到達していた」
とみられている。この辺りで見つかった2万年前の化石には、北アジア人の特徴がみられる。一般に、
寒冷地ほど、鼻が細く長くなることで、鼻腔内を通る冷たく乾いた空気を温め、湿り気を与える、
ようになるが、北アジア人の場合、
「鼻の隆起が低く、頬骨が突出していて副鼻腔が大きい……。そのため顔は平坦で、極端に言えば鼻が顔の真ん中に埋もれているようにさえ見えますが、鼻先が凍傷になりやすいことを思えば、これは非常に合理的な形態です。」
更に、日本人を含めた東アジア人、北アジア人のみが、
瞼が一重、
なのは、
「瞼に脂肪がついているからで、眼球が凍ってしまうのを防ぐため」
とされる。
さて、日本最古の化石は、沖縄で見つかったとされる、約4万年前のものになる。
「琉球諸島は約20万年前から1万8000年前までの間のかなりの間、台湾を含む細長い陸橋で大陸と地続きになっていたらしいので、東南アジア、あるいは中国南部にいた人々がその陸橋を通って北上してきた」
可能性がある。ただ、この沖縄の化石と、1万6000年くらいから始まる縄文人とはつながらないようである。そして、沖縄本島で見つかった、2万3000~1万8000年前の、
港川人、
と呼ばれる化石は、
「額が狭く、頬骨が横に張り出し、鼻の根元が窪んで、幅広の彫の深い顔立ち」
とされ、
縄文人、
に似ており、「縄文人」は、
「それ以前に日本列島にやってきた旧石器時代人の子孫が主体をなしていた」
と目される。その縄文人に最も似ていたのは、
オーストラリア南東部で見つかった化石、
とされるのは、ユーラシアの端で南と北へ分かれたホモ・サピエンスの一部が、確かに、日本列島にまで到達したという証のようである。
弥生時代は、紀元前1000年頃、
から始まるが、縄文人が、
眉間が出っ張り、鼻の付根が窪んだ、彫の深い顔、
に対して、弥生人は、
彫が浅く顔面が平坦、
という寒冷地適応の顔立ちであることがわかっている。その起源は、
バイカル湖、
とされる。
「縄文時代、日本には縄文人が広く分布していましたが、ユーラシアでは、バイカル湖からアルタイ山脈あたりにいた北方アジア系の遊牧民が、中央アジアや北東アジアへ拡散し始めました。そして弥生時代頃になると、彼らの子孫たちが中国北東部や朝鮮半島でも暮らすようになり、その中の一部の人々が西日本に渡来してきた」
とみられる。だから、弥生人が、寒冷地適応の特徴をもっているのも当然ということになる。
今現在、
日本人の成り立ち、
は、
南方起源の縄文人に、北方起源の弥生人、
が、
置換に近い混血、
によるとする説が大勢、という。これも、まあ、今日の常識の線だろう。
人類発祥から弥生人まで、
急ぎ足で、辿り直してみて、今日の我々の常識となっている概念と、それほどの齟齬はないようである。
参考文献;
溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(SB新書Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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