なま


生兵法、

と使う、接頭語の「なま」は、

これも今は昔、有る人のもとに、なま女房のありけるが(宇治拾遺物語)、

と、

新参の女房、

の意で使ったり(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)、

今はむかし、人のもとに宮づかへしてあるなま侍ありけり(仝上)、

と、

若侍の、

意で使ったりと、

未熟、不完全、いい加減、の意、それらの状態に対して好感をもたない場合に使うことが多い、

とある(岩波古語辞典)。

生兵法、
なま道心、
なま聞き、

という使い方は、その意である。今日、

生放送、

と使うのは、名詞「なま」の、

生野菜、

というときの、

動植物を採取したままで、煮たり、焼いたり、乾かしたりしないもの、

つまり、そのままの状態の意から来ていると思われる。これは、

生の声、

というように、

材料に手を加えない、

意や、

今は昔、京に極めて身貧しき生者(なまもの)ありけり(今昔物語)、

と、

一人前でない、未熟、

の意でも使い、その延長で、

くちばしも翼もなくて、なまの天狗なるべし(御伽物語)、

と、

中途半端、不完全、

の意でも使うが、この反映か、接頭語「なま」も、

何やらんなま白き物うちかつぎて(おようの尼)、
なま心やましきままに(源氏物語)、

などと、

度合いが不十分な意から、

中途半端に、なんとなく、わずかながら、

の意へ転じている。「なまじっか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441764979.htmlの「なまじひ(い)」も、

ナマは中途半端の意。シヒは気持ちの進みや事の進行、物事の道理に逆らう力を加える意。近世の初期まで、ナマジヒ・ナマシヒの両形あった。近世ではナマジとも、

とある(岩波古語辞典)し、

なまなか(生半)、

も、

中途半端、

の意になる。

なまめく、

は、

生めく、
艷めく、

と当てるが、この場合は、

ナマは未熟・不十分の意。あらわに表現されず、ほのかで不十分な状態・行動であるように見えるが、実は十分に心用意があり、成熟しているさまが感じとられる意。男女の気持のやり取りや、物の美しさなどにいう。従って、花やかさ、けばけばしさなどとは反対の概念。漢文訓読系の文章では、「婀娜」「艷」「窈窕」「嬋娟」などをナマメク・ナマメイタと訓み、仮名文学系での用法と多少ずれて、しなやか、あでやかな美の意。中世以降ナマメクは、主として漢文訓読系の意味の流れを受けている、

とあり(岩波古語辞典)、「なまめく」は、本来は、ちょっと「奥ゆかしい」ほのかに見える含意である。

「生」 漢字.gif

(「生」 https://kakijun.jp/page/0589200.htmlより)

接頭語「なま」を、厳密に、頭につく品詞によって、

なま心苦し、
なまやさしい、
なまわろし、
なま若い、
なまあたたか、

などと、

動詞、形容詞、形容動詞などの用言の上に付くと、

すこしばかり、中途はんぱに、

の意、

なま女房、
なま受領、
なま学生、

などと、

人を表わす名詞の上に付けて、その人物が形の上ではその名詞の表わす地位とか身分を備えていても、実体はそれに及ばない未熟な状態であることを示す。後世には、他人を軽蔑するような意味の名詞に付けて、その気持を強めるような用い方もし、

なま煮え、
なま焼き、
なま聞き、
なまかじり、

と、

動詞の連用形の変化した名詞の上に付けて、その名詞の表わす動作が中途はんぱである、

意と、整理するものがある(精選版日本国語大辞典)。確かに分かりやすいが、これだと、結果であって、プロセスの意味の変化が見えなくなる気がする。

なま侍、

を、

生侍、

ではなく、

青侍(なまさむらい)有りて道を行くに(宿直草)、

と、「青」を当てる場合がある。もちろん、同じ意で、

妻も子もなくてただ一人ある青侍(あおざむらい)ありけり(宇治拾遺物語)、

とも使う。いずれも、

若侍、

の意だが、

未熟、

の含意がある。「あを(お)」は、

青梅、
青びょうたん、

など、

木の実などが、十分に熟していないこと、

を表わすが、そのメタファで、

青二才、
青臭い、
靑女房(あおにょうぼう)、

と、

若い、
未熟、

の意を表す(広辞苑)。なお、「あを」http://ppnetwork.seesaa.net/article/429309638.htmlについては触れた。

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、

会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、

とある(漢字源)。ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

土の上に生え出た草木に象る、

とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、

屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fため、

象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、

と別れるが、

象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji33.html

とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。

「生」 甲骨文字・殷.png

(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)

「青(靑)」(漢音セイ、呉音ショウ)は、

会意。「生(あおい草の芽生え)+丼(井戸の中に清水のたまったさま)」で、生(セイ)・丼(セイ)のどちらかを音符と考えてもよい。あお草や清水のようなすみきったあお色、

とある(漢字源)。

「青」 漢字.gif


ただ、
会意。「生」+「丼」(井戸水)で音もいずれのものとも同じ(藤堂)。又は、「生」+「丹」(顔料のたまった井戸。cf.青丹(あおに)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%92

会意形声。丹(井の中からとる染料)と、生(セイ)(は変わった形。草が生えるさま)とから成り、草色をした染料、「あお」「あおい」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字。「草・木が地上に生じてきた」象形(「青い草が生える」の意味)と「井げた中の染料(着色料)」の象形(「井げたの中の染料」の意味)から、青い草色の染料を意味し、「あおい」を意味する「青」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji137.html

などと、「染料」を特記する説が多い。

「青」 金文・西周.png

(「青」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%92より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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