「八入(やしほ)」は、
吾妹子が形見(かたみ)がてらと紅の八塩(やしほ)に染めておこせたる衣の裾もとほりて濡れぬ(万葉集)、
と、
八塩、
とも当てるようだ(精選版日本国語大辞典)。
何回も染汁に浸してよく染めること、
濃くよく染まること、
また、
そのもの、
の意で、
やしほぞめ、
とも言う(広辞苑・仝上)。
「や」は多数の意、「しお」は染色のとき染汁につける回数を表わす接尾語、
とある(仝上)。
「八つ当たり」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455872576.html)、
「真っ赤な嘘」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455851358.html?1514491886)、
などで触れたように、「や(八)」は、
ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、
とあり(岩波古語辞典)、「八」という数の意の他に、
無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」)、
で、
もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、
とする(仝上)が、
此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、
と(大言海)、「彌」説への反対説はある。しかし、
副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、
としている(日本語源大辞典)ので、
ひとつ→ふたつ、
みつ→むつ、
よつ→やつ、
と、倍数と見るなら、語源を、
ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、
とするのには意味がなくなるのではないか。また、「七」との関係では、
古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、「夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を」(古事記)の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、
とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。「八入」には、そう見ると、ただ、多数回という以上の含意が込められているのかもしれない。
正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、
とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。
また、「しほ(入)」は、
一入再入(ひとしおふたしお)の紅よりもなほ深し(太平記)、
と使うが、その語源は、
潮合の意にて、染むる浅深の程合いに寄せて云ふ語かと云ふ、或は、しほる意にて、酒を造り、色に染むる汁の義かと云ふ、
としかない(大言海)。
潮合ひ、
とは、
潮水の差し引きの程、
つまり、
潮時、
の意である。染の「程合い」から来たというのは、真偽は別に、面白い気がする。ただ、
八潮をり(折)、
と、
幾度も繰り返して醸造した強烈な酒、
の意でも使われるので、それが「八入」の染からきたのかの、先後は判別がつかない。さらに、
八鹽折之紐小刀(古事記)、
と、
幾度も繰り返して、練り鍛ふ、
意でも使う(大言海)のは、メタファとして使われているとみていいのかもしれないが。
さて、「八入」は、染の回数の意から、やがて、
竹敷のうへかた山は紅(くれなゐ)の八入の色になりにけるかも(万葉集)、
と、
色が濃いこと、
程度が深く、濃厚であること、
また、その濃い色や深い程度、
の意でも使われ、さらに、
露霜染めし紅の八入の岡の下紅葉(太平記)、
と、
八塩岡、
と、紅葉の名所の意として使われ、「八入」は、
紅の八しほの岡の紅葉をばいかに染めよとなほしぐるらん(新勅撰和歌集)、
と、
紅葉、
の代名詞ともなり、さらに「八入」は、
見わたしの岡のやしほは散りすぎて長谷山にあらし吹くなり(新六帖)、
と、
紅葉の品種、
の名となり、
春の若葉、甚だ紅なれば名とし、多く庭際に植えて賞す。夏は葉青く変ず、樹大ならず、
とある(大言海)。
(「八」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%ABより)
「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、
指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、
指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji130.html)、
などと説明される。
「入」(慣用ジュ、漢音ジュウ、呉音ニュウ)は、
指事。↑型に中へ突き進んでいくことを示す。また、入口を描いた象形と考えてもよい。内の字に音符として含まれる、
とある(漢字源)。ために、
象形。家の入り口の形にかたどり、「いる」「いれる」意を表す(角川新字源)、
象形。「入り口」の象形から「はいる」を意味する「入」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji177.html)、
と、象形説もある。
(「入」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%A5より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95