2021年12月28日
藪に眴(めくは)す
「藪に眴(めくは)す」は、
佐渡判官入道道誉、これを聞きて、すはや、悪(にく)しと思ひつる相模守(細川清氏)が過失は、一つ出で来にけるとは、と独り咲(え)みして、藪に眴(めくは)し居たる処に(太平記)、
とあり、
蔭でめくばせする、事が秘密であることを示す、
と、注記される(兵藤裕己校注『太平記』)が、
藪の方に向かってめくばせする、
意味で、
よそ見をする、
意とも、
薮にらみ、
の意とも、また、
事が秘密であることを示す動作、
の意ともある(故事ことわざの辞典)。和訓栞には、
やぶにめくばせ、……よそ見して居る体なり、
とある(仝上)ので、本来は、
よそ見、
の意なのかもしれない。「やぶにらみ」は、
藪睨み、
と当て、文字通り、
斜視、
の意から、それをメタファに、
見当違いな見方、
の意で使う。その意味で、
よそ見、
とは重なるが、
事が秘密であることを示す動作、
とはつながらない。ここからは憶説だが、
藪に目、
という諺がある。
壁に耳、
と同義で、
秘密などの漏れやすい喩え、
として使う。その意味で、
秘密の目くばせ、
の意につながったのではないか、という気がする。
眴(めくは)す、
は、
目食はすの意(岩波古語辞典)、
目と目を食ひ合はする意と云ふ(大言海)、
目交わすの転か(大言海)、
メは目の意。クハセは交す意(類聚名物考・俗語考・言元梯)、
と、
目を食ふ、
か、
目を交はす、
と、
目の合図、
目を合わせる、
といった意であるが、
中古には、目で合図することを「めをくはす」「めくはす」と言った。「め」は目、「くはす」は、「食はす」で、目を合わせる意を表す、
とある(日本語源大辞典)。
「めをくはせる」は中世には用いられなくなり、「めくはす」「めくはせ」の形のみが残った、
とあり(仝上)、
中世末(室町時代)には第二音節が濁音化した「めぐはせ」も使われ、近世前期には第三音節を濁音化する「めくばせ」があらわれた、
とある(仝上・岩波古語辞典)。色葉字類抄(1177~81)、
眴、メクハス、
とあり、類聚名義抄(11~12世紀)には、
眴旬、マシロク、メクハス、又、同瞬、
とあり、また、
室町中期~後期の『宗祇袖下(そうぎそでした)』には、
めくはせとは、目にて心を通はす事、
とあるが、同じ室町期の『和漢通用集』には、
眴、めぐわせ、
とある(岩波古語辞典)。同じ近世でも、
このあぶれ者等も、大蔵なるべしとて、目くはせたるを見て(「春雨物語(1808)」)、
もあり、
喜之介はふすまのかげ今や出でん今や出でんと、たがひにめくばせきをかよはし(「浄瑠璃・嫗山姥(1712頃)」)、
もある。併用されていたと思われるが、明治以降、
「もう此儘出掛けよう、夜が明けても困る」と、西宮は小万に眴(メクバ)せして(広津柳浪「今戸心中(1896)」)、
と、
めくばせ、
になる。なお、
互いに目を交わす、
というところから「めくばせ」とほぼ同意の、
めまじ(目交)、
めまぜ(目交)、
も用いられていたが、現在では「めくばせ」が一般的である(精選版日本国語大辞典)、とある。
「眴」(ケン・シュン、ジュン)は、
目が動く、
意だが、そこから、
項梁眴籍曰、可行乎(史記)、
と、
めくばせする、
意と、
目がくらむ、
またたく、
意とに広がったようである(字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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