「深見草」(ふかみぐさ)は、
ぼたん(牡丹)の異名、
とされ、
たそかれ時の夕顔の花、観るに思ひの深見草、色々様々の花どもを(太平記)、
鉄炮取り直し、真正中(まっただなか)を撃つに、右の手に是を取り、深見草の唇に爾乎(にこ)と笑めるありさま、なを凄くぞ有りける(宿直草)、
等々と使われる。確かに、和名類聚抄(平安中期)に、
牡丹、布加美久佐、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、
などとある。しかし、箋注和名抄(江戸後期)は、
この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、
とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、
植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、
でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、
諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、
と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177~81)は、
牡丹、ボタン、
とある。しかし、
牡丹、
より、
深見草、
の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、
人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、
きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、
などと、
「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、
とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。
「ヤブコウジ」は、
藪柑子、
と当て、
アカダマノキ、
ヤブタチバナ、
ヤマタチバナ、
シシクハズ、
深見草、
と呼ばれ、漢名は、
紫金牛、
とある(広辞苑)。別名、
十両、
で、
万両(マンリョウ)、
百両(ヒャクリョウ)、
とともに、サクラソウ科の常緑低木である(千両(センリョウ)はセンリョウ科)。
「牡丹」は、別名、
山橘、
富貴草、
富貴花、
百花王、
花王、
花神、
花中の王、
百花の王、
天香国色、
名取草、
深見草、
二十日草(廿日草)、
忘れ草、
鎧草、
木芍薬、
ぼうたん、
ぼうたんぐさ、
等々、様々に呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9・広辞苑)。
「牡丹」の項で、大言海は、まず、
本草に云へるは、古名、ヤマタチバナ、フカミグサ。即ち今のヤブコウジ。関西にヤブタチバナ、この草、深く林叢中に生じ、葉、実、冬を凌ぐ。故に深見草、山橘の名あり。…木芍薬(牡丹の意)を深見草と云ふは誤れり、
と記し、それと項を改めて、別に、
高さ二三尺、春葉を生じ、夏の初、花を開く、花の径、六七寸に至る、重辨、単辨、紅、白、紫等、形、色、種類、甚だ多し、人家に培養して、花を賞す。花中の最も艷なるものなれば、花王の称あり。……音便に延べて、ボウタン。叉、ハツカグサ。ナトリグサ。富貴草。富貴花。木芍薬、
と書く見識を示す。
箋注和名抄には、
亦名百両金、
というともある(大言海)。
露台に植ゑられたりけるぼうたんの、唐めきをかしき事など宣ふ(枕草子)、
と、
長音化、
した言い方もした(広辞苑)。
安時代に宮廷や寺院で観賞用に栽培され、菊や葵(あおい)につぐ権威ある紋章として多く使われた。江戸時代には栽培が普及し、元禄時代(1688~1704)に出版された《花壇地錦抄》には339品種が記録されている、
とある(世界大百科事典)。
牡丹、
は、漢名。
牡丹自漢以前、無有称賞、僅謝康楽集中、有竹閒水際多牡丹之語、此是花王第一知己也(五雜俎)、
とあり、
花王、
も漢名と知れる(字源)。併せ、
洛陽花、
木芍薬、
も同じとある(仝上)。「牡丹」の由来は、漢語なのだが、
ギリシャ語Botānēを、古代中国で音訳したもの(国語に於ける漢語の研究=山田孝雄)、
とする説しか載らない(日本語源大辞典)。しかし、原産地は、
中国西北部、
とされる(https://www.yuushien.com/botan-flower/)。ギリシャ語由来というのは妙である。おそらく音から訳したのには違いない。箋注和名抄に、
出漢剣南、土人謂之牡丹、
とある。「剣南」は、
唐の時代、郡をやめ州とし、その上に道、その下に県を設けた。初めは十道(河北道、河南道、関内道、隴右道、淮南道、河南道、山南道、江南道、剣南道、嶺南道)、玄宗の時代には十五道とした、
とされる「剣南道」を指すと思われる。場所は、蜀を含む四川省北西部と推測される。この記述が正しければ、現地で、「ボタン」と呼んでいたものを当て字したことになる。
(牡丹栽培は元禄時代から盛んになり、幕末期、高津西坂下の植木屋百花園松井吉助の「吉助の牡丹」は名所に数えられた https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29より)
「牡」(慣用ボ、漢音ボウ、呉音」・モ)は、
会意。牡の旁は、土に誤ってきたが、もとは士であった。士は男性の性器のたったさま。のち、男・オスを意味するようになった。牡(ボウ)は「牛+士(おす)」で、おすがめすの陰門をおかすことに着目したことば、
とある(漢字源)。
会意文字です(牜(牛)+土)む。「角のある牛」の象形と「おすの性器」の象形から「牛のおす」の意味を表し、そこから「おす」を意味する「牡」という漢字が成り立ちました、
との説明も同じ意味になる(https://okjiten.jp/kanji2583.html)。
(「牡」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2583.htmlより)
「丹」(タン)は、
会意。土中に掘った井型の枠の中から、赤い丹砂が現れるさまを示すもので、赤いものが現れ出ることを表す。旃(セン 赤い旗)の音符となる、
とある(漢字源)。
会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、
も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9)、
象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す、
も(角川新字源)、
象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました。
も(https://okjiten.jp/kanji1213.html)、解釈は同じだか、象形と見るか会意文字と見るかが異なる。
(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95