犂牛の喩へ、その理(ことわ)りしかなり。罰その罪にあり、賞その功に依るを、善政の最(さい)とする(太平記)、
とある、
「犂牛(りぎゅう)」は、
毛色のまだらな牛、
まだらうし、
の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)で、日葡辞書(1603~04)にも、
リギュウ、マダラウシ、
とある(広辞苑)。ただし、「犂牛」については、
まだら牛、
とする説以外に、
耕作用の犂を引く牛、
とする説がある(貝塚茂樹訳注『論語』)。
「犂(犁)」(漢音レイ・リ、呉音リ)の字は、
会意兼形声。「牛+音符利(リ よくきれる)」。牛にひかせ、土を切り開くすき、
とあり(漢字源)、どうやら、
牛に引かせて土を起こす農具、
つまり、
からすき、
の意であるが、そこから、
耕作に使うまだらうし、
をも指す。「犂牛」に二つの意味がある所以であるが、個人的には、こういう背景から見ると、「犂牛」は、本来、
耕作用の犂を引く牛、
の意なのではないか、という気がする。「からすき」というのは、
唐鋤、
犂、
と当て、
柄が曲がっていて刃が広く、牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる、
もので、
牛鍬(うしぐわ)、
ともいい(精選版日本国語大辞典)、
四辺形の枠組をもつこの種の長床犂は、中国から朝鮮半島を経て由来したものと考えられ、わが国古来から用いられた代表的型式の犂である、
とある(農機具の種類)。わが国に伝わったものの原形を指していることになる。
(「からすき」 精選版日本国語大辞典より)
『論語』・雍也篇に、
子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸(子、仲弓を謂いて曰く、犂牛(りぎゅう)の子も騂(あかく)く且つ角(つの)あらば、用うる勿(な)からんと欲すと雖も、山川それ諸(これ)を舎(す)てんや)、
とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。仲弓とは、孔門十哲の一人、
冉雍(ぜんよう)の字(あざな)、
である。仲弓を指して、
犂牛之子、
つまり、
田で鋤を引くまだら牛の仔、
と言ったということは、
仲弓が賤眠の出自である、
ことを象徴している(仝上)。貝塚茂樹訳注には、こうある。
天神などのいけにえにあてるためには、ふだんから政府の牧人が毛並みのいい牛を養っている。これが足りなくなると、一般の耕作につかう牛から毛並みのいい牛を選んでいけにえにする。それと同じように、徳行がすぐれ、人の上に立つ資格を備えた仲弓は、いつかはきっと世間で用いられるにちがいないことをたとえたのである、
と。ここから、
犂牛之子、
犂牛の喩え、
等々とも言われる。
「犂牛」には、
方便品、深着五欲如犂牛愛尾(「長秋詠藻(1178)」)、
と使われている(精選版日本国語大辞典)が、正確には、これは、「犂牛」ではなく、
犛牛(リギュウ)
で、
やく、
を指し、
からうし、
黒牛、
の意ともされ(字源)、「犂牛」とは別物で、
深著於五欲 如犛牛愛尾(法華経・方便品)、
と、
犂牛の麻を愛するが如し、
とも使われる。
牛が役にも立たない自分の尾をいとおしむように、人が無意味な欲望からのがれられないさま、
を言うのに使う(故事ことわざの辞典)。仏教では、
犛牛、
を、
みょうご、
と訓むとある(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:犂牛