上の施行によって、須らく箚付(さっぷ 上から下に下ろす公文書)を議(はか)るべし。者(てえ)れば一実右を起こし(太平記)、
とか、
一方欠けんにおいては、いかでかその嘆きなからんや。てへればことに合力(かふりよく)いたして(平家物語)、
などと使われる「者れば」は、
てえ(へ)れば、
と訓ませ、
「と言へれば」の約、
とあり(広辞苑)、
記録体・書簡などで使う語、
とある(岩波古語辞典)。上記二例は、いずれも、牒状(回状)である。
格助詞「と」+動詞「いふ」の已然形+完了の助動詞「り」の已然形+接続助詞「ば」からなる「といへれば」の変化した語。漢文的色彩の強い文章に用いられた、
とあり(学研全訳古語辞典)、
先行の事柄を受け、その結果、後続の事柄が生じたことを示す
もので(精選版日本国語大辞典)、
というわけで、
よって、
されば、
の意となる(仝上)。
「といへり」が「てへり」となったのと同じように、「といへれば」が「てへれば」となった。仮名文では、「といへば」となる。中世の古辞書などでは多く「ていれば」となっており、「文明本節用集」に「者 テイレバ 此事治定之義也」とある、
とある(仝上)。
と言へれば→ていれば→てへれば、
といった転訛となるのだろうか。「てへれば」の、
てへ、
は、
といへの約、
で、「といへ」の「いへ」は、
「言ふ」の已然形・命令形、
であり(岩波古語辞典)、「てへ」の、
てふ、
は、だから、
ちふ、とふ(といふの約)の転、
どある(大言海)。「とふ」は、
吾れのみぞ君に戀ふる吾れが背子が戀云(コフトフ)は言の慰(なぐさ)ぞ(万葉集)、
と使われるが、「とふ」は、
チフ、後に、テフ、
とある(仝上)ので、
と言ふ→ちふ→とふ→てふ、
と転訛したものかと推測する。
うたたねに戀しき人を見てしよりゆめてふものはたのみそめてき(小野小町)、
と、
平安朝よりの歌詞に云へり、
とある(大言海)。
(「者」(「者」旧字) https://kakijun.jp/page/u_j050200.htmlより)
「者(者)」(シャ)は、
象形。者は、柴がこんろの上で燃えているさまを描いたもので、煮(火力を集中してにる)の原字。ただし、古くから「これ」を意味する近称指示詞に当てて用いられ、諸(これ)と同系のことばをあらわす。ひいては直前の語や句を、「~するそれ」ともう一度指示して浮き出させる助詞となった。また、転じて「~するそのもの」の意となる。唐・宋の代には、「者箇(これ)」をまた「遮箇」「適箇」とも書き、近世には適の草書を誤って「這箇」と書くようになった、
とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
者、別事詞也(者とは、事を別つ詞なり)、
とある。その意味では、
といへれば、
に、「者」を当てたのは卓見ということになる。
別に、
旧字「者」は、象形。台の上でまきを重ねて火をたくさまにかたどり、焼く、にる、あつい意を表す。「煮(シヤ)」の原字。借りて、助字「もの」の意に用いる、
とあり(角川新字源)、また、会意説(白川静説)、象形説(藤堂明保説)を併記して、
会意。耂(交差させ集めた木の枝:「老・考」の部首とは異なる)+曰、曰は祝詞を入れる器で、まじない用の土塁を示す。「堵」の原字で「都」等と同系。後に「諸」(人々)の意となる(白川)、
象形。焚火のため木の枝を集めたものを象る、「煮」の原字。古くから近称指示語として用いられ、時代が下り主語を示す助辞となった(藤堂)、
なお、部首は「老部」であるが、上記のとおり字源を異にし、それを明確にするため篆書体やそれを受けた(清代の1716年編纂の)康煕字典体では左払いの下に点を打つ。しかし、(明の万暦43年(1615)編纂の)字彙以前に確立した楷書体などにはすでに点は無く「老部」と同形である、
としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85)。
(「者」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95