金五(近衛府の唐名)四隊列をなして、院々の燈(ともしび)を焼(た)いて白日の如し、沈香火底に坐して笙を吹くと云へる追儺(ついな)の節会、今夜(こよい)なり(兵藤裕己校注『太平記』)、
とある、
追儺は、「鬼門」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482333758.html)でも触れたが、宮中行事の一つで、
大晦日の夜、悪魔を払い疫病を除く儀式で、舎人(とねり)の鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追い廻す。大舎人長が方相氏(ほうそうし)の役をつとめ、黄金四つ目の仮面をかぶり、玄衣朱裳を着し、手に矛・楯をとった。これを大儺(たいな)といい、紺の布衣に緋の抹額(まっこう)を着けて大儺に従って駆け回る童子を小儺(しょうな)と呼び、殿上人は桃の弓、葦の矢で鬼を射る、
とある(広辞苑)。四門とは、東・西・南・北の門、建春・宜秋・建礼・朔平の四つの門を指す。
近世、民間行事となり、
福は内、鬼は外、
という二月の節分の豆撒きは、この、
宮中で大晦日の夜、悪魔を払い、疫癘を除くための、
追儺(ついな)の義式、
に由来する(仝上)。追儺は、
儺(だ、な)、
あるいは、
大儺(たいだ、たいな)、
駆儺、
鬼遣(おにやらい。鬼儺などとも表記)、
儺祭(なのまつり)、
儺遣(なやらい)、
等々とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E5%84%BA)。中国に由来するが、
(吉田神社での追儺(『都年中行事画帖』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E5%84%BAより)
中国では、
熊の皮をかぶり黄金の四つ目の面をつけ、黒衣に朱裳(しゅしょう)を着した方相(ほうそう)氏という呪師が矛と盾を手にして、宮廷の中から疫鬼を追い出す作法を行った、
という(周礼(しゅらい))。日本には、追儺は陰陽道の行事として取り入れられ、文武天皇の慶雲(きょううん)三年(706)に、諸国に疫病が流行して百姓が多く死んだので、土牛をつくって大儺(おおやらい)を行ったというのが初見(日本大百科全書)とある。『延喜式』によると、
宮中では毎年大晦日の夜、黄金の四つ目の面をかぶり黒衣に朱裳を着した大舎人(おおとねり)の扮する方相氏が、右手に矛、左手に盾をもって疫鬼を追い払ったという。この除夜の追儺はおそらく大祓(おおはらえ)の観念とも結び付いて展開したものと思われるが、そのほか、寺の修正会(しゅじょうえ)や修二会(しゅにえ)の際にもこの鬼やらいの式が行われた、
とある(仝上)。民間で行われる二月の節分の豆撒きにつながるが、大晦日に豆撒きを行う例があるのは、上記の由来と関わる。
(方相氏(ほうそうし) 精選版日本国語大辞典より)
「方相氏」(ほうそうし)とは、
「周礼」に見える周代の官名。黄金四目の仮面をかぶり、玄衣、朱裳を着用し、手に戈と楯を持って悪疫を追い払うことをつかさどったとされる。日本では、追儺の時に宮中の悪鬼を追い、また、葬送の時に、棺を載せた車を先導する役をした(「江家次第」 精選版日本国語大辞典)、
という。
舎人が鬼の紛争をして、これを内裏の四門をめぐって追いまわす。殿上人は桃の木の弓、葦の矢で鬼を射る、
とある(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)。平安時代中期に成立した私撰の儀式書『北山抄』には、追儺について、
陰陽寮以桃枝弓、葦矢等、頒親王以下、……陰陽師率斎郎(サイノヲ)、入自月華門、奠祭讀梵文畢、方相氏先作儺聲、即以戈撃楯三度、群臣相承、和呼追之、
とある(月華門は、紫宸殿南庭(なんてい・だんてい)の西側の門、東側の日華門と相対する)。
『論語』郷党篇に、
郷人儺、朝服而立阼階(郷人の儺(おにやらい)には、朝服して阼階(そかい)に立つ)
とある。貝塚注には、「儺(おにやらい)」について、
わが国の節分の夜に行われる追儺、つまり疫病神の鬼を追う行事、
とあり、
追儺の行列の群れが村中の戸ごとにはいってきて、口々に「鬼は外」などと唱えてゆくわが国のそれと、中国の昔の郷村も変わりはなかったらしい。この行列に対して、孔子は礼服をつけ、威儀を正して、わが家の中心である宗廟の正殿の東寄りの階段のもとに立って、これを迎えられた、
とする(貝塚茂樹訳注『論語』)。孔子が村人の迷信に儀式ばって迎えた理由については、種々解釈されているが、
孔子の、村の行事を無視しない謹直さの表れ(新注)、
鬼やらいの群れが祖先の神を驚かさないように、階段のもとで応接して帰した(古注)、
に対して、貝塚解釈は、
もっとも古い解釈によると、礼服を着て威儀を正し、祖神の霊を我が身に下ろして、これを安心させたと説いている。祖先の霊を招き下ろして、これを代表して追儺の列に応接した、
とする(仝上)。
なお、
追儺、
という言い方は、漢籍には見られず、日本における呼称。中国では、疫鬼を駆逐する儀礼を、
儺(だ、な)、
大儺(たいだ、たいな)、
という。「観智院本名義抄」には、
儺、
に、
ヲニヤライ(フ)、
の和訓が見える(精選版日本国語大辞典)とあり、類聚名義抄(11~12世紀)にも、
儺、オニヤラヒ、
とある。
「儺」(漢音ダ、呉音ナ)は、
会意兼形声。難は、ひでりや落雷、やまかじなどの災難のこと。儺は「人+音符難(ダ)」で、人が火で、悪鬼を払う災難除けの行事をあらわした、
とあり(漢字源)、「おにやらい」と訓ます。
参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95