「十死一生」は、
到底生きる見込みのないこと、
あるいは、
生命の危険なこと、
また、
そのような状態からかろうじて生命が助かること、
の意で使われ(広辞苑・故事ことわざの辞典)、
十死に一生、
ともいい、
ジッシイッショウノワヅライヲスル、
と(日葡辞書)、
九死に一生、
をさらに強めた言い方になる(仝上)。ただ、
とても生きて帰るまじき事なればとて、十死一生の日を、吉日に取ってぞ向かひける(太平記)、
と、
十死一生の日、
と使うと、
十死日(じっしび)、
とも言い、
陰陽道の説で、出陣して生還の見込みのない大凶の日、
と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)ように、
万事に大凶の日、特にこの日、(生還の見込みなしとされ)戦闘することを忌み、民間暦では、嫁取り、葬送に悪いとされる、
とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、平安貴族の必須知識を記した源為憲の「口遊」や陰陽道の書「簠簣内伝(ほきないでん)」に、
酉巳丑酉巳丑酉巳丑酉巳丑、
とあるが、これは、
一月が酉の日、二月が巳の日、三月が丑の日というように、三か月ごとに酉・巳・丑の日が繰り返して十死一生の忌日に当たることを表わしたもの、
であり、このような知識は平安時代前期には貴族の間で一般的になっていた(精選版日本国語大辞典)とされる。
もっとも、
十死、
自体にも、
既に十死の体に見え候(芭蕉書簡)、
と、
生きる見込みがなくきわめて危ない、
意がある(広辞苑)。
九死に一生、
は、
九死に一生を得る、
九死の中に一生を得る、
九死を出でて一生を得る、
ともいい、これは屈原の「離騒」の、
亦余之所善兮雖九死其猶未悔、
に対する唐の劉良の注にある、
九死無一生、未足悔恨、
に端を発する(仝上)とされ、中国では、「十死一生」の方が古いと考えられるとあり(仝上)、
兼又忠常従去月廿八日受重病、日来辛苦、已九死一生也(長元四年(1031)「左経記」)、
と、
十のうち「死」が九分、「生」が一分、
の意で、
ほとんど助かるとはおもえないほどの危険な状態、
また、
そのような状態からかろうじて命が助かる、
意(『故事ことわざ辞典』・精選版日本国語大辞典)で使われるが、「九死」自体も、「十死」同様に、
敵数十人囲之、被疵輸九死(垂加文集(1714~4)・加藤家伝)、
と、
十のうち九分までの死、
の意(精選版日本国語大辞典)、
で、
ほとんど死にそうになるほどの危い場合、
の意がある。
「十死一生」「九死に一生」と似た言い方に、
万死、
がある。
とても生命の助かる見込みのないこと、
の意で、
命を軽んずる郎等ども、返し合わせ返し合わせ、所々にて討死しけるその間に、万死を出でて一生に会ひ(太平記)、
と、
死地を逃れ生き延びる、
意で使われる。
万死を出でて一生に逢へり(「貞観政要(じょうがんせいよう)」)、
万死の中に一生を得る、
とも表記し、また、
夫秦為無道破人国家、……将軍瞋目張膽、出萬死不顧一生之計、為天下除殘也、
と(史記・張耳陳余伝)、
万死一生を顧みず、
と、
生き延びるわずかな望みを当てにしない、
命を捨てる覚悟で殊に当たる決意をする、
意でも使う。上記文例中の、「瞋目張胆(しんもくちょうたん)」は、成句になっていて、
目を瞋(いから)し胆を張る、
とも訓み、
「瞋目」は怒りで目をむき出すこと、
「張胆」は肝っ玉を太くすること、
で、
恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構え、
をいう言葉になっている(四字熟語辞典)。
「万死」は、また、
罪万死に値する、
と、
何度も死ぬ、
意でも使ったりする。
「九死に一生」「十死一生」「万死」と似た言い方に、
刀下の鳥林藪(りんそう)に交わる、
がある。
刀下の鳥山林に帰る、
ともいい、
俎上の魚江海(こうかい)に移る、
ともいい、
是や此俎上の魚の江海に移り、刀下(タウカ)の鳥の林藪(リンソウ)に交(マシハ)るとは、只夢の心地ぞし給ける(「源平盛衰記(14C前)」)、
と、
斬り殺されようとした鳥がのがれて、林ややぶの中に遊ぶ、
意である(精選版日本国語大辞典・故事ことわざの辞典)
「十」(慣用ジッ、漢音シュウ、呉音ジュウ)は、
指事(数や位置など、形を模写できない抽象的概念を表わすために考案された漢字)。全部を一本に集めて一単位とすることを、丨印で示すもの。その中央が丸く膨れ、のち十の字体となった。多くのものを寄せ集めてまとめる意を含む。促音の語尾がpかtに転じた場合は、ジツまたはジュツと読み、mに転じた場合はシン(シム)と読む。証文や契約書では改竄や誤解をさけるため、拾と書くことがある、
とある(漢字源)が、
象形。はりの形にかたどる。「針(シム)」の原字。借りて、数詞の「とお」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
指事或いは象形。まとめて一本「丨」にすることから、後にまとめたことが解るよう中央部が膨れた。或いは針の象形で、「針」の原字とも(なお、「シン」の音はdhiəɔpのp音がmpを経てm音となったもの)、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%81)、
(「十」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%81より)
(「十」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%81より)
象形文字です。「針」の象形から、「はり」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「とお」を意味する「十」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji132.html)。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95