順逆二縁


垂迹(すいじゃく)和光の悲願を思へば、順逆の二縁、いづれも済度(さいど)利生(りしょう)の方便なれば、今生の逆罪飄(ひるがえ)りて、当来の知遇やなるらんと(太平記)、

とある、

順逆二縁、

とは、

順縁(善行が仏縁となること)と逆縁(悪行がかえって仏縁となること)、

の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「垂迹」とは、

仏・菩提が、衆生済度のために仮の姿を取って現れること、

の意(広辞苑)だが、

本地垂迹説、

では、世の人を救うために仮に姿を現す、

仏菩薩を本地(真実の身)、神を垂迹(仮の身)とする、

となる(仝上)。上記、

順逆の二縁、

は、

順逆二縁共に成仏す、

と言われたりする。

妙法の功徳は、教えを聞いて正しい信仰に入る順縁の人と、教えを聞いて背き逆らう逆縁の人を、共に救う、

とあるhttps://hokkekou.com/67se/9jyungyaku/

順逆皆方便(首楞厳(りょうごん)経)、
因縁有順逆(天台大師智顗・摩訶止観)、

ともある。

順縁とは、

素直(すなお)に仏縁を結(むす)ぶということです。順は素直の意あり、縁は仏縁を意味します。したがって、仏の真実の教えである妙法の教えを聞いて素直に信じ、仏道に精進する者を、

順縁の衆生、

といいhttp://okigaruni01.okoshi-yasu.com/yougo%20kaisetu/junen-gyakuen/01.html、これらが済度されるのは当たり前に見えるが、

妙法の教えを聞いても信ずることなく破法(はほう)・謗法(ほうぼう)を重ね、後にその罪が逆に仏縁となっていくことを、

逆縁、

といい、

このような衆生は、永く悪道に堕(お)ちて苦しみを受けなければなりませんが、一度植られた妙法の仏種(ぶっしゅ)は失(う)せることなく衆生の心田(しんでん)に残ります。そして、その仏種が縁にふれて薫発(くんぱつ)し、やがて得脱(とくだつ)することができる、

とあり(仝上)、このような因縁(いんねん)で救われていく衆生を、

逆縁の衆生、

という(仝上)。逆縁は、

雑(ぞう)毒薬を以って用いて、太鼓に塗り、大衆の中において、之(これ)を撃ちて声を発(おこ)さしむるがごとし、聞かんと欲する心無しと雖も、之を聞けば皆死す、

とあり(涅槃経)、

毒鼓(どっく)の縁、

ともいわれる(仝上)。

当世の人何となくとも法華経に背く失(とが)に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何(いか)にとしても仏の種は法華経より外(ほか)になきなり(日蓮・法華初心成仏抄)、

とあり、歎異抄で、親鸞が、他力本願から、

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや、

というのは、

しかるを世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや、

の意ではなく、

煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、

と言ったのとは、少し違う。というがまったく逆である。

これだけ信心したのだから、
これだけ善行を積んだのだから、

というのは、こちらの思惑に過ぎない。「はからい」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163469.htmlで触れたように、

自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず、

とあり、大事なのは、

計らいを捨てる、

という。親鸞が晩年に弟子に語ったものを聞き書きした『自然法爾章』によると、

浄土の阿弥陀如来から射してくる光を信じて、一遍でもなんら計らうことなく念仏を称えるという状態にひとりでになっていったときに、その両者の光がうまくいきあったときには、必ず浄土へ行ける、

そういう自然な状態を、

自然法爾(じねんほうに)、

と言っているらしい(「自然」はおのずからそうであること、そうなっていること。「法爾」はそれ自身の法則で、そのようになっていることの意)。この考え方の面白いところは、

こちらが信じてみようという気持ちになったら、浄土から光が差してくる、

というのではなく、信の心の状態になれる人のところに光が差してくる、

というところにある。つまり、こちらの関心ではなく、関心を持つということは、

向こうから光が射してきた、だから関心をもった、

と考える。これが親鸞の到達した地点だという。

人に対してであろうと、信仰であろうと、そのことに関心を持ち始めるということは、すでに向こうからこちらを包み込んでいる、

それが、

第十八願、

たとい我、仏を得んに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して我が国に生れんと欲し、乃至十念せん、若し生れずば正覚を取らじ、

つまり、

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません、

という、至心、信楽、欲生我国の三心をもって念仏すれば必ず往生するようにさせるとする、

浄土三部経の一つ『大無量寿経』のうちに説かれる阿弥陀如来の48の誓願の第18番目の願で、この誓いの中に、

阿弥陀如来から射してくる光が向いている方向がある、

というのである。

至心に阿弥陀仏を信じて名号を称えれば、必ず浄土へ行けるとは、その状態が自然になれば、浄土の方から光が射してくる、という考え方になる。

しかし、こうすれば浄土へ行ける、と言うのは、こちらの計らいであって、それのない状態で、称える心の状態になれたら、と言う意味のようだ。そう考えると、

善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、

とは、こちらの計らいのない状態、

よいことをするといい、
善行を積めば救われる、

いった計らいがないことを象徴的に言っているとみなすことができる。

僕は、信仰心のないものだが、信仰とは、こちらの思惑、意図とは関係ないものなのだということがよくわかるという意味で、親鸞の考えの方が納得できる。

「順」 漢字.gif


「順」(漢音シュン、呉音ジュン)は、

会意。「川+頁(あたま)」。ルートに添って水が流れるように、頸を向けて進むこと、

とある(漢字源)が、

形声。頁と、音符川(セン)→(シユン)とから成る。「したがう」意を表す、

とも(角川新字源)、

「順」 成り立ち.gif

(「順」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji692.htmlより)

会意兼形声文字です(川+頁)。「流れる川」の象形と「人の頭部を強調した」象形(「かしら・頭部」の意味)から、
川の流れのように、事の成り行きにまかせる顔になる、すなわち、「したがう・素直」を意味する「順」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji692.html

「逆」 漢字.gif

(「逆」 https://kakijun.jp/page/0968200.htmlより)

「逆」(漢音ゲキ、呉音ギャク)は、

会意兼形声。屰は大の字型の人をさかさにしたさま。逆はそれを音符とし、辶を加えた字で、逆さの方向に進むこと、

とある(漢字源)が、

会意形声。辵と、屰(ゲキ、ギヤク 上下をさかさまにした人の形)とから成り、向こうからやってくる人を「むかえる」の意を表す。また、「さからう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意形声。「辵」+音符「屰」(ゲキ)。「屰」は「大」を上下反転させたもので人をさかさまにした図。逆さの方向に進むこと、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%86

「逆」 成り立ち.gif

(「逆」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji734.htmlより)

会意兼形声文字です(辶(辵)+屰)。「立ち止まる足の象形と十字路の右半分象形」(「行く」の意味)と「さかさまにした人」の象形から「さからう」・「さかさま」を意味する「逆」という漢字が成り立ちました。また、「迎」に通じ
(「迎」と同じ意味を持つようになって)、「迎える」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji734.html

「縁」 漢字.gif

(「縁」 https://kakijun.jp/page/1577200.htmlより)

「縁」(エン)は、

会意兼形声。彖(タン)は、豕(シ ぶた)の字の上に特に頭を描いた象形文字で、腹の垂れ下がったぶた。豚(トン)と同系のことば。縁は「糸+音符彖」で、布の端に垂れ下がったふち、

とある(漢字源)が、

形声。糸と、音符彖(タン)→(エン)とから成る。織物の「ふち」の意を表す。借りて「よる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(糸+彖)。「より糸」の象形と「つるべ井戸の滑車のあたりから水があふれしたたる象形」(「重要なものだけ組み上げ記録する」の意味だが、ここでは、「転」に通じ(「転」と同じ意味を持つようになって)、「めぐらす」の意味)から、衣服のふちにめぐらされた装飾を意味し、そこから、「ふち」、「まつわる」を意味する「縁」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1127.html

「縁」 成り立ち.gif

(「縁」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1127.htmlより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
吉本隆明『親鸞』(東京糸井重里事務所)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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