2022年02月08日

ばさら


武家の輩(ともがら)、……そぞろなるばさらによって、身には五色を粧(よそお)ひ、食には八珍を尽くし、茶の会、酒宴そこばくの費えを入れ、傾城田楽に無量の財(たから)を与へしかば(太平記)、

とある、

ばさら、

は、

婆沙羅、
婆佐羅、
時勢粧、

等々と当て(広辞苑・日本大百科全書)、

常軌を超えた豪奢な風俗、

とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、

南北朝動乱期の美意識や価値観を端的にあらわす流行語、

である。

近日婆佐羅と号して、専ら過差(かさ 身分不相応なぜいたく)を好み、綾羅(りょうら)・錦繍(きんしゅう)・精好(せいごう)銀剣・風流(ふりゅう)服飾、目を驚かさざるなし、頗(すこぶ)る物狂(ぶっきょう)と謂ふべきか(建武式目(1336))、

とか、

佐々木佐渡判官入道々誉が一族若党共、例のばさらに風流を尽して(太平記)、

というように、

みえをはって派手にふるまうこと、
おごりたかぶって贅沢であること、
形式・常識から逸脱して、奔放で人目をひくようなふるまいをすること、また、そのさまやそのような行ない、
また珍奇な品物など、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

伊達(だて)な風体、

の状態表現の意味から、

大酒遊宴に長じ、分に過ぎたるばさらを好み(北条九代記)、

と、価値表現へシフトして、

遠慮なく、勝手に振る舞うこと、
しどけいこと、乱れること、また、そのさま、
放逸、放恣(ほうし)、

といった意味(広辞苑・デジタル大辞泉)で使われる。

此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
生頸 還俗 自由(まま)出家
俄大名 迷者、

とはじまる、二条河原の落書(建武元年(1334年)8月成立)にも、

ハサラ扇ノ五骨、

とあり、

骨数の少ない扇面に粗放、はでな風流絵を施したもの、

をいうらしい(日本大百科全書)。

「ばさら」の由来は、

跋折羅(ばざら)から、

とあり(広辞苑)、

伐折羅(ばざら)、

とも当て、

サンスクリット語(梵語)vajraバジラ、

訳して、

金剛、
金剛石、

からけの転訛とされる(大言海)。

薬師如来および薬師経を信仰する者を守護するとされる十二尊の仏尊である、

十二薬叉大将(じゅうにやくしゃだいしょう)、
十二神王、

ともいう、

十二神将(じゅうにしんしょう)、

の一つである、

伐折羅大将(ばざらだいしよう)、

別に、

伐折羅陀羅(ばざらだら)、
跋闍羅波膩(ばじゃらぱに)、

つまり、

金剛力士、

を指すが、鎌倉時代の中期には、すでに「派手(はで)」「分(ぶ)に過ぎた贅沢(ぜいたく)」「乱脈」等々の意味をもつ言葉として用いられていたようである(世界大百科事典)。

なお、狛朝葛(こまあさかつ)の音楽書『続教訓抄』(文永七年(1270)頃成立)に、

友正が笛を、白河院聞しめして、褒めたまひて、下臈の笛ともなく、ばさらありて仕るものかな、

と、

音楽・舞楽で、本式の拍子からはずれて、技が目立つようにする自由な形式。また、そのような音楽・舞楽のさま、

の意で使われているのが、「ばさら」の語が文献に現れた早い例と見られる(仝上)。

伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏、

を、

ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破るというイメージが仮託されたものである、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%81%95%E3%82%89。ここから由来して、

鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する、

とある(仝上)。

「ばさら」で有名なのは、

婆沙羅大名、

として知られる、

佐々木(京極)高氏、

で、

佐々木佐渡判官入道(佐々木判官)、
佐々木道誉、

の名でも知られる。有名なエピソードは、『太平記』(巻第三十七「新將軍京落事」)の、

正平17年/延文6年(1361年)の都落ちで、細川清氏が南朝の楠木正儀(まさのり)らとともに入京する前に、自身の邸宅を占拠する武将をもてなすとして六間の会所に畳を敷き、本尊・脇絵・花瓶・香炉・鑵子・盆に至るまで飾りたて、書院には王羲之の書や韓愈の文集を置いた。さらに眼蔵なども調え、三石入の大筒に酒を用意して、遁世者2人を置いて来訪者には誰に対しても酒を勧めるよう申し付けて退去したという。道誉の邸宅に入った正儀は遁世者から一献勧められたことで感じ入り、細川清氏らの主張する導誉邸の焼き払いを制し、……その後、戦況が一変して正儀が退去する立場となったが、『太平記』では正儀はさらに豪華に飾り立て、導誉へ返礼として鎧と白太刀を残して郎党2人を留め置いて退去した、

という出来事である(仝上)。「澆季」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484264044.htmlで、『太平記』については触れた。

佐々木道誉 (2).jpg


この「ばさら」は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮となった、

傾奇者、
歌舞伎者、

と表記する、

かぶきもの、

にも通じる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:ばさら 婆沙羅
posted by Toshi at 05:02| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください