思ふに当国他国の悪党どもが、落人の物具(もののぐ)を剥がんとて集まりたるらん(太平記)、
とある、
悪党、
は、今日の語感では、
然不遵奉、隠蔵売買、是以、鋳銭悪党、多肆姧詐(「続日本紀(しょくにほんぎ)」五月丙申)、
の、
鋳銭の悪党、多く姧計を肆(ほしいまま)にして、
と、
悪人の集団、
悪人の仲間、
といった意味から、転じて、
わるもの、
の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)が、南北朝期、
荘園や公領を侵す反体制的な武士や荘民の集団、
と注記(兵藤裕己校注『太平記』)されるように、「悪党」は、
中世、荘園領主や(鎌倉)幕府の権力支配に反抗する地頭・名主などに率いられた集団(岩波古語辞典)、
鎌倉後期から南北朝時代にかけて、秩序を乱すものとして支配者の禁圧の対象となった武装集団。風体、用いる武器などに、従来の武士とは異なる特色を持ち、商工業・運輸業など非農業的活動に携わる者も少なくなかった(広辞苑)、
鎌倉中・末期から南北朝内乱期にかけて、反幕府、反荘園体制的行動をとった在地領主、新興商人、有力農民らの集団をいう。悪党は、山賊、海賊とともに、鎌倉幕府から鎮圧の対象とされた。悪党は、(1)荘園領主による代官職の否認、(2)得宗(とくそう 北条)政権による御家人所領(地頭職)の否定、(3)得宗政権の経済政策(港湾・都市など独占)の強行、(4)支配下農民との矛盾対立、(5)蒙古襲来を契機とする社会経済情勢の急激な変化、などを要因として発生した(日本大百科全書)、
等々とあり、「ばさら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485525197.html?1644264178)で触れたように、
鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指す、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%81%95%E3%82%89)「ばさら」と称された人々と重なる、新たな価値観の体現者たちといっていい。彼らは、
悪党張本(ちょうほん)を中心に、一族、下人(げにん)、所従(しょじゅう)など血縁関係者を集め、さらに近隣の在地領主層と連携して、当該地域における分業、流通の支配を目ざし、数百人に及ぶ傭兵(ようへい)を組織することもあった、
とされる(日本大百科全書)。
上記の『続日本紀』霊亀2年5月21日条(716年)の勅に見える、
鋳銭悪党、
は、今日の意の「悪党」に近いが、12世紀後半以降は、
いずれも荘園や公領における支配体制または支配イデオロギーを外部から侵した者、
を指して用いられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E5%85%9A)。
安元元年(1175年)に東大寺領黒田荘(伊賀国名張郡)に乱入した名張郡司源俊方と興福寺僧らは、
東大寺の年貢米を奪い、寺使を追放して路次(ろじ)を切りふさぎ、やがて荘民の支持を受けて、東大寺から独立を宣言するに至った、
が(日本大百科全書)、東大寺の文書は、
悪党、
と記している。つまり、荘園領主や荘官の支配体系に対し、
外部から侵入ないし妨害しようとした者、
が悪党として観念されていたのである(仝上)。固定化した、
荘園支配、
に対する、
在地で荘園支配の実務にあたる荘官(彼らも在地領主層の一員である)、
との対立は、中世社会の流動化へとつながっていく。こうした、
外部から荘園支配に侵入する悪党のほか、蝦夷や海賊的活動を行う海民なども悪党と呼ばれたが、これは支配体系外部の人々を悪党とみなす観念に基づいている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E5%85%9A)。鎌倉幕府倒幕時に後醍醐天皇方についた、
楠木正成(河内国)、
赤松則き(播磨国)、
名和長年(伯耆国)、
瀬戸内海の海賊衆、
らは、悪党と呼ばれた人々だったと考えられている(仝上)。
この「悪党」の「悪」は、
物が類を以て集まる習ひなれば、……所大夫怪舜とて、少しも劣らぬ悪僧あり(太平記)、
と使われ、
勇猛な僧、
の意とされ(兵藤裕己校注『太平記』)、「悪」は、
気の強きこと、猛き、荒々しき意として、接頭語の如く用ゐらる、
とあり(大言海)、
惡左府頼長、
惡源太義平、
惡七兵衛景清、
等々があり、
惡逆の意には非ず、又、自ら称するにあらず、外聞よりの呼名なり、
とある(大言海)。
荒夷(あらえびす)、
鬼武者、
鬼柴田、
などと云ふと同意なり、
惡獣も猛獣なり、惡龍、惡魚もあり、惡物食(アクモノクヒ)などと云ふ語も是なり、
ともある(仝上)。この由来は、
あし宰相、
あし法眼、
など云ひしを、惡の字を書きて、音読するやうになりしなり、
とある(仝上)。雄略紀に、
天皇以心為師、誤殺人衆、天下誹謗、言大悪天皇也、
の旁注に、
ハナハダ、アシクマシマス、スハメラミコト、
とあるも、
荒々しくまします、
意なり(仝上)、とある。
「悪」(漢音呉音アク、漢音オ、呉音ウ)は、
会意兼形声。亞(ア)は、角型に掘り下げた土台を描いた象形文字。家の下積みとなるくぼみ。惡は「心+音符亞」で、下に押し下げられてくぼむ気持ち。下積みでむかむかする感じや欲求不満、
とある(漢字源)が、
形声。心と、音符亞(ア、アク)とから成る。あやまち、まちがい、ひいて「わるい」意を表し、また、「にくむ」意に用いられる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(亞(亜)+心)。「古代の墓の部屋を上から見た象形」と「心臓の象形」から、墓室に臨んだときの心、「わるい・いまわしい」を意味する「悪」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji434.html)。
「党(黨)」(トウ)は、
形声。「黑+音符尚」。多く集まる意を含む。仲間で闇取引をするので黒を加えた、
とある(漢字源)が、「黨」の字源には、
形声。儿と、音符尙(シヤウ)→(タウ)とから成る。もと、西方の異民族の名を表したが、(「党」は)古くから俗に黨の略字として用いられていた、
と、
形声。意符黑(=黒。やみ)と、音符尙(シヤウ)→(タウ)とから成る。さえぎられてはっきりしない意を表す。借りて、「なかま」の意に用いる、
の二説あるらしく(角川新字源)、
形声文字、音符「尚」+「人」 。部族の一つ、タングート(党項)族を指す。黨の略字(別字衝突)。「なかま」「やから」の意味。意符「人」から通じて略字として用いられるようになったか、
は(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%9A)、前者をとり、
形声文字です(尚(尙)+黑)。「神の気配を示す文字と家の象形と口の象形」(「強く願う」の意味だが、ここでは「堂」に通じ(「堂」と同じ意味を持つようになって)、「一堂に集まった仲間」の意味)と「上部の煙だしに「すす」がつまり、下部で炎があがる」象形(連帯感を示す色(黒)だと考えられている)から、「村」、「仲間」を意味する「党」という漢字が成り立ちました、
は(https://okjiten.jp/kanji1038.html)、別の解釈である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:悪党