諸軍勢に至るまで、ただ窮子(ぐうじ)の他国より帰て、父の長者に逢へるか如く、悦ひ合事限なし(太平記)、
にある、
窮子(ぐうじ)の他国より帰て、
の、
窮子(ぐうし)、
は、
「法華経」信解品(しんげほん)の譬喩を踏まえる。長者の息子が家出して流浪し、五十年後に偶然長者の邸を訪れたのを、長者は下男として召使い、後に親子の名乗りをして財宝を譲ったこと。仏を長者、仏道修行者を子、仏法を財宝に喩えた譬喩、
と注される(兵藤裕己校注『太平記』)が、「窮子」を、
きゅうし、
と訓ますと、
中国古代の伝説に基づく貧乏神、
の意とされる(広辞苑)。あるいは、
窮鬼、
とされ、
貧乏神あるいは生霊のこと、
とある(https://chinki-note.blogspot.com/2021/02/kyuki.html)。この窮鬼は、
五帝の一人である顓頊(せんぎょく)の息子とされており、生まれつき体が弱くて背も低く、いつもボロボロの服を着て、白粥ばかり食べていたという。新しい服を与えても、着る前に破ったり、火で焼いて穴を作ってしまうので、周りの人々は、
窮子、
と呼んだという。
窮子は正月晦日に死んだので、宮中ではこの日を「窮子を送り出す日」と定めて葬り、これ以来窮鬼と呼ばれて人々に恐れられる存在になったとされている。なお、唐代には窮鬼に由来する「送窮」あるいは「送窮鬼」と呼ばれる民間行事が起こったという、
とある(仝上)。なお和名類聚抄(平安中期)には、
窮鬼は『遊仙窟』で伊岐須太萬(イキスダマ)、
と注釈されるとあり、
窮鬼と書いてイキスダマと読まれることもある、
とある(仝上)が、
窮鬼(きゅうき)は生霊にあらず、
とある(大言海)。「鬼」(き)は、
死者の精霊、
つまり、
幽霊、
のことだからである(仝上)。
しかし、「きゅうし」と訓ます「窮子」は、また、
困窮している人、
の意で、仏教で、
困って身の置き所のない子、
の喩えとして、
ぐうじ、
と訓ます、
窮子、
の意でもある。「窮子(ぐうじ)」は、法華七喩のひとつ、法華経信解品(しんげほん)」に説かれた、
窮子喩(ぐうじゆ)、
を指す(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。「窮子喩」は、紹介によって多少の移動がある。ひとつは、
ある長者の子供が幼い時に家出した。彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、ついに邸宅に連れ戻した。そしてその窮子を掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。長者自身も立派な着物を脱いで身なりを低くして窮子と共に汗を流した。窮子である息子も熱心に仕事をこなした。やがて20年経ち臨終を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。この物語の長者とは仏で、窮子とは衆生であり、仏の様々な化導によって、一切の衆生はみな仏の子であることを自覚し、成仏することができるということを表している。なお長者窮子については釈迦仏が語るのではなく、弟子の大迦葉が理解した内容を釈迦仏に伝える形をとっている、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9)。いまひとつは、
ある男が幼くして「父の膝下を離れ」「他国へ行った」。やがて「大人」になったが貧しく、「生業を求めて衣食のため十方を放浪し」た。「彼の父も他国に移住し、多くの財宝・穀物・金貨・倉庫を所有し、多量の金・銀・真珠・瑠璃・螺貝・水晶・珊瑚を蓄え、また大勢の男女の奴隷や雇用人・使用人がおり、また象・馬・牛・羊を幾頭も所持するようになった」。「また、大勢の眷属をつれ、諸大国の中でも有数な金持となり、そして農業や商業を手広く営んで、財産を蓄積しただけではなく、利殖をはかって繁盛していた」。息子は貧しく「各地を放浪して、ついに大金持の彼の父親が住む都城にたどり着いた」。「貧乏人の父親である大金持は、この町に住んでなに不自由なく暮らして」いたが、息子と別れてこのかた息子のことを片時も忘れたことはなかった。しかし。「誰にも打ち明けず、自分ひとりで悩み苦しみ」心を痛めていた。ところが、ある日のこと、貧しい息子が、衣食を求めて父の家とは知らず、その門の前に立った。しかし息子は「その豪勢な様子に驚くと同時に全身の毛がよだつほど怖れおののき」慌てて立ち退いてしまった。父親は「一目で自分の息子であることに気がつき」、一計を案じ、息子を使用人とした。長者である父親は、「華美な服を脱ぎ、汚れた衣服をまとい、自分の手足を泥土でよごし、かの貧乏な男に近づいて話しかけ」、「わたしをおまえの父親と思うがよい」。「おまえは今日からは、わたしの実の子と同じだ」と言った。やがて、年月が流れ、長者は死期の近づいたことを悟り、貧しかった男に財産を譲り渡し、おおやけに自分の実子であることを宣言するという喩である、
とある(http://www.n-seiryo.ac.jp/library/kiyo/tkiyo/11pdf/%E7%9F%AD%E5%A4%A71105.pdf)。
また別に、『法華経』や『涅槃経』等の影響下に作成された、如来蔵系経典である『大法鼓経』にも長者窮子喩が説かれているが、
『法華経』の長者窮子喩では、貧者は長者の家で仕事をしつつも財産を望まず、長者から真実を告げられ、思いもかけずに相続者となるのに対し『大法鼓経』では、長者から真実を聞かされる前であったにもかかわらず、貧者は自発的に財産の相続者となることを望み、そして長者から真実を告げられ、望み通りに相続者となる、
とされている。これは、『大法鼓経』が、
「衆生の内側に実在する如来蔵・仏性」に見出しているため「教えられずとも衆生(貧者)の側から成仏(財産)を求める」という構図、
を描いたためとされる(https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/63/3/63_KJ00009915786/_article/-char/ja/)。
ま、ともかく、『法華経』信解品(しんげぼん)」の「窮子喩(ぐうじゆ)」は、
長者の出と知らずに流浪している貧窮の子を父親が見つけ、手段を尽くしてその嗣子であることを自覚させる、衆生が三界(欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)の三つの世界)に流転しているのを仏の慈悲方便で善導し、正道を悟らせる、
のを喩えている(仝上)、とされる。他の喩えは、
譬喩品に説かれる三車火宅の喩、
薬草喩品に説かれる三草二木喩、
化城喩品に説かれている化城宝処喩、
五百弟子受記品に説かれている衣裏繋珠喩、
安楽行品に記されている髻中明珠喩、
如来寿量品にみられる良医治子喩、
とされる。この七つのたとえ話は、
釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化したスタイルに則している、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9)。
「窮」(漢音キュウ、呉音グ・グウ)は、
会意兼形声。「穴(あな)+音符躬(キウ かがむ、曲げる)」で、曲がりくねって先がつかえた穴、
とあり(漢字源)、「困窮」の「きわまる」、「貧窮」の「行き詰まる」、「窮理」「窮尽」の「きわめる」、「究極」の「行き詰まり」「果て」等々の意である。別に、
会意。「穴+躬(きゅう)」。穴中に躬(み)をおく形で、進退に窮する意。〔説文〕七下に「極まるなり」と訓し、……究・穹と声義近く、「究は窮なり」「穹は窮なり」のように互訓する。極は上下両木の間に人を入れて、これを窮極する意で、罪状を責め糾す意。窮にもその意があり、罪状を糾問することを窮治という、
とあり(白川静『字通』)、また、
会意兼形声文字です(穴+身+呂)。「穴居生活の住居」の象形と「人が身ごもった象形と背骨の象形」(「体」の意味)から、「人の体が穴に押し込められる」、「きわまる」を意味する「窮」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1691.html)。
類似の「窮」「極」「究」の違いは、
窮は、行き詰まる意。をはる、盡く。稗編「史記上起黄帝、下窮漢武」、転じて困窮と連用す、
極は、至極の義、行き届きて、もはやその先なきを言ふ、
究は、推尋也、竟也、深也、窮尽也と註す。考究・研究と連用す。困窮の義はなし、
とある(字源)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:窮子(ぐうじ)