2022年03月03日

莅む


「のぞむ」は、

望む、

と当てるが、

臨む、

とも当てる。それとほぼ同義で、

肩瀬、腰越を打ち廻って、極楽寺坂へ打ち莅み給ふ(太平記)、

と、

莅む、

とも当てる。「望む」は、

朕(われ)、高台(たかとの)に登りて遠に望(み)に、烟気(けふり)、城(くに)の中(うち)に起(た)たず(日本書紀)、
南を望めば海漫漫として、雲の波煙深く(平家物語)、

などと、

遠くから眺めやる、
遠くを見やる、

意で(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)、

一辺に望みて見れば、大樹あり(金光明最勝王経平安初期点)、

と、

物事を求めて遥か遠くまで見やる、

意でも使い、そこから、

後見望む気色漏らし申しけれど(源氏物語)、

と、

願う、
希望する、
待望する、

意で使うに至る(岩波古語辞典・広辞苑)。今日、専らこの意で使う。

「臨む」は、

漢字「臨」をノゾムと訓読した、

ことから、

これより大きなる恥に臨まぬさきに、世をのがれなむと思う給へたちぬる(源氏物語)、

と、

むかう、
事の局にあたる、
直面する、

の意で使い(岩波古語辞典)、

(幼帝を)母后抱いて朝に臨むと見えたりけり(平家物語)、

と、

臨席する、

意でも使う(仝上)。

「のぞむ」は、

「臨む」「望む」同語源(デジタル大辞泉)、
(臨む・望むともに)ノゾク(覗く)と同根、
ノゾム(望・臨)はノゾク(覗・臨)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

とされ、「臨む」を、

ノゾ(あるものに対す)+む(動詞化)、

「望む」を、

ノゾ(距離を置いて対す)+ム、

と区別する(日本語源広辞典)説もある。「のぞく」は、

覗く、
覘く、
臨く、

と当て、

物のはざまよりのぞけば、此の男の顔見し心地す(源氏物語)、

と、

相手に知られないように、相手の様子をうかがい見る、

意や、

伊勢の国をのぞきたる事もなうて、いくたびも参宮したるよしはなす者あり(伊勢物語)、

と、

ちょっと立ち寄ってみる、
わずかに一部分だけ見る、

意で使う。特に、「臨」を当てる「のぞく」は、やはり、

漢字臨をノゾクと訓読したことから、

当てたものとされ(岩波古語辞典)、

人人渡殿より出たる泉に臨(のぞ)きゐて酒飲む(源氏物語)、

と、

上から見下ろす、

意で使う。あるいは、

それに向かって見えやすい位置を占める、

意で使う(日本語源大辞典)。これは、今日、

谷底をのぞく、

という使い方と同じである。

「のぞく」と「のぞむ」は、使われる意味が少し異なるように見える。しかし、字鏡(平安後期頃)には、

闚(うかがう)、宇加加不、乃曾无、

とあり、

頫(ふす・みる)、見也、観也、乃曾牟、

とあり、「臨(のぞ)む」と「臨(のぞ)く」の差はあまりない。だから「のぞく」の語源を、

のぞむ(望)の義(言元梯)、
ノゾム(望)と同源(小学館古語大辞典)、
ノゾ(臨む)+ク(動詞化)、都合の良いところに臨んで見る意、

とすることになる。漢字を当て分ける前は、「のぞむ」の意味の幅が、たとえば、「みる」が、

目と同根、

で、

眼の力によって物の存在や相違を知る(岩波古語辞典)、
自分の目で実際に確かめる、転じて自分の判断で処理する(広辞苑)、
目射るの義、目を転じて活用す(大言海)、

と、「知覚」としての「見る」機能なのに対して、「のぞむ」「のぞく」は、

見る位置、
あるいは、
見ようとする姿勢、

に力点があるように見える。その意味で、「うかがう(窺・伺)」も、

他人に知られないように周囲に気を配りながら、相手の真意や事の真相を掴もうとする意(岩波古語辞典)、
のぞいて様子を見る、そっと様子をさぐる(広辞苑・大言海)、

と、ほぼ「のぞく」と意味が重なるので、上述の字鏡の、

闚(うかがう)、宇加加不、乃曾无、

とつながることになる。

「のぞむ」意の漢字は、

望、高きをのぞみ、遠きを望むなり。又人に仰ぎて、見上げられるにも用ふ。人望・名望の類なり。詩経「萬民所望」、また、高遠を望むより、心に不満に思ひてうらむ義にも転用す。怨望・觖望(けつぼう)の如し、
臨、高きより見下ろすなり、詩経「戦戦兢兢(恐恐)、如臨深淵」、また、身分の尊き人が卑しき人にのぞむにも用ふ、君臨、臨政、
莅、臨と同義にして狭し、孟子「莅中国而撫四夷」、
眺、遠くをながめ望むなり、可以遠眺望の類、

とある(字源)。

「望」 漢字.gif


「望」(漢音ボウ、呉音モウ)は、

会意兼形声。原字𦣠は「臣(目の形)+人が伸びあがって立つさま」の会意文字。望はそれに月と音符亡(ボウ・モウ)を加えたもので、遠くの月を待ち望むさまを示す。見えない所を見ようとする意を含む、

とある(漢字源)。別に、

もと、𦣠と書き、象形で、目を大きく開いて、背のびした人が遠くをのぞむさまにかたどる。借りて、満月の意を表した。のち、会意形声で、月が加えられて朢(バウ)となり、さらに臣にかえて音符亡(バウ)が加わり、望の字形になった、

とあり(角川新字源)、また、同趣旨で、

会意兼形声文字です(月+壬+亡)。甲骨文では「背伸びした人の上に強調した目のある」象形で「遠くをのぞむ」を意味する「望」という漢字が成り立ちました。(金文から、「月」が付されるようになり、「満月」の意味も表すようになりました)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji685.html

「望」 成り立ち.gif

(「望」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji685.htmlより)

「臨」(リン)は、

会意。臣は、下に伏せてうつむいた目を描いた象形文字。臨は「臣(ふせ目)+人+いろいろな品」で、人が高いところから下方の物を見下ろすことを示す、

とある(漢字源)。別に、

「臨」 漢字.gif

(「臨」 https://kakijun.jp/page/1828200.htmlより)

形声。意符臥(ふせる)と、音符品(ヒム)→(リム)とから成る。物をよく見定める意を表す。転じて「のぞむ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(臥+品)。「しっかり見開いた目」の象形と「のぞきこむ人」の象形と「とりどりの個性を持つ品」の象形から、とりどりの個性を持つ品をのぞき込む事を意味し、そこから、「のぞむ」、「みおろす」を意味する「臨」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1072.html

「臨」 成り立ち.gif

(「臨」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1072.htmlより)

「莅」(リ)は、

会意。「艸(草で編んだ)+位(座席)」。座席やポストについて仕事をてきぱきと処理することをあらわす、

とあり(漢字源)、「身分の高いものがその場に出る」という意で、上述の、

臨と同義にして狭し、

と重なる。

「莅」 漢字.gif

(「莅」 https://kakijun.jp/page/E4AC200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:41| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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