2022年03月05日
神龍忽ち釣者の網にかかる
いづくより射るとも知らぬ流れ矢、主上(光厳帝)の御肱に立ちにけり、陶山(すやま)備中守、急ぎ馬より下り、矢を抜いて御疵を吸ふに、流るる血、雪の御膚(おんはだえ)を染めて、見まゐらするに目も当てられず、忝くも万乗の主、いやしき匹夫の矢先に傷(いた)められて、神龍忽ちに釣者(ちょうしゃ)の苦(あみ)にかかれる事、あさましき世の中なり(太平記)、
にある、
神龍忽ちに釣者の苦(あみ)にかかれる、
は、
神龍忽ち釣者の網にかかる、
といい、
尊貴な人(龍)が卑しい者(釣り人)の手にかかる喩え、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、
白竜が魚に化して漁者予且(よしょ)にその目を射られた、
という故事(予且の患い)などによる、とある(故事ことわざの辞典)。前漢の劉向撰編の故事・説話集『説苑』(ぜいえん)が出典らしい。
「神龍」(しんりょう)とは、
昨日は雲の上に雨をくだす神龍(シンレウ)たりき(平家物語)、
と、
神通力のある龍、
霊妙不思議な龍、
とある(精選版日本国語大辞典)。そんな龍が、釣り人の網にかかるとは、油断もさることながら、まさに、
あさましき事、
である。「あさまし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464317809.html)は、
見下げる意の動詞アサムの形容詞形。あまりのことにあきれ、嫌悪し不快になる気持、
であり、転じて、
驚くようなすばらしさにいい、副詞的には甚だしいという程度をあらわす、
とある(岩波古語辞典)。意味の流れは、
意外である、驚くべきさまである(「思はずにあさましくて」)、
↓
(あきれるほどに)甚だしい(「あさましく恐ろし」)、
↓
興ざめである、あまりのことにあきれる(「つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり」)、
↓
なさけない、みじめである、見苦しい(「あさましく老いさらぼひて」)、
↓
さもしい、こころがいやしい(「根性が浅ましい」)、
↓
(あさましくなるの形で)亡くなる(「つひにいとあさましくならせ給ひぬ」)、
と、驚くべき状態の状態表現から、その状態への価値表現へと転じたとみれば、驚くより、
呆れ果てた、
見苦しい、
という含意がいいのかもしれない。
神龍忽ち釣者の網にかかる、
と、似た言い回しに、
蚊龍(こうりょう)は深淵の中に保つ。若し浅渚(せんしょ)に遊ぶ則(とき)は、漁網釣者(ちょうじゃ)の愁(うれ)へ有り(太平記)、
とある、
蚊龍は深淵の中に保つ云々、
は、上述の、
神龍忽ち釣者の網にかかる、
と同じく『説苑』(ぜいえん)出典で、
水中の龍は普段深淵の中におり、浅瀬に遊ぶと、網にかかったり釣り上げられたりする、
という意になる。
すぐれた人物も、油断すると思わぬ失敗をする、
意で使う(兵藤裕己校注『太平記』)。
蛟竜(こうりょう・こうりゅう)、
は、
中国古代の想像上の動物、まだ龍にならない蛟(みずち)。水中にひそみ、雲雨に会して天に上り龍になるとされる、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。これが上述の、
予且の患い、
あるいは、
白竜魚服(はくりょうぎょふく)、
ともいう故事で、
白竜が普通の魚の姿に化けて泳いでいたところを漁師予且に射られた、
というのによる。「白竜」は、
白い龍、
だが、
夫白竜、天帝之貴畜也(説苑)、
と、
天帝の使い、
とされる。ために、
白竜は天帝に訴えたが、天帝は人が魚を射るのは当然であり、非は魚の姿をして予且の前に出た白竜にあるとして、予且を咎めなかった、
とされる(故事ことわざの辞典)。そこから、
呉王欲従民飲酒。伍子胥諫曰、不可。昔白竜下清令之淵、化為魚、漁者予且射中其目。……今棄万乗之位、而従布衣之士飲酒、臣恐其有予且之患矣。王乃止、
と、
戦国時代の呉王がしのび歩きをしようとするのを、伍子胥が諫めてその危険の喩えにし、呉王を諫めた故事から、
貴人の微行、
または、
貴人がお忍びで外出して災難にあうこと、
の意味となった(仝上・広辞苑)。「魚服」は、
魚の服装をするという意味から、身分の高い人がみすぼらしい格好をすること、
のたとえである(仝上)。「万乗」は、
1万台の兵車、
の意だが、
古代中国の天子は一万輌の兵車を有した、
ために言う(兵藤裕己校注『太平記』)。中国、周の制度では、戦時、天子はその直轄領から兵車1万台を出すことになっていたので、転じて、
万乗の君、
万乗の主、
などと、
天子の称、
となった。
万乗の国、
は兵車1万台を出せる大国を意味し、「千乗」は、
兵車1000台を出せる大諸侯、
を、その国を「千乗の国」とよび、
百乗の家、
は、
兵車100台を出せる卿(きょう)、大夫の地位にある者、
をいった(日本大百科全書)。「万乗」は、日本では、冒頭引用の、
忝くも万乗の主(太平記)、
のように、
天皇の称、
として用いられ、「一天万乗の君」「万乗の位」などと用いられる(仝上)。
「亢龍悔い有り」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484356729.html)で触れたように、「龍」(漢音リョウ、呉音リュウ、慣用ロウ)は、
象形。もと、頭に冠をかぶり、胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様を添えて、龍の字となった、
とある(漢字源)。別に、
象形。もとは、冠をかぶった蛇の姿で、「竜」が原字に近い。揚子江近辺の鰐を象ったものとも言われる。さまざまな模様・装飾を加えられ、「龍」となった。意符としての基本義は「うねる」。同系字は「瀧」、「壟」。古声母は pl- だった。pが残ったものは「龐」などになった、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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