2022年03月12日

六道能化


はじめ三日の本尊には、来迎の阿彌陀の三尊、六道のうけの地蔵菩薩(曾我物語)、
われはかの入道(結城上野介入道道忠)が今度上洛せし時、鎧の袖に書きたりし六道能化(ろくどうのうげ)の主(あるじ)、地蔵薩埵にて候なり(太平記)、

などとある、

六道のうけ、
六道能化の主、

とあるのは、

六道衆生を能く教化する地蔵菩薩、

の意で、地蔵は、

釈迦入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無仏世界の救世主とされる、

と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)が、

六道能化、

自体が、

六道にあって衆生を教化する者、

の意、つまり、

地蔵菩薩の異称、

とされ(広辞苑)、

五濁(ごじょく)の悪世において救済活動を行う菩薩、

である。

地蔵菩薩.bmp

(地蔵菩薩 精選版日本国語大辞典より)

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、

忉利天(忉利天(とうりてん、三十三天 須弥山の上にある)に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩、

であるとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

忉利天.jpg

(須弥山の上に位置する忉利天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%89%E5%88%A9%E5%A4%A9より)

「地蔵」は、

サンスクリット語クシティ・ガルバKiti-garbha、大地を母胎とするもの、

の意で、

一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏性(ぶっしょう)があるという如来蔵(にょらいぞう)思想と関連し、大乗仏教の比較的後期に現れた、

とされ、『地蔵菩薩本願経(ほんがんきょう)』に、

仏になることを延期して、菩薩の状態にとどまり、衆生の罪苦の除去に携わることを本願とした、

とある。

しばしば比丘(びく 修行者)の姿をとり、剃髪(ていはつ)し、錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうしゅ)を持つ。天上から救済活動を行う他の仏、菩薩と違い、自ら六道を巡る菩薩、

である(日本大百科全書)。地蔵信仰は、

平安朝末から中世にかけて民間信仰として普及し、堂宇に祀(まつ)るだけでなく、道の辻、橋のたもとなどに石像を立てて祀るようになった、

とされ、今日民間における地蔵信仰では、

子育て地蔵、子安(こやす)地蔵、夜泣き地蔵、乳貰(もら)い地蔵、田植地蔵、鼻取り地蔵、いぼ取り地蔵(縛り地蔵)、雨降り地蔵、雨止(や)み地蔵、親子地蔵、腹帯地蔵、雨降地蔵、お初地蔵、とげぬき地蔵、勝軍地蔵、延命地蔵、

等々、何々地蔵とよばれるものが100以上にも及ぶといい(仝上)、各地にある、

六地蔵、

は、上述の六道の衆生を済度するというのに因み、六道のそれぞれにあって、典籍によって名称は異なるが、

檀陀(だんだ 地獄道を教化する)、
宝珠(ほうじゅ 餓鬼道を教化する)、
宝印(ほういん 畜生道を教化する)、
持地(じじ 阿修羅道を教化する)、
除蓋障(じょがいしょう 人間道を教化する)、
日光(にっこう 天道を教化する)、

の六種の地蔵をいう、とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

六地蔵.jpg


「能化」(のうげ・のうけ)は、

我及諸子若不時出。必為所焼者。我譬能化仏、諸子譬所化衆生(法華義疏)、

と、

他を教化できる者、

の意だが、主として、

仏・菩薩、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「六道」は、「六道の辻」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475321240.htmlで触れたように、

天道(てんどう、天上道、天界道とも) 天人が住まう世界である。
人間道(にんげんどう) 人間が住む世界である。唯一自力で仏教に出会え、解脱し仏になりうる世界、
修羅道(しゅらどう) 阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる、
畜生道(ちくしょうどう) 畜生の世界である。自力で仏の教えを得ることの出来ない、救いの少ない世界、
餓鬼道(がきどう) 餓鬼の世界である。食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる、
地獄道(じごくどう) 罪を償わせるための世界である、

だが、

六道の辻、

あるいは、

六道の巷(たまた)、

といい、

六道の辻へ罷出、ぎんみして、よきざい人を、ぢごくへおとさばやと存候(虎明本狂言「朝比奈(室町末~近世初)」)、

と、

六道へ通じる分かれ道、

を指し、日本では死後の世界を六道とするため、墓地を、

六道原、

というところがあり、京都東山の鳥辺野葬場の入口も、

六道の辻、

といい、

愛宕の寺も打過ぎぬ、六道の辻とかや、実おそろしや此道は、冥途に通ふなる物を(光悦本謡曲「熊野(1505頃)」)、

と、通称「六道さん」と呼ばれる、

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)、

の付近が「六道の辻」であるとされるのは、この寺の所在地付近が、

平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境、

にあたると考えられるからである。

因みに、

六道錢、

というのは、

仏葬に、死者を葬る時、棺中に入るる錢六文、

を言う(大言海)。

六道能化の地蔵への賽銭、

の意とも、

三途の川の渡錢、

ともいう(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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