その声天に響いて、非想非々想天(ひそうひひそうてん)までも聞こえやすらんとおびただし(太平記)、
とある、
非想非々想天、
は、
猛火(みょうか)雲を焦がして翻る色は、非想天の上までも昇り(仝上)、
と、略して、
非想天、
ともいい、
無色界の第四天で、三界(欲界・色界・無色界)の諸天の最頂部にある天の名、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。
非想非非想処、
非想、
非非想天、
非有想非無想天、
などともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
三界の中で最上の場所である無色界の最高天、
つまり、
全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)、
という意味で、「摩醯修羅(まけいしゅら)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485376769.html?1643227808)で触れたように、三界は有(う)ともよばれるので、その頂上にあるこの天は、
有頂天(うちょうてん)、
ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9)が、「摩醯首羅」は、
ヒンドゥー教の、世界を創造し支配する最高神シヴァの別名、イーシュヴァラで、万物創造の最高神、
とされ(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9)、
色究竟天(しきくきょうてん・しきくぎょうてん)、
に在す、とある(仝上)。「色究竟天」は、
阿迦尼吒天(あかにだてん)、
ともいい、
三界(無色界・色界・欲界の3つの世界)のうち、色界の最上位に位置する、
とされ(仝上)、鳩摩羅什漢訳の『法華経』序品では、
無色界の最上位である非想非非想天ではなく、この色究竟天が有頂天であると位置づけられている、
ともある(仝上)ので、この意味から、「有頂天」には、
色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)、
とする説、
色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)
とする説の二説がある(広辞苑)ことになる。
「無色界」は、
無色天(むしきてん)、
ともいい、色界より上位の世界で、
空無辺処(くうむへんしょ 無量空処 第一天。物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地)、
識無辺処(しきむへんしょ 第二天。認識作用の無辺性についての三昧の境地)、
無処有処(むしょうしょ 第三天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地)、
非想非非想処(ひそうひひそうしょ 第四天。三界の中で最上の場所である無色界の最高天)、
の四天からなり、「非想非々想天」に生まれるものは、
粗(あら)い想念の煩悩がないから、
非想、
または、
非有想、
というが、
微細なものが残っているから、
非々想、
非無想、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9・広辞苑)、とある。
なお、仏教以外のインド宗教では、「非想非々想天」は、
解脱の境地、
とされたが、仏教では、
釈迦がこれからさらに解脱したところに真の涅槃を見出した、
とされ(精選版日本国語大辞典)、いまだ、「非想非々想天」は、
迷いの境地、
とされる(広辞苑)。
因みに、無色界の四天の下は、色界の、
第四禅天、
第三禅天、
第二禅天、
初禅天、
欲界の、
空居天(くうごてん)、
地居天(じごてん)、
と続く(http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/ten.html)が、色界の第四禅天には、
色究竟天(しきくきょうてん)、
善現天(ぜんげんてん)、
善見天(ぜんけんてん)、
無熱天(むねつてん)、
無煩天(むぼんてん)、
無想天(むそうてん)、
広果天(こうかてん)、
福生天(ふくしょうてん)、
無雲天(むうんてん)、
とあり(仝上)、その頂点にあるのか、
色究竟天(しきくきょうてん)、
で、これを、
有頂天、
とする説があるとしたのは上記の通りである。
「非」(ヒ)は、
象形。羽が左と右とに背いたさまを描いたもの。左右に払いのけるという拒否の意味をあらわす、
とある(漢字源)。「羽」(ウ)の、
二枚のはねをならべおいたもの、
という「羽」の字と比べると、その意味が納得できる(仝上)。
(「非」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%9Eより)
(「羽」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%BDより)
「想」(慣用ソ、漢音ショウ、呉音ソウ)は、
会意兼形声。相は「木+目」からなり、向こうにある木を対象として見ることを示す。ある対象に向かって対する意を含む。想は「心+音符相」で、ある対象に向かって心で考えること、
とある(漢字源)。
形声。心と、音符相(シヤウ、サウ)とから成る。こいねがう気持ち、ひいて、かんがえる意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(相+心)。「大地を覆う木の象形と目の象形」(事物の姿を「みる」の意味)と「心臓の象形」から、心にものの姿をみる、「おもう」を意味する「想」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji436.html)。
形声。心と、音符相(シヤウ、サウ)とから成る。こいねがう気持ち、ひいて、かんがえる意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(相+心)。「大地を覆う木の象形と目の象形」(事物の姿を「みる」の意味)と「心臓の象形」から、心にものの姿をみる、「おもう」を意味する「想」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji436.html)。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95