或る若大衆(だいしゅう)一人(いちにん)走り寄つて、これを引つ立てんとするに、その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し(太平記)、
とある、
那羅延(ならえん)、
は、
帝釈天の眷属で、仏法守護の大力の神、密迹(みっしゃく)と対で、二王(仁王)といわれる、
とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、
那羅延金剛(ならえんこんごう)、
あるいは、
那羅延天(ならえんてん)、
の略であり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、「那羅延(Nārāyaṇa)」は、
バラモン教・ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが、仏教に取り入れられ護法善神とされたもの、「那羅延」とはヴィシュヌの異名「ナーラーヤナ」の音写、ヴィシュヌの音写として毘瑟笯(びしぬ)、毘紐[(びちゅう、びにゅう)、毘紐天(びちゅうてん、びにゅうてん)、
とも表記され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%BE%85%E5%BB%B6%E5%A4%A9)、大力があるとして、
勝力、
と訳され(仝上)、その大力を、
餠を作りて三宝に供養すれば、金剛那羅延の力を得云々といへり(「日本霊異記(810~824)」)、
と、
那羅延力、
という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。その大力の故に、
釣鎖力士、
とも称す(大言海)、とある。唐代の密教の要義約百条を解説した『秘蔵記』には、
那羅延天、三面、靑黄色、右手持輪、乗迦楼羅鳥、
とある。「迦楼羅鳥」は「迦楼羅炎(かるらえん)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486022291.html?1647372366)で触れたように、
両翼をのばすと三三六万里あり、金色で、口から火を吐き龍を取って食う
という神話的な鳥である。
(那羅延天(『諸尊図像鈔』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%BE%85%E5%BB%B6%E5%A4%A9より)
「密迹(みつしゃく)」は、サンスクリットの、
ヴァジュラパーニ(Vajrapāni)、
または、
ヴァジュラダラ(Vajradhara)、
の漢訳、
金剛杵(こんごうしょ 仏敵を退散させる武器)を持つもの、
の意味(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%A3%AB)で、「密迹(みつしゃく)」は、
常に仏に侍して、其秘密の事跡を憶持する意、
とあり(大言海)、
密迹力士、
金剛密迹(密迹金剛 みっしゃくこんごう)、
執金剛神(しゆうこんごうじん・しゆこんごうしん)、
跋闍羅波膩(ばじゃらぱに)、
伐折羅陀羅(ばざらだら)、
金剛手(こんごうしゅ)
持金剛(じこんごう)、
等々とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%A3%AB・精選版日本国語大辞典)。これを、「金剛を持つもの」の意から、
金剛力士、
とし、
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。寺院の門に配される際には仁王(におう、二王)の名で呼ばれる、
とあり(仝上)、
半裸の力士形に作られ、寺門の左右に安置されるもの(執金剛神)は、普通、仁王(二王)と呼ばれる、
ともあり(広辞苑)、「密迹金剛」の二体がおかれるように読めるが、「金剛力士」の、
其一を、金剛密迹天と云ひ、其一を、那羅延天、又那羅延金剛と云ふ、共に金剛神、又金剛手(こんごうしゅ)とも称し、其力量、非常なりと云ふ。此の二神を、二王尊とも称し、巨大なる立像を作り、寺門の両脇に安置したるを二王門と云ふ、各、裸体にて、腰に布を纏ひ、顔面、手足、勇猛なる相をなす、閒に向かひて、右方に金剛密迹を置く、金剛杵を執りて、口を開く、左方に那羅延を置く、口を閉づ、開閉は阿吽の二音を表す、
とあり(大言海)、
本光寺の阿形像は「那羅延金剛」(ならえんこんごう)、吽形像は「密迹金剛」(みっしゃくこんごう)です、
とある(https://www.honkouji.com/butsujin/niouzou)。阿形の仁王像は金剛杵を持ち、
密迹金剛力士の当初の性格を示す、
とある(世界大百科事典)。だから、「仁王」像は、
「金剛」をもつ「密迹金剛」二体、
なのか、
右に密迹金剛、左に那羅延金剛、
なのか、ちょっと分からないところがある。普通に考えれば、対の、
密迹金剛と那羅延金剛、
だが、金剛をもつから、
金剛力士、
というのなら、
密迹金剛、
が並んでいるという見方も可能である。金剛杵を持つ執金剛神(しゆうこんごうじん・しゆこんごうしん)は、
金剛力士、密迹力士(みつじゃくりきし)、密迹金剛力士などの称があり、金剛杵を執ってつねに釈尊を守る神であるから、仁王の本来の尊像と同一のものである、
とするの(仝上)は、故なくはない。なお、「密迹金剛」は、
中国の竜門や雲岡の諸像の中に鎧を着た武将像として表現され、日本の古代の作例の中にも東大寺三月堂の須弥壇上にある乾漆造仁王像(奈良時代)や法隆寺蔵橘夫人厨子扉絵の像、東大寺三月堂の執金剛神像(奈良時代)は鎧で武装した像であり、中国の像の形式を伝える、
とある(仝上)。因みに、「阿吽」は、
サンスクリット語のア・フームa-hūの音写、
で、密教では、
「阿」は口を開いて発音する最初の音声で、すべての字音は阿を本源とし、「吽」は口を閉じて発音する音声で、字音の終末とする、
とされるが、
阿は呼気、吽は吸気であるとともに、それらは万有の始源と究極とを象徴する、
とか、
阿字には不生(ふしょう)、吽字には摧破(さいは)の意がある、
等々とされ、
菩提心と涅槃などに当てる、
とされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
向かって右が口を開き、左が口を閉じ、
阿吽を表している。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95