その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し。金剛の杵(しょ)も砕き難くぞ見えたりける(太平記)、
とある、
金剛の杵(しょ)、
は、
仏の知恵を表し、煩悩を打ち砕く密教の法具、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「那羅延(ならえん)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486035712.html?1647459272)については、別に触れた。
「杵」(ショ)は、
会意兼形声。午は、きねを描いた象形文字。杵は「木+音符午」。午が十二支の午(うま)に用いられたため、区別するために音符木を加えて、午の原義を表すようになった。午は、交差する意を含み、交互に上下するきねをあらわした、
とある(漢字源)。
断木為杵、掘地為臼(木を断りて杵と為し、地を掘りて臼と為す)(易経)、
とあるように、
臼の中に入れた穀物などを搗く道具、
の意である。
「金剛杵(こんごうしょ)」は、
サンスクリット語ヴァジュラvajra、
が、
手杵(てぎね)の如し、
ということで名づけられた(大言海)。
中央部が取っ手で両端に刃がついている。堅固であらゆるものを打ち砕く、
ところから、
金剛、
の名を冠し、
金剛杵、
といい、
跋折羅(ばさら・ばざら)、
ともいう(大言海・広辞苑)。
雷をかたどったもの、
といわれ、
インド神話でインドラ(帝釈天)の下す雷電、
を指し、本来は、
雷霆(らいてい)神インドラの所持物、
である(世界大百科事典)が、のち仏教では、
この武器を持った神(執金剛神)がいつも影のように仏につき従い、仏を守護していた、
と考えられた(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E6%9D%B5)。
(ヴァジュラ(金剛杵)と剣を持つインドラ(帝釈天) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E6%9D%B5より)
密教の法具としての金剛杵は、この武器が堅固であらゆるものを摧破(さいは)するところから、
至青龍寺、随阿闍梨法全、重受灌頂、学胎蔵界法、尽其殊旨、阿闍梨以金剛杵并義䡄(軌)法門等、付属宗叡(「三代実録~元慶八年(884)」三月二六日)、
と、
煩悩を破る悟りの智慧の象徴として採り入れられた(仝上・精選版日本国語大辞典)。
両端の刃先の形によって、
1本だけ鋭くとがった刃先の独鈷(独股 とっこ・とこ・どっこ)、
刃先に両側から勾(かぎ)形に湾曲した刃を2本備えた三鈷(さんこ 三股)、
四方から4本備えた五鈷(ごこ 五股)、
等々ある(仝上)。合類節用集(延宝八年(1680))に、
三鈷杵、鈷、本字、股、盖(ふた)、三枝之義、
とあり、「鈷」は、
股の義、
で、独鈷は、
一股杵の略、
で、
三股をなすを三鈷、
五股をなすを五鈷、
という(大言海)が、さらに、
二鈷(にこ)、四鈷(しこ)、九鈷(きゅうこ)、人形杵、羯磨(かつま)杵、塔杵、宝杵、
等々、その種類は多いが、上記三種がもっとも一般に用いられていて(日本大百科全書)、独鈷、三鈷、五鈷は、それぞれ、
一真如・三密三身・五智五仏の義、
を表わす(精選版日本国語大辞典)、とある。
(上から、独鈷杵(どっこしょ)・三鈷杵(さんこしょ)・五鈷杵(ごこしょ) https://www.kongohin.or.jp/mikkyohogu.htmlより)
密教法具は当初、
最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡の入唐八家によって請来されたが、おのおのに若干の異同があり、大別すると金剛杵(こんごうしよ)と金剛鈴(こんごうれい)が主流をなし、異種に独鈷(どつこ)杵の端に宝珠をつけた金錍(こんべい)があり、そのほか輪宝(りんぼう)、羯磨(かつま)、四橛(しけつ)、盤子(ばんし) 金剛盤)、閼伽盞(あかさん)、護摩(ごま)炉、護摩杓などがあるが、供養具まで完備するには至っていない。やがて、壇上に火舎(かしや 香炉)を中心に六器(ろつき)、花瓶(けびよう)、飯食器(おんじきき)などをそろえた一面器、さらに四面器を配するなど、密法法具の整備拡充が進む、
とある(世界大百科事典)。
帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。
天主帝釈、
天帝、
天皇、
ともいい、バラモン教の、
インドラ(indra)と同一の神、
であり、
雷霆神(らいていしん)、
であり、
武神、
である(日本大百科全書)。仏教では、世界を守護する12種の天神、
十二天の一つ、
で、
八方天の一つ、
として東方を守る。十二天とは、
八方天と上下の天と日月とからなる。
東方の帝釈天(たいしゃくてん インドラIndra)、
南方の焔魔天(えんまてん ヤマYama)、
西方の水天(バルナVaruna)、
北方の毘沙門天(びしゃもんてん バイシュラバナVaiśravaa、クベーラKuvera)、
東南方の火天(アグニAgni)、
西南方の羅刹天(らせつてん ラークシャサRākasa)、
西北方の風天(バーユVāyu)、
東北方の伊舎那天(いしゃなてん イーシャーナĪśāna)、
上方の梵天(ぼんてん ブラフマーBrahmā)、
下方の地天(ちてん プリティビーPthivī)、
日天(にってん スーリヤSūrya)、
月天(がってん チャンドラCandra)、
で、特に八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る諸尊を、
八方天、
あるいは
護世八方天、
という
須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の善見城(ぜんけんじょう)に住して、四天王を統率し、人間界をも監視する、
とされる(仝上)。仏教では、四王天を、
持国天(じこくてん 東方の勝身(しょうしん)州)、
増長(ぞうちょう)天(南方の瞻部(えんぶ)州)、
広目(こうもく)天(西方の牛貨(ごか)州)、
多聞(たもん)天(毘沙門(びしゃもん)天。北方の瞿盧(くる)州)、
をいう(日本大百科全書)。
(須弥山の上に位置する忉利天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%89%E5%88%A9%E5%A4%A9より)
像形は一定でないが、古くは、
高髻で、唐時代の貴顕の服飾を着け、また外衣の下に鎧を着けるものもあるが、平安初期以降は密教とともに天冠をいただき、金剛杵(こんごうしょ)を持ち、象に乗る姿が普及した、
とあり、彫刻では京都東寺(教王護国寺)講堂の白象に乗る半跏像(はんかぞう)、奈良唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂の立像、
が著名である(精選版日本国語大辞典)。
(東寺講堂の帝釈天半跏像 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95