2022年03月19日
あだし心
世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、
の、
あだし心、
は、
徒し心、
と当てたりする(岩波古語辞典)が、
浮ついた心、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。ただ、あだし、
には、
徒し、
のほか、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
等々とも当て、意味を異にする。いずれも、古くは、
あたし、
であった(広辞苑・岩波古語辞典)。
君に逢へる夜霍公鳥(ほととぎす)他(あたし)時ゆ今こそ鳴かめ(万葉集)、
と、
他し、
異し、
と当てる意は、
異なっている、
別である、
になる。類聚名義抄(11~12世紀)に、
他、アタシ、
とある(広辞苑・岩波古語辞典)。
殿の御前の御聲は、あまたにまじらせたまはず、徒しう聞こえたり(栄花物語)
の、
徒し、
空し、
と当てる意は、
空しい、
不実である、
になり(仝上)、
徒を活用せしむ語(眞(まこと)しき、大人しき)、あだし契、あだし世、などと云ふは、終止形を名詞に接しむる用法にて、厳(いか)し矛(ほこ)、空し車、同例なり、
とあり(大言海)、
意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とある(岩波古語辞典)。「あだし心」はその典型例になる。
王は外道に党(かたちは)へり(味方した)。それ敵(あだ)すべけむや(大唐西域記)、
と、
仇し、
敵し、
と当てる意は、
敵対する、
はむかう、
になり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)には、
敵、アタル、カタキ、アタ、
とある。だから、
アタは仇、
とある(仝上)。
「あだ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456168855.html)で触れたことだが、
徒し、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
とあてる「あだし」の語幹「あだ」は、いずれも古くは、
あた、
と、清音だが、
徒・空、
他・異、
仇・敵、
の三通りがある。「徒」は、
無用の意を言うアヒダ(閒)の約(大言海・名言通)、
アダシ(他し)の語根(大言海)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍(うきくさ)の跡)、
など諸説あるが、「他」との関係について、「他」は、
徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、
と、
他(異)し、
と
徒(空)し、
を繋げている(大言海)。有名な、
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集)、
を、
徒し、
ではなく、
他し、
と当てている(岩波古語辞典)のを、
アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とする(仝上)のは、意味の近さからではないか。
他し心、
は、
他に心を移している、
意であり、
徒し心、
は、それゆえの、
不実な心、
ということになる。もともと「あだし心」は、
異なる、他のものに心を移す、
という状態表現にすぎなかったが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、
徒し心、
へとシフトしたのかもしれない。
「仇し」については、「あだ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456168855.html)で触れたように、
語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓、中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており、江戸中期の文献あたりでは、いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので、江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる、
とあり(日本語源大辞典)、
當(あた)るの語根、名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名(元禄)「アタは、當る也、我と相當る也、敵當の意なり」(大言海)、
「アタ(当たるの語幹)の変化」です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです(日本語源広辞典)、
と、「仇きに同じ」として、
憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、
と、その意味から濁点化したとみている(大言海)。もともと、
びたりと向き合って敵対するものの意、
と(岩波古語辞典)いう状態表現であったものが、「憎む」価値表現を加味したということかもしれない。
「徒」(漢音ト、呉音ズ・ド)は、
形成。「止(あし)+彳(いく)+音符土」で、陸地を一歩一歩とあゆむことで、ポーズをおいて、一つ一つ進む意を含む、
とある(漢字源)が、別に、
「辵」と「土」を合わせた漢字。「辵」は歩くことを意味し、「土」は地面、同時に音(ト)を示す。「徒」は地面を踏みしめ歩くことである、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%92)、
会意兼形声文字です(彳+土+止)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「足」の意味)から、道を行く時に乗物に乗らず、土を踏んで「あるく」を意味する「徒」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji593.html)。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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