庶幾(こいねが)ひて聴(きき)を貪る処に、儻(たまたま)、青鳥(せいてう)を投じて丹心(たんしん 忠義の誠)を竭(つく)さる(太平記)、
にある、「せいちょう」と訓ます、
青鳥、
は、文字通り、
青鳥居山日、丹鳥(鳳凰)表瑞時(張衡「西京賦」)、
と、漢語であり、
青い鳥、
の意で、
藍鳥、
とも表記する(https://dic.pixiv.net/a/%E9%9D%92%E9%B3%A5)が、ここでは、
西王母の使いの鳥、
の意で、
転じて、
使者、
また、
書簡、
の意である(広辞苑・兵藤裕己校注『太平記』)。
(前漢第七代皇帝 武帝(ぶてい) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%9D_%28%E6%BC%A2%29より)
この由来は、
七月七日、忽有青鳥、飛集殿前、東方朔曰、此西王母欲來、有頃王母至、三靑鳥夾侍王母傍(漢武故事)、
による、
前漢の東方朔が、三足の青い鳥の飛来したのを見て、西王母の使いであるといった、という故事による(字源・大言海)。「漢武故事」は、「漢武内伝」とともに、
中国、六朝時代(222~ 589年)の志怪小説、
で、「漢武故事」は、
漢の武帝の出生から崩御までを描いたもの、
であり、「漢武内伝」は、
『漢武故事』の武帝の行状のうち、神仙との交渉をおもに述べたもので、特に西王母と会って宴をともにし、仙書を授けられる話が中心になっている、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
後漢の班固の作と称するが、いずれも六朝人の偽作と考えられている、
とある(仝上)。「史記」司馬相如傳に、
幸有三足鳥、為之使、
とあり、その註に、
三足鳥、青鳥也、主為西王母取食、
とある(大言海)。
案内を達せんとするところに、青鳥飛来りて芳簡(はうかん)を投げたり(「平家物語(13C前)」)」、
とか、
翌日青鳥飛来投芳簡(源平盛衰記)、
とか、
方々御下文等、被附此青鳥(「吾妻鑑(1300年頃)」)、
等々、使者や書簡のメタファとして使われている。
「靑(青)」(漢音セイ、呉音ショウ)は、
会意。「生(あおい草の芽生え)+丼(井戸の中に清水のたまったさま)」で、生(セイ)・丼(セイ)のどちらかを音符と考えてよい。あお草や清水のような澄み切ったあお色、
とある(漢字源)が、
会意形声。丹(井の中からとる染料)と、生(セイ は変わった形。草が生えるさま)とから成り、草色をした染料、「あお」「あおい」意を表す、
とも(角川新字源)、
会意。「生」と「丹」を合わせた字形に由来する、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%91)、
会意兼形声文字です。「草・木が地上に生じてきた」象形(「青い草が生える」の意味)と「井げた中の染料(着色料)」の象形(「井げたの中の染料」の意味)から、青い草色の染料を意味し、そこから、「あおい」を意味する「青」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji137.html)あり、「生」と「丹」とする説が大勢のようだ。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:青鳥