御辺は今、六道四生の間、いづれの所に生じておはするぞ(太平記)、
に、
六道四生、
とあるは、
ろくどうししょう、
と訓ませ、
六道は、欲望が支配する欲界の衆生が輪廻する六種の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)、四生は、四種の生れ方(胎生・卵生・湿生・化生)、
と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)。正倉院文書にも、
百工遵有道之風、十方三界、六道四生、同霑此福、咸登妙果(天平勝宝八年(756)六月二一日・東大寺献物帳)、
とある(精選版日本国語大辞典)が、
六趣四生、
ともいう。
(「「三界図」(江戸末期) それぞれの世界の海抜、距離、住民の寿命と身長などが書き込まれている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%8Cより)
「欲界」は、「摩醯修羅(まけいしゅら)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485376769.html)で触れたように、仏教における、
欲界、
色界、
無色界、
の三つの世界の一つとされ、欲界には、「天魔波旬」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486132894.html?1648063382)で触れた、六種の天が、上から、
他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、
化楽天(けらくてん、楽変化天=らくへんげてん) 六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、
兜率天(とそつてん、覩史多天=としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある。菩薩がいる場所、
夜摩天(やまてん、焔摩天=えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、
忉利天(とうりてん、三十三天=さんじゅうさんてん) 六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、
四大王衆天(しだいおうしゅてん) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、
とある(http://yuusen.g1.xrea.com/index_272.html他)。そして、「六道」(ろくどう・りくどう)は、「六道の辻」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475321240.html)で触れたように、
天道(てんどう、天上道、天界道とも) 天人が住まう世界である。
人間道(にんげんどう) 人間が住む世界である。唯一自力で仏教に出会え、解脱し仏になりうる世界、
修羅道(しゅらどう) 阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる、
畜生道(ちくしょうどう) 畜生の世界である。自力で仏の教えを得ることの出来ない、救いの少ない世界、
餓鬼道(がきどう) 餓鬼の世界である。食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる、
地獄道(じごくどう) 罪を償わせるための世界である、
を指し、このうち、
天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)、
といい、
畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)、
という(大言海)らしい。この六つの世界のいずれかに、
死後その人の生前の業(ごふ)に従って赴き住まねばならない、
のである(岩波古語辞典)。
「六道」は、
梵語ṣaḍ-gati(gatiは「行くこと」「道」が原意)、
の漢訳で、
6つの迷える状態、
の意(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93)。
「隔生則忘(きゃくしょうそくもう)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485335998.html)で触れたように、大乗仏教が成立すると、六道に、
声聞(仏陀の教えを聞く者の意で、仏の教えを聞いてさとる者や、教えを聞く修行僧、すなわち仏弟子を指す)、
縁覚(仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者を指す)、
菩薩(一般的には菩提(悟り)を求める衆生(薩埵)を意味する)、
仏(「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味する)、
を加え、六道と併せて十界を立てるようになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB)が、「六道」は、
六趣、
六界、
ともいい、
衆生(しゅじょう)がその業(ごう)に従って死後に赴くべき六つの世界、
であり、
生まれ変わりながら何度も行き来する、
と考えられている。
「四生」(ししょう)は、生物をその生まれ方から、
胎生(たいしょう 梵: jarāyu-ja)母胎から生まれる人や獣など、
卵生(らんしょう 梵: aṇḍa-ja)卵から生まれる鳥類など、
湿生(しっしょう 梵: saṃsveda-ja)湿気から生まれる虫類など、
化生(けしょう upapādu-ka)他によって生まれるのでなく、みずからの業力によって忽然と生ずる、天・地獄・中有などの衆生、
の四種に分けた(岩波仏教語辞典)。
要するに、「六道四生」とは、
六道のどこかに、胎生・卵生・湿生・化生の四つの生まれ方のどれかをとって生まれること、
の意味(精選版日本国語大辞典)になり、
衆生が生まれ変わり、流転している状態、
を指す(広辞苑)。
冒頭の引用は、大森彦七盛長という武者が、鬼となって現れた楠木正成に、
六道四生(ろくどうししょう)の間、いづれの所に生じておはするぞ、
と、問いかけているのである。正成は、先帝後醍醐に供奉し、先帝は、
摩醯修羅(大自在天)の所変にておはせしかば、今帰って欲界の六天に御座あり、
と答え、自らは、
修羅の眷属となりて、
といい、
千頭王鬼となって七頭の牛に乗っている姿、
を現すのである(太平記)。なお、「六道能化」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485970447.html?1647027751)で触れたように、六道衆生の救い主は、
地蔵菩薩、
であり、地蔵は、
釈迦入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無仏世界の救世主とされる、
「六」(漢音リク、呉音ロク)は、
象形。おおいをした穴にを描いたもの。数詞の六に当てたのは仮借(カシャク 当て字)、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AD)が、
象形。屋根の形にかたどる。借りて、数詞の「むつ」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「家屋(家)」の象形から、転じて数字の「むつ」を意味する「六」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji128.html)あり、「穴」か「家」だが、甲骨文字を見ると、「家」に思える。
(「六」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%ADより)
「道」(漢音トウ、呉音ドウ)も、
会意形声説。「辵」(足の動きを意味する)+音符「首」(古くは同系統の音とする)で、ある方向を向いた道を表わす(藤堂明保)、
と、
会意説。魔除に他部族の首を刎はね、供えた(白川静)、
と、説がわかれる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93)。
会意兼形声。「辶(足の動作)+音符首」で、首(あたま)を向けて進みゆくみち。また迪(テキ みち)と同系と考えると、一点から出て延びていくみち(漢字源)、
会意形声。辵と、首(シウ)→(タウ かしら。先導する者)とから成る。目的地までみちびく意を表す。「導(タウ)」の原字。一説に、会意で、邪気をはらうために、生首を持って行進する意を表すという。転じて「みち」の意に用いる(角川新字源)、
などは、前者になる。
(「道」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93より)
会意兼形声文字です。(行+首)。「十字路」の象形(「行く、みち」の意味)と「目と髪を強調した頭」の象形(「首」の意味)から、異民族の首を埋めた清められた「みち」を意味する「道」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji216.html)のは、後者になる。
「四」(シ)は、
会意。古くは一線四本で示したが、のち四と書く。四は「口+八印(分かれる)」で、口から出た息がばらばらに分かれることを表す。分散した数、
とある(漢字源)。それは、
象形。開けた口の中に、歯や舌が見えるさまにかたどり、息つく意を表す。「呬(キ)(息をはく)」の原字。数の「よつ」は、もとで4本の横線で表したが、四を借りて、の意に用いる(角川新字源)、
とか
指事文字です。甲骨文・金文は、「4本の横線」から数の「よつ」の意味を表しました。篆文では、「口の中のに歯・舌の見える」象形となり、「息」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「よつ」を意味する「四」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji126.html)、
とか、
象形。口をあけ、歯と舌が見えている状態。本来は「息つく」という意味を表す。数の4という意味はもともと横線を4本並べた文字(亖)で表されていたが、後に四の字を借りて表すようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9B)、
とかと、「指事」説、「象形」説とに別れるが、趣旨は同じようである。
(「四」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9Bより)
(「四」 楚系簡帛(かんぱく)文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9Bより)
「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.html)で触れたように、
会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、
とある(漢字源)。
ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
土の上に生え出た草木に象る、
とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、
屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9F)ため、
象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、
と別れるが、
象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji33.html)、
とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95