世すでに闘諍堅固(とうじょうけんご)になりぬれば、これならずとも、閑(のど)かなるまじき理(ことわ)りなれども(太平記)、
にある、
闘諍堅固、
は、
仏滅後の二千五百年を五つに区分した最後の五百年で、争いがたえない世、
をいう(兵藤裕己校注『太平記』)。文字通り、「闘諍」は、
修羅の闘諍、帝釈の争ひもかくやとこそ覚え侍ひしか(平家物語)、
と、
たたかい争う、
意、つまり、
闘争、
の意で、「堅固」は、
道心堅固の人なり(宇治拾遺)、
と、
物のかたくしっかりしていること、転じて心がしっかり定まって動かない、
意で使うが、「闘諍堅固」は、
次の五百年には、我が法の中において、言頌を斗諍し、白法隠没損減すること堅固ならん(「大集経(だいじっきょう)」=「大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)」)、
と(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%97%98%E8%AB%8D%E5%A0%85%E5%9B%BA)、
仏滅後二千五百年を五百年毎に区切った五五百歳(ごごひゃくさい)のうち、解脱堅固、禅定堅固、多聞堅固、造寺堅固につぐ第五の五百年、
を指し(岩波古語辞典)、
いはんやこの頃は第五の五百年闘諍のときなり(文永一一年(1274)「和語燈禄」)、
と、
諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時(精選版日本国語大辞典)、
仏教がおとろえ、互いに時節に固執して多と争うことのみ盛んである時代(岩波古語辞典)、
の謂いで、
末法、
を指す。「闘諍堅固」は、
闘諍言訟(とうじょうごんしょう)、
白法隠没(びゃくほうおんもつ)、
ともいい、法滅の危機だからこそ、
我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提(えんぶだい 人間が住む大陸)に広宣流布して断絶せしむること無かれ(法華経)、
と、
世界広宣流布の時、
とされる。「五五百歳」は、順に、
①解脱堅固(げだつけんご 仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代)、
②禅定堅固(ぜんじょうけんご 人々が瞑想修行に励む時代)、
③読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご 多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代)、
④多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご 多くの塔や寺院が造営される時代)、
⑤闘諍言訟(とうじょうごんしょう)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)=闘諍堅固、
とされ(大集経)、ここで「堅固」は、
変化、変動しない様をいい、定まっていること、
の意味で、
解脱・禅定堅固は正法時代、
読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、
闘諍堅固は末法、
と(https://www.seikyoonline.com/commentary/?word=%E4%BA%94%E4%BA%94%E7%99%BE%E6%AD%B3)、これを、
正法、
像法、
末法、
の、
三時説、
といい、仏教が完全に滅びる法滅までの時間を三段階に区切り、
釈尊の入滅の後しばらくは、釈尊が説いた通りの正しい教えに従って修行し、証果を得る者のいる正法の時代が続く。しかしその後、教と行は正しく維持されるが、証を得る者がいなくなる像法の時代、さらには教のみが残る末法の時代へと移っていき、ついには法滅に至る、
という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9C%AB%E6%B3%95)。南岳慧思の『立誓願文』(558年)では、
正法五百年、
像法千年、
末法万年、
と三時の年数を定め、
末法思想、
の嚆矢となる(世界大百科事典)、とある。日本では、『日本霊異記』がいち早く、
正法五百年・像法千年説、
に則り、延暦六年(787)はすでに末法であると表明している。その後平安期後半に源信の『往生要集』や最澄に仮託した『末法灯明記』が著され、
正法千年・像法千年説、
を取り、周穆王(ぼくおう)五二年(紀元前949)の仏滅説から計算して、
永承七年(1、052)、
を末法の年と見なした(仝上)、とある。
「鬪(闘)」(漢音トウ、呉音ツ)は、
会意兼形声。中の部分の字(音ジュン)は、たてる動作を示す。鬪は、それを音符とし、鬥(二人が武器をもってたち、たたかうさま)を加えた字で、たちはだかって切り合うこと。闘は鬥を門に替えた俗字で当用漢字に採用された、
とある(漢字源)。別に、
形声。鬥と、音符斲(タク)→(トウ)とから成る。旧字鬪は、その俗字。常用漢字は、旧字鬪の誤字闘による、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(門(鬥)+尌(斲))。「人がたたかう」象形と「頭がふくらみ、脚が長い食器、たかつきの象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形」(「物を置いておいて、斧で切る」の意味)から、「たたかう」を意味する
「闘」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1417.html)が、
鬭→鬪→闘、
の変化があったことになる。
「諍」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、
会意兼形声。爭(=争 ソウ)は、一つのものを両方に引っ張り合うことを示す会意文字。諍は「言+音符爭」で、ことばで両方からとりあいをすること。いさめる、うったえる、などというのはその派生義である、
とあり(漢字源)、「争」と同義で、「諍訟」(ソウショウ)と、「訟」と類義である(仝上)。
「堅石白馬」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484371677.html)で触れたように、「堅」(ケン)は、
会意兼形声。臤(ケン)は、臣下のように、からだを緊張させてこわばる動作を示す。堅はそれを音符とし、土を加えた字で、かたく締まって、こわしたり、形を変えたりできないこと、
とある(漢字源)が、別に、
土と、臤(ケン かたい)とから成り、土がかたい、ひいて、「かたい」意を表す。「臤」の後にできた字、
ともあり(角川新字源)、さらに、
会意兼形声文字です(臤+土)。「しっかり見開いた目の象形(「家来」の意味)と右手の象形」(神のしもべとする人の瞳を傷つけて視力を失わせ、体が「かたくなる」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)から、かたい土を意味し、そこから、「かたい」を意味する「堅」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1243.html)。
「固」(漢音コ、呉音ク)は、
会意兼形声。古くは、かたくひからびた頭蓋骨を描いた象形文字。固は「囗(かこい)+音符古」で、周囲からかっちりと囲まれて動きの取れないこと、
とあり(漢字源)、似た説に、
会意形声。「囗(囲い)」+音符「古」、「古」は、頭蓋骨などで、古くてかちかちになったものの意。それを囲んで効果を確実にしたもの、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%BA)が、別に、
形声。囗(城壁)と、音符古(コ)とから成る。城をかたく守る、ひいて「かたい」意を表す、
とか(角川新字源)、
(囗+古)。「周辺を取り巻く線(城壁)」の象形と「固いかぶと」の象形(「かたい」の意味)から城壁の固い守り、すなわち、「かたい」を意味する「固」という漢字が成り立ちました、
ともあり(https://okjiten.jp/kanji598.html)、説がわかれている。
(「固」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%BAより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95