2022年03月30日

闘諍堅固


世すでに闘諍堅固(とうじょうけんご)になりぬれば、これならずとも、閑(のど)かなるまじき理(ことわ)りなれども(太平記)、

にある、

闘諍堅固、

は、

仏滅後の二千五百年を五つに区分した最後の五百年で、争いがたえない世、

をいう(兵藤裕己校注『太平記』)。文字通り、「闘諍」は、

修羅の闘諍、帝釈の争ひもかくやとこそ覚え侍ひしか(平家物語)、

と、

たたかい争う、

意、つまり、

闘争、

の意で、「堅固」は、

道心堅固の人なり(宇治拾遺)、

と、

物のかたくしっかりしていること、転じて心がしっかり定まって動かない、

意で使うが、「闘諍堅固」は、

次の五百年には、我が法の中において、言頌を斗諍し、白法隠没損減すること堅固ならん(「大集経(だいじっきょう)」=「大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)」)、

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%97%98%E8%AB%8D%E5%A0%85%E5%9B%BA

仏滅後二千五百年を五百年毎に区切った五五百歳(ごごひゃくさい)のうち、解脱堅固、禅定堅固、多聞堅固、造寺堅固につぐ第五の五百年、

を指し(岩波古語辞典)、

いはんやこの頃は第五の五百年闘諍のときなり(文永一一年(1274)「和語燈禄」)、

と、

諸僧が互に自説の優位を主張し、争うことが多く、邪見のみにて仏法が姿をかくしてしまう時(精選版日本国語大辞典)、
仏教がおとろえ、互いに時節に固執して多と争うことのみ盛んである時代(岩波古語辞典)、

の謂いで、

末法、

を指す。「闘諍堅固」は、

闘諍言訟(とうじょうごんしょう)、
白法隠没(びゃくほうおんもつ)、

ともいい、法滅の危機だからこそ、

我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提(えんぶだい 人間が住む大陸)に広宣流布して断絶せしむること無かれ(法華経)、

と、

世界広宣流布の時、

とされる。「五五百歳」は、順に、

①解脱堅固(げだつけんご 仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代)、
②禅定堅固(ぜんじょうけんご 人々が瞑想修行に励む時代)、
③読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご 多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代)、
④多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご 多くの塔や寺院が造営される時代)、
⑤闘諍言訟(とうじょうごんしょう)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)=闘諍堅固、

とされ(大集経)、ここで「堅固」は、

変化、変動しない様をいい、定まっていること、

の意味で、

解脱・禅定堅固は正法時代、
読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、
闘諍堅固は末法、

https://www.seikyoonline.com/commentary/?word=%E4%BA%94%E4%BA%94%E7%99%BE%E6%AD%B3、これを、

正法、
像法、
末法、

の、

三時説、

といい、仏教が完全に滅びる法滅までの時間を三段階に区切り、

釈尊の入滅の後しばらくは、釈尊が説いた通りの正しい教えに従って修行し、証果を得る者のいる正法の時代が続く。しかしその後、教と行は正しく維持されるが、証を得る者がいなくなる像法の時代、さらには教のみが残る末法の時代へと移っていき、ついには法滅に至る、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9C%AB%E6%B3%95。南岳慧思の『立誓願文』(558年)では、

正法五百年、
像法千年、
末法万年、

と三時の年数を定め、

末法思想、

の嚆矢となる(世界大百科事典)、とある。日本では、『日本霊異記』がいち早く、

正法五百年・像法千年説、

に則り、延暦六年(787)はすでに末法であると表明している。その後平安期後半に源信の『往生要集』や最澄に仮託した『末法灯明記』が著され、

正法千年・像法千年説、

を取り、周穆王(ぼくおう)五二年(紀元前949)の仏滅説から計算して、

永承七年(1、052)、

を末法の年と見なした(仝上)、とある。

「闘」 漢字.gif

(「闘」 https://kakijun.jp/page/1832200.htmlより)

「闘」 漢字 旧字.gif


「闘」 旧字 漢字.gif


「鬪(闘)」(漢音トウ、呉音ツ)は、

会意兼形声。中の部分の字(音ジュン)は、たてる動作を示す。鬪は、それを音符とし、鬥(二人が武器をもってたち、たたかうさま)を加えた字で、たちはだかって切り合うこと。闘は鬥を門に替えた俗字で当用漢字に採用された、

とある(漢字源)。別に、

形声。鬥と、音符斲(タク)→(トウ)とから成る。旧字鬪は、その俗字。常用漢字は、旧字鬪の誤字闘による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(門(鬥)+尌(斲))。「人がたたかう」象形と「頭がふくらみ、脚が長い食器、たかつきの象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形」(「物を置いておいて、斧で切る」の意味)から、「たたかう」を意味する
「闘」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1417.htmlが、

鬭→鬪→闘、

の変化があったことになる。

「諍」 漢字.gif

(「諍」 https://kakijun.jp/page/E679200.htmlより)

「諍」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、

会意兼形声。爭(=争 ソウ)は、一つのものを両方に引っ張り合うことを示す会意文字。諍は「言+音符爭」で、ことばで両方からとりあいをすること。いさめる、うったえる、などというのはその派生義である、

とあり(漢字源)、「争」と同義で、「諍訟」(ソウショウ)と、「訟」と類義である(仝上)。

「堅」 漢字.gif

(「堅」 https://kakijun.jp/page/1222200.htmlより)

「堅石白馬」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484371677.htmlで触れたように、「堅」(ケン)は、

会意兼形声。臤(ケン)は、臣下のように、からだを緊張させてこわばる動作を示す。堅はそれを音符とし、土を加えた字で、かたく締まって、こわしたり、形を変えたりできないこと、

とある(漢字源)が、別に、

土と、臤(ケン かたい)とから成り、土がかたい、ひいて、「かたい」意を表す。「臤」の後にできた字、

ともあり(角川新字源)、さらに、

会意兼形声文字です(臤+土)。「しっかり見開いた目の象形(「家来」の意味)と右手の象形」(神のしもべとする人の瞳を傷つけて視力を失わせ、体が「かたくなる」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)から、かたい土を意味し、そこから、「かたい」を意味する「堅」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1243.html

「固」 漢字.gif

(「固」 https://kakijun.jp/page/0846200.htmlより)

「固」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。古くは、かたくひからびた頭蓋骨を描いた象形文字。固は「囗(かこい)+音符古」で、周囲からかっちりと囲まれて動きの取れないこと、

とあり(漢字源)、似た説に、

会意形声。「囗(囲い)」+音符「古」、「古」は、頭蓋骨などで、古くてかちかちになったものの意。それを囲んで効果を確実にしたもの、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%BAが、別に、

形声。囗(城壁)と、音符古(コ)とから成る。城をかたく守る、ひいて「かたい」意を表す、

とか(角川新字源)、

(囗+古)。「周辺を取り巻く線(城壁)」の象形と「固いかぶと」の象形(「かたい」の意味)から城壁の固い守り、すなわち、「かたい」を意味する「固」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji598.html、説がわかれている。

「固」 金文・西周.png

(「固」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%BAより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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