越王げにもとや思はれけん、敗軍の将は二度(ふたたび)謀らず、と云へり(太平記)、
にある、
敗軍の将は二度謀らず、
は通常、
敗軍の将は兵を語らず、
などとも言うが、
敗軍の将は以て勇を言(かた)るべからず、
が正確、出典は史記、
廣武君辭曰、臣聞、敗軍之將、不可以言勇、亡國之大夫、不可以圖存、今臣敗亡之虜、何足以大事乎(淮陰侯傳)、
にある、
敗軍之將、不可以言勇、
からきている(字源)。
広武君、つまり、
李左車(りさしゃ)、
は、趙の武将。名将李牧の孫。漢の劉邦と敵対した趙は、20万の大軍を擁したが、漢の別働隊の韓信と
井陘(せいけい)の戦い、
で戦い敗れた。
(淮陰侯(韓信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1より)
戦いに臨んで、李左車は宰相の陳余に、
狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが、陳余は却下した。趙に内偵を送っていた韓信は、李左車の策が容れられなかったことを知って大いに喜び、敢然と攻め入った。結果、隘路を越えて背水の陣を採った韓信に趙軍は敗れ、趙王歇と陳余と李左車は捕虜となった、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B7%A6%E8%BB%8A)、その折、韓信は、李左車に、
燕と斉を破る方法を尋ねたのに対して、上記の、
敗軍之将、不可以言勇、
と答えたもの。
敗戦した将は、兵法について語る資格がない、
といった意だが、
背水の陣、
も、史記の、
謂軍吏曰、趙已先據便地爲壁、且、彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行、恐吾至阻険而還、信(韓信)乃使萬人先行出、背水陳、趙軍望而大笑(淮陰侯傳)、
にある(大言海・https://kanbun.info/koji/haisui.html)。この背水の陣は、武経七書のひとつ、中国戦国時代の、兵法書、
『尉繚子』(うつりょうし 尉繚)、
に、
背水陣為絶地、向阪陣為廃軍(尉繚子・天官篇)
とあり(大言海・字源)、
川などを背後にひかえて、陣を立てること、
は、趙軍が「大笑」したというように、
兵法では自軍に不利とされ、自ら進んで行うものではなかった、
とされる。しかし、20万の趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙に別働隊で城砦を占拠、更に落城による動揺の隙を突いた、別働隊と本隊による挟撃で趙軍を打ち破った、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1)。この戦法は、「尉繚子(うつりょうし)」には、
周(しゅう)の武王(ぶおう)が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を破ったとき
の例、「後漢書(ごかんじょ)」銚期(ちょうき)列伝)に、
清陽(せいよう)の博平(はくへい)が銅馬(どうば)の賊を破ったとき、
の例などにみえる(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza46)。なお、「陣」(漢音チン、呉音ジン)は、
会意文字。陳(チン)の原字ば「東(袋の形)二つ+攴(動詞の記号)」の会意文字。その東一つを略して、阜(土盛り)→防禦用の砦)を加えたものが陳の本字。陣はその俗字、
とあり(漢字源)、正しくは、
背水の陳、
ということになる。この時の故事から、
千慮の一失(絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ)、
愚者一得(愚か者でも、ときには役に立つような知恵を発揮するということのたとえ)、
という故事も生まれている(故事ことわざ辞典)とある。
「敗」(漢音ハイ、呉音ヘ・ベ)は、
会意兼形声。貝(ハイ・バイ)は、二つに割れたかいを描いた象形文字。敗は「攴(動詞の記号)+音符貝」で、まとまった物を二つに割ること、または二つに割れること。六朝時代までは、割ることと割れることの発音に区別があった、
とあり(漢字源)、「敗」は「勝」と対で、
破、
廃、
と類義語になる。なお、
会意形声。「攴」(=撲)+音符「貝」、「貝」は二枚貝の象形であり、貝殻が打たれて二つに分かれることを意味する、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%97)、
形声文字です(貝+攵(攴))。「子安貝」の象形(貝の意味だが、ここでは「敝(へい)」に通じ(「敝」と同じ意味を持つようになって)、「やぶれる」の意味)と「ボクッという音を示す擬声語・右手の象形」(「手で打つ・たたく」
の意味)から「やぶれる」を意味する「敗」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji671.html)。
「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041)で触れたように、
会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、
とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。
「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、
とする説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D)。別に、
会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji660.html)。
「將(将)」(漢音ショウ、呉音ソウ・ショウ)は、
会意兼形声。爿(ショウ)は長い台をたてに描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(て)+音符爿」。もと、一番長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物を持つ、長となって率いるなどの意味が派生する。また持つ意から、何かでもって処置すること、これから何か動作をしようとする意などを表す助動詞となった。将と同じく「まさに~せんとす」と訓読することばには、且(ショ)がある、
とある(漢字源)。別に、
形声。寸と、音符醬(シヤウ は省略形)とから成る。「ひきいる」、統率する意を表す。借りて、助字に用いる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1013.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95