2022年05月03日
怪談話型の完成
高田衛編・校注『江戸怪談集(全三巻)』を読む。
江戸時代は怪談の好まれた時代で、本書は、その中でも、
江戸時代の基本的な「型」が定立しつつあった十七世紀の間に刊行された板木のうち、もっとも代表的と思われる怪談本を対象とすることを原則とし、各話は、行文の洗練よりも、話の質によって選んだ、
とされ(凡例)、
上巻
『宿直草』延宝五年(1677)
『奇異雑談(ぞうたん)集』貞享四年(1687)
『善悪報ばなし』元禄年間(1688~1704)
『義殘後覚(こうかく)』文禄年間(1592~96)
中巻
『曽呂利物語』寛文三年(1663)
『片仮名本・因果物語』寛文元年(1661)
『伽婢子(おとぎぼうこ)』寛文六年(1666)
下巻
『諸国百物語』延宝五年(1677)
『平仮名本・因果物語』寛文元年(1661)
『新伽婢子(おとぎぼうこ)』天和三年(1683)
『百物語評判』貞享三年(1686)
が載せられている。近世怪談集の「怪談」は、内容的には、
唱導仏教系怪談、
中国小説系怪談、
民俗系怪談、
に分けられるが、堤邦彦『江戸の怪異譚』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/432575456.html)で触れたように、江戸時代の怪異譚を成り立たせている重要な特徴として、ひとつは、仏教唱導者の近世説教書(勧化(かんげ)本)のなかに類例の求められる、
仏教的な因果譚としての側面、
がある。
「檀家制度をはじめとする幕府の宗教統制のもとで、近世社会に草の根のような浸透を果たした当時の仏教唱導は、通俗平易なるがゆえに、前代にもまして、衆庶の心に教義に基づく生き方や倫理観などの社会通念を定着させていった。とりわけ人間の霊魂が引き起こす妖異については、説教僧の説く死生観、冥府観の強い影響がみてとれる。死者の魂の行方をめぐる宗教観念は、もはやそれと分からぬ程に民衆の心意にすりこまれ、なかば生活化した状態となっていたわけである。成仏できない怨霊の噂咄が、ごく自然なかたちで人々の間をへめぐったことは、仏教と近世社会の日常的な親縁性に起因するといってもよかろう。」
そうした神仏の霊験、利益、寺社の縁起由来、高僧俗伝などに関する宗教テーマが広く広まり、
仏教説話の俗伝化、
を強めて、宗教伝説が、拡散していった。
しかし、その一方で、結果として一族を滅ぼした亡霊には法力の霊験が効果がなかった怪異譚もあり、宗教的因果譚の覊絆から離れ、
もはや中世風の高僧法力譚の定型におさまりきれなくなった江戸怪談、
には、仏教説話の常套話型に比べてみた場合、決して救われることのない説話伝承史的な特性があり、そこには、
説話の目的と興味が、
「高僧の聖なる験力や幽霊済度といった『仏教説話』の常套表現を脱却して、怨む相手の血筋を根絶やしにするまで繰り返される(丹波国山家領の郷士楠数右衛門に起きた霊異におけるお梅のような)亡婦の復讐劇に転換する」
という怪異小説に脚色され、虚構文芸の表現形式を創り出すところへとつながっていく、という大まかな流れがある。そうした、
江戸時代の怪談の基本的な話型(パターン)、
は、
元禄期(1688~1704)頃、
までの怪談集によって完成させられている(編者・上巻「解説」)。その意味では、本書は、パターン化される前までの江戸初期の怪談集を集めていることになる。
近世初期になると、ハナシという語に、「話」だけではなく、「噺」とか「咄」という漢字があてられてくる。いずれもハナシの口承性を示唆するあて字であることからも知られるように、人々の寄合から活性化した世間話が、逆にハナシの相互化を媒介に、相互にハナシを持ち寄り、交流をたのしむ、場や機会を広げることになった。連歌、俳諧、茶会、謡の会などの寄合は、同時にハナシの場となり、また葬祭の集りや寺院の法談の寄合や、庚申待、二十三夜待などの民俗宗教的行事の寄合もハナシの場となった、
とあり(編者・中巻解説)、
曽呂利物語、
のように、
一人のハナシ上手が演ずる百話形式、
だが、
諸国百物語、
などは、
巡(めぐり)物語形式の怪談会、
であり、こうした
百物語形式、
は、
ハンシの聞き手もまたいつでも語り手に転化しうるという意味で、共同体験への参加、
となっており、この、
百物語形式、
によって、江戸時代の怪談の刊行に大きな道が開かれた(編者・下巻解説)とされる(そういえば、鴎外にも『百物語』がある)。
こうした経緯を考えると、中国志怪小説の翻案である、
伽婢子(おとぎぼうこ)、
の、物語としての完成度が高いのは当然かもしれない。既に、
怪異小説、
としての、
体裁、
内容、
が整っていて、
江戸時代怪談集の傑作、
と言われる(編者・中巻解説)のも無理からぬ。その翻案に当たっては、浅井了意は、
「中国典拠や中国風俗を我が国の歴史や風俗に移すについても、きわめて注意深くこれに対処している。たとえば歴史については『将軍記』、『甲陽軍鑑』、『信長公記』等々の記述を重んじ、民俗伝承についても「雪白明神」、「早梅花妖精」などでは、その土地の伝承を重んじている」
とある(仝上)ので、ただの翻案というよりは、もはや筋のみ借りたほぼ創作に近い。
百物語評判、
では、
歌学者山岡元隣が、京都六条の自宅で開かれた百物語怪談会の話題を逐一とりあげて、陰陽五行説を中心にした、当時の合理的思惟にもとづいて、和漢の典籍を援用しつつ論評、
しているのが、確かに、
当時の時好や解釈がうかがえる、
とある(編者・下巻解説)が、かえって興ざめというか、ぶち壊しになっている気がしてならない。虚構への過渡としての「実話」ということを考えると、何だかんだと解釈しないと気がおさまらなかったのかもしれないが。
「怪談」関連は、
今野円輔『日本怪談集 妖怪篇』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461651277.html)、
今野円輔『日本怪談集 幽霊篇』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461217174.html)、
高田衛『日本怪談集〈江戸編〉』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456630771.html)、
種村季弘編『日本怪談集』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456520310.html)、
岡本綺堂編訳『世界怪談名作集』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/447924158.html)、
田中貢太郎『怪談百物語』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/445163531.html)、
岡本綺堂『中国怪奇小説集』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444432230.html)、
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/480233767.html)、
で触れたし、「怪異」については、
小山聡子『もののけの日本史』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/480217461.html)、
阿部正路『日本の妖怪たち』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/432927068.html)、
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/432575456.html)、
で触れた。
参考文献;
高田衛編・校注『江戸怪談集(全三巻)』(岩波文庫)
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(ぺりかん社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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