2022年05月05日
弄璋
歓喜の眉を開き、弄璋(ろうしょう)の御慶(ぎょけい)天下に聞こえて(太平記)、
とある、
弄璋、
は、
男子が生まれること、生まれた男子に璋(玉の玩具)を与えた故事をふまえる、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。
乃生男子、載寝之牀、載衣之裳、載弄之璋(乃ち男子を生まば載(すなは)ち之れを牀(寝台)に寢(い)ねしめ載ち之れに裳(したばかま)を衣(き)せ載ち之れに璋を弄せしむ)、
と『詩経』(小雅・斯干)にあるのによる。
璋は玉、徳を玉に比せんことを欲す、
とある(字源)。「璋」は、
圭玉、
とあり(広辞苑)、
圭(たま)を半分にしたる玉の笏を與へて、弄とする、
とある。「璋」は、
半圭、曰璋(毛傳)、
と(大言海)、
上部を削いだ玉器である圭を縦に半分にしたもの、
で、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
璋、上を剡(そ)ぎたるを圭と為し、半圭を璋と為す、
とあり、
片方だけ削いである玉器になる。見た目はまるで小刀のようである。『周礼』には、「以赤璋礼南方」とあり、祭祀に用いられたことが分かる、
とされる(https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/99sasaki.html)。この意味を、
出生した男の子にこの玉器を弄玉として与えたので、玉は、神秘的な力が備わっていると考えられ、生まれたての赤子に玉器を与えることは、魂に活力を与える、
とか、
璋の元になっている玉器・圭は男性器を象徴しているし、璋自体もその形が男性器に似ているように思われる。璋を与えることで、男児の生命力を強化させようとした、
といった理由が挙げられている(仝上)。
この「弄璋」の対が、
弄瓦(ろうが)、
で、
女子がうまれること、
で、
瓦、紡塼(いとまき)也(毛傳)、
と、
瓦(土製の糸巻)を与えたのでいう、
とあり(兵藤裕己校注『太平記』・字源)、やはり、『詩経』(小雅・斯干)に、
乃生女子、載寝之地、載衣之裼、載弄之瓦(乃ち女子を生まば載(すなは)ち之れを地に寢(い)ねしめ載ち之れに裼(せき)を衣(き)せ載ち之れに瓦を弄せしむ)、
にあるのによる(字源)。
乃生男子、載寝之牀、載衣之裳、載弄之璋(もしも男子が生まれれば、寝台に寝かせ、袴を着せ、璋の玉を持たせよう)、
乃生女子、載寝之地、載衣之裼、載弄之瓦(もしも女子が生まれたら大地に寝かせ、産着を着せ、糸巻きを持たせよう)、
と対になっていて、男子は「裳(ショウ・ジョウ)」、女子は「裼」と置く場所が違う。「裳」は、
したばかま、
で、衣(上半身につれる上着)に対して、下半身につけるスカート状の衣服を指し(漢字源)、「裼(セキ・テイ)」は、
はだぎ、
を意味し(https://www.kanjipedia.jp/kanji/0003972000)、
女児を大地に寝かせる行為は、将来無事に多子を出産することを願って、大地の子を生む力が類間呪術的にその女児にも及ぶようにするのが目的、
とされる(https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/99sasaki.html)。
以上の由来から、
弄璋(ろうしょう)の喜び、
弄瓦(ろうが)の喜び、
という言い方もある(デジタル大辞泉)。
「弄」(漢音ロウ、呉音ル)は、
会意文字。「玉+両手」で、両手の中に玉をいれてなぐさみにするさまを示す。転じて、時間をかけてもてあそぶこと、
とある(漢字源)。
「玉」+「廾(両手を添える様)」、
ということである(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%8)。別に、
会意文字です(玉+廾)。「3つの玉を縦のひもで貫き通した」象形と「両手で捧げる」象形から、「両手で玉を持って遊ぶ」を意味する「弄」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2080.html)。
「璋」(ショウ)は、
会意兼形声。「玉+音符章(鮮やかな模様)」、
で、上述したように、
圭を縦に半分に割った形の瑞玉、
である(漢字源)。「圭」(漢音ケイ、呉音ケ)は、
会意文字。圭は「土+土」で、土を盛ることを示す。土地を授ける時、その土地の土で円錐形の盛土をつくり、その上にたって神に領有を告げた。その形を象ったのが、圭という玉器で、土地領有のしるしとなり、転じて、諸侯や貴族の手にもつ礼器となった。その形は、日影をはかる土圭(ドケイ 日時計)の形ともなった、
とある(仝上)。
「寸(=手)」を添え行為を表したものが「封」、
となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%AD)。「圭」については、
中国古代の玉器の一種で、権威を象徴した。上方がとがった短冊形を呈し、半圭のものを璋と呼んでいる。圭の形は先史時代の有孔石斧から発達したといわれるが、確かではない。殷代鄭州期および安陽期には、圭、璋に属する玉器が発見されているが、斧形あるいは戈形のものである。西周になると長方形あるいは戈形のものがみられ、いわゆる圭、璋の形が出現するのは春秋・戦国期に入ってから、
とある(ブリタニカ国際大百科事典・精選版日本国語大辞典)。説文解字には、「圭」について、
古之王者、封諸侯建邦国、必以玉為信。名之曰圭、
とある(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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