「蓬莱は、
蓬莱隔弱水三十万里、非舟楫可行、非飛仙無以到(太平広記)、
とある、
蓬莱弱水の隔たり、
蓬莱弱水、
などと成語になっている。「弱水」とは、
北の果てにあるとされる川、
で、
遥かに遠く隔たっている喩え、
としていう(故事ことわざの辞典)。「蓬莱」は、
蓬丘、
蓬壺、
蓬島、
蓬莱山、
蓬莱島、
等々ともいい、
よもぎがとま、
よもぎがしま、
とも訓ます(広辞苑)、
使人入海求蓬莱・方丈・瀛洲、此三山者相傳在渤海(漢書・郊祀志)、
と、
渤海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされ、不老不死の神薬があると信じられた霊山、
で、
三壺海中三山也、一曰方壺、則方丈也、二曰、蓬壺則蓬莱也、三曰瀛壺洲也(拾遺記)、
と、
方丈(ほうじょう)山、
瀛洲(えいしゅう)山、
と共に、
三神山(三壺山)の一つ、
とされ(仝上・日本大百科全書)、前二世紀頃になると、
南に下って、現在の黄海の中にも想定されていたらしい、
と位置が変わった(仝上)が、
伝説によると、三神山は海岸から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色である、
という(仝上)。
(「船に乗る徐福」(任熊『列仙酒牌』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8Fより)
「仙人」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483592806.html)で触れたように、戦国時代から漢代にかけて、燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし 神仙の術を行う人)によって説かれ、
(仙人の住むという東方の三神山の)蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)に金銀の宮殿と不老不死の妙薬とそれを授ける者がいる、
と信ぜられ、それを渇仰する、
神仙説、
が盛んになり、『史記』秦始皇本紀に、
斉人徐市(じょふつ 徐福)、上書していう、海中に三神山あり、名づけて蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)という。僊人(せんにん 仙人)これにいる。請(こ)う斎戒(さいかい)して童男女とともにこれを求むることを得ん、と。ここにおいて徐をして童男女数千人を発し、海に入りて僊人を求めしむ、
と、この薬を手に入れようとして、秦の始皇帝は方士の徐福(じょふく)を遣わした。後世、この三神山に、
岱輿(たいよ)、
員嶠(えんきよう)、
を加えた、
五神山説、
も唱えられたが、昔から、
蓬莱、
だけが名高い(仝上)。
蓬萊山は海中にあり、大人の市は海中にあり(山海経)、
とあり、「市」とは蜃気楼のこととされた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AC%E8%90%8A)ともある。
日本では、
蓬莱山(蓬山)、
を、
トコヨノクニ、
と訓ませ(丹後国風土記)、「竜宮」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488132230.html?1652812023)と重なり、「竹取物語」では、
蓬萊の玉の枝、
が難題として課されたが、
然れば本号は不死山なりしを、郡の名に寄せて、士の山とは申すなり、蓬萊の、境たり(謡曲「富士山」)、
と、富士山とつなげられたりもした。
また、
蓬莱飾り、
蓬莱台、
については、「すはま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473834956.html)で触れたが、
御前に扇ども数多さぶらふ中に、ほうらいつくりたるをしも選りたる(「紫式部日記(1010頃)」)、
と、
蓬莱山をかたどった台上に、松竹梅、鶴亀、尉姥などを飾って、祝儀や酒宴の飾りものとしたもの、
をいい、
蓬莱山、
蓬莱盤、
蓬莱台、
ともいい、
婚礼や供応などの時の飾り物。州浜台の上に松・竹・梅などを飾り、鶴・亀を配し、尉(じょう)・姥(うば)を立たせたりしたもので、蓬莱山(ほうらいさん)を模した、
すはま、
島台、
とも重なる。「蓬莱飾り」は、主として関西では、
新年の祝儀に、三方(さんぼう)の上に白紙、羊歯(しだ)、昆布などを敷き、その上に熨斗鮑(のしあわび)・勝栗・野老(ところ)・馬尾藻(ほんだわら)・橙(だいだい)・蜜柑などを飾ったもの、
を言う(精選版日本国語大辞典)。
(「蓬莱飾り」 精選版日本国語大辞典より)
「すはま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473834956.html)は、
洲浜台、
で、略して、「洲浜」といい、
洲浜の形に似せて作れる物の台(大言海)、
に、
岩木・花鳥・瑞祥のものなど種々の景物を設けたもの、もと、饗宴の飾り物としたが、のち正月の蓬莱・婚姻儀式の島台として肴を盛るのに用いた、
とある(広辞苑)。
(「島台」 精選版日本国語大辞典より)
洲浜(すはま)形の台に松竹梅を立て、足元に鶴亀、翁と媼の人形などを飾る置物で古来より不老不死の仙山として信仰される蓬莱山を写し、慶事の祝儀として用いられてきたものだ。特に近世以降は「婚礼」の席に欠かせない調度品として飾られてきたものだという、
とあり(https://karuchibe.jp/read/4476/)、貞丈雑記に、
洲濱形に、臺の板を作る、海中の島のすその、海へさし出たる形なるを、洲濱と云ふなり、されば島形とも、洲濱形とも云ふ、其上に肴を盛る也、飾のには、岩木、花鳥などを置く也、
とあり、松屋筆記にも、
島臺は、蓬莱島の造物の臺なれば、サ(島臺と)云ふ也、洲濱など同物成り、
とある(大言海)。守貞謾稿には、
蓬莱、古は正月のみの用に非ず、式正の具と云にも非ず、貴人の宴には、唯、臨時風流に製之、今も貴人の家には、蓬莱の島臺と云、島臺と云は、洲濱形の臺を云也、今世は三都とも蓬莱同制なれども、京坂にては蓬莱と云、或は俗に寶來の字を用るも有り、江戸にては蓬莱と云ず、喰積(くいつみ)と、……今俗は、島臺と、蓬莱は二物とし、島臺は婚席の飾とし、蓬莱は、正月の具とし、其製も別也、
と、蓬莱と島臺が別扱いになっている経緯を書いている。「喰積(くいつみ)」は、
三方などに米、餅、昆布、熨斗鮑、ゴマメ、橙、ユズリハなどの種々の縁起物を飾り、年賀客にも供した、
とあり、これが
重詰め
となった(https://kigosai.sub.jp/001/archives/9094)とみられる。
「蓬」(漢音ホウ、呉音ブ)は、
会意兼形声。「艸+音符逢(△型にであう)」で、穂が三角形になった草、
とあり(漢字源)。ヨモギの意である。
「莱」(ライ)は、
会意兼形声。「艸+來(ライ 来 むぎ)で、麦に似た雑草、
とある(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(艸+來)。「並び生えた草」の象形と「ライむぎ」の象形から「あかざ」を意味する「萊」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2692.html)。
(「莱」 小篆(説文解字)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8E%B1より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95