「千三(せんみつ)」という言葉がある。
真実なのは千のうちわずか三つだけ、
という意で、
今は千といふ事三つもまことなしとて千三といふ男あり(西鶴「本朝桜陰比事」)、
と、
うそつき、
ほらふき、
さらに、単に、
嘘、
の意でも使う(広辞苑・大言海)。先後は分からないが、
千三屋、
という言葉があり、
千口の中、僅か三口だけ、相談が調ふ、
という意で、
地所の売買、
貸金、
等々の周旋を業とする人、
を指す(仝上)。「千三屋」とは、
地所の売買、又は貸金その他の周旋を業とするもの。千口の中にて相談纏り口銭でも取り得るものはただの三個位に過ぎぬとの意なり。その人をいふ、
とある(隠語大辞典)。
千三、
と同義の言葉に、
万のうちで、真実なのはわずかに八つだけという意で、
世に万八といふ事はこの男より始まりける(浄瑠璃「神霊矢口渡」)、
と、
万八(まんぱち)、
という言葉がある。これは、「千三」が、上述の『本朝桜陰比事』が元禄二年(1689)刊で使われていたが、
万八、
は、
明和・安永(1764~1780)の頃の流行語、
とあり(江戸語大辞典)、
いつはりうそといふを、江戸尾張辺上野にて万八といふ、近年のはやり詞也、
とある(安永四年(1775)刊の「物類称呼」)。ただ、
江戸両国の萬屋八郎兵衛の略字に起こる、
ともある(大言海)。これは、文化十四年(1817)3月23日に、
両国柳橋の萬屋八郎兵衛の料理店「萬八楼」で大酒大食大会が開かれた、
という記録の「萬屋八郎兵衛」とつながりそうである。その記録では、酒組では、
小田原町堺屋忠蔵(68歳):三升入り盃三杯、
芝口の鯉屋利兵衛(30歳):三升入り盃六杯半、
小石川天掘屋七右衛門(73歳):五升入り丼鉢を一杯半飲み、
菓子組では、
神田丸屋勘右衛門(56歳):饅頭50、羊羹7棹、薄皮餅30、茶19杯、
八丁堀伊予屋清兵衛(65歳):饅頭30、鶯餅80、松風煎餅30、沢庵漬5本、
飯組(万年味噌の茶漬け)では、
和泉屋吉蔵(73歳):54杯と唐辛子58、
小日向上総屋茂左衛門(49歳):47杯、
三河島の三右衛門(41歳):68杯と醤油二合、
蕎麦組(二八蕎麦並盛り)では、
新吉原桐屋惣左衛門(42歳):57杯、
浅草鍵屋長介(49歳):49杯、
池之端山口屋吉兵衛(38歳):68杯、
となっているとか(兎園小説、http://denmira.jp/?p=8630)。しかし、これと、
万八、
という言葉の流行とはつながらない。ただ、柳橋「万八楼」は、
書画会、
を開き、即売会をやったとされていたことで知られていた(https://tukitodora.exblog.jp/13885579/)らしく、この大食い大会は、
「千住酒合戦」(文化十二年(1815)10月21日)の二年後、
に開かれたと、滝沢馬琴の『兎園小説』に出てくる話なのだが、これ自体、
馬琴が当時の文人たちに呼びかけ、毎月1回、身辺で見聞きした珍談・奇談を披露し合う「兎園会」で出たおもしろ話をまとめたもの、
で(http://www.jlogos.com/d013/14625122.html)、
明らかに他のものから「書き写した」記録、
も多く、
この大食い大会の話は、
浜町小笠原家の家臣某が実見した、
というの添え書きのある、
仲間の一人関思亮(海棠庵)が披露したもの、
とされる(https://tukitodora.exblog.jp/13885579/)。話半分としても、その飲食量は半端ではない。
どうやら「作り話」のようなのです、
とあり(仝上)、
他の話と違って名前の知れた人が一人も出てこないところが「作り話」と言われる所以なんでしょう、
としている(仝上)。あるいは、ここから、
万八、
という言葉が出たのかもしれない。因みに、「千住酒合戦」は、文化十二年(1815)10月21日、
日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦、
で、
参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五合)、緑毛亀盃(二升五合)、丹頂鶴盆(三升)の盃が用意され飲むというもので、酒肴としてカラスミ・花塩・さざれ梅、蟹と鶉(うずら)の焼き鳥、羹として鯉にハタ子をそえたものが添えられ、これも半端ない量だが、
新吉原の伊勢屋言慶(62歳):三升五合余、
千住の松勘:全ての酒を飲み干した、
下野小山の左兵衛:七升五合、
料理人の太助:終日茶碗酒をあおった上で丹頂鶴盆(三升)飲み干す、
五郎左衛門妻の天満屋みよ女:万寿無量盆(一升五合)で酔った顔も見せず、
菊屋おすみ:緑毛亀盃(二升五合)、
等々の記録が、大田南畝の観戦記録(『後水鳥記』)に著され(http://denmira.jp/?p=8630)、江戸食文化史に名高い。この、
「後水鳥記」がもてはやされたので、その二番煎じをねらった、
のではないか、という(https://tukitodora.exblog.jp/13885579/)のは当たっているのかもしれない。
(柳橋夜景 万八(歌川広重「江戸高名会亭尽」) 「狂句合万八の二階夏とハうそのやう」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%90%8D%E4%BC%9A%E4%BA%AD%E5%B0%BDより)
なお、大食い大会とは関係ないのかもしれないが、
万八、
は、
酒の異称、
とあり(広辞苑)、
満鉢の義、マンは満を引くのまん、はちは鉢にて、肴の意と云ふ、
とあり(大言海)、
しこみぬる、酒のかはるは、ういこんだ(男だての気ちがひくわうまん八がすきだと見えた)、種彦云、まん八とは酒の事なり、下に見えたる百韵の末の詞書に、吉田なにがし、……酒鉢とれば、まんはちをまくらふべき事をなん思ふ、……とあるに合わせてみるべし、
とある(足薪翁記(柳亭種彦)・奴とは)。「満を引く」は、
皆引満挙白(さかづき)(漢書)、
と、
酒をなみなみとついだ杯をとって飲む、
意となる(広辞苑)。
「万(萬)」(慣用マン、漢音バン、呉音モン)は、
象形。萬(マン)は、もと、大きなはさみを持ち、猛毒のあるさそりを描いたもの。のち、さそりは萬の下に虫を加えて別の字となり、萬は音を利用して、長く長く続く数の意に当てた。「万」は卍の変形で、古くから萬の通用字として用いられている、
とあり(漢字源)、
「万」の異字体は「萬」、
とされたり、
「萬」は「万」の旧字、
とされたりするが、「万」は、
古くから「萬」に通ずるが、「萬」との関係は必ずしも明らかでない、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%87)。
「万」はもとの字は「萬」に作る(白川静)、
「万」と「萬」とは別字で、「万」は浮き草の象形(新潮日本語漢字辞典・大漢語林。「万」と「萬」が古くから通用していることは認めている)、
「卍」が字源(大漢和辞典 西域では萬の數を表はすに卍を用ひる。万の字はその變形である)、
象形、蠆(さそり)の形。後に、数の一万の意味に借りられるようになった。現在でも、「万」の大字として使用される(角川新字源・漢字源)、
象形。もと、うき草の形にかたどる。古くからの略字として用いられていた(角川新字源)、
等々と諸説あり(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%AC)、「中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、
「萬」を「蟲なり」とするが、虫の名前は挙げず、説文解字注(段注)はサソリの形に似ているからその字であろう、
というが、白川静は「声義ともに異なる」と指摘する(仝上)。しかし、
「萬」が蠍の象形で、10000の意味は音の仮借、
という立場は、藤堂明保『学研 新漢和大字典』、諸橋轍次『大漢和辞典』、『大漢語林』、『新潮日本語漢字辞典』等々多くの辞典が支持する(仝上)、とある。数字の万としての用法はすでに卜文にみえる(白川)ようである(仝上)。
(「萬」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%ACより)
「八入」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484945522.html)で触れたように、「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、
指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、
指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji130.html)、
などと説明される。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95