飯(いひ)・酒・くだ物どもなどおほらかにしてたべ(宇治拾遺物語)、
我も、子供にも、もろともに食はせんとて、おほらかにて食ふに(仝上)、
などの、
おほらか、
は、
たっぷりと、
の意である(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。
大から、
多らか、
と当て、
分量の多いさま、
たっぷり、
の意で、
「おほし」+接尾辞「らか」、
からきている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%BB%E3%82%89%E3%81%8B)。
おほし、
は、
大し、
多し、
で、
オホ(大)の形容詞形。容積的に大きいこと、また、数量的に多いこと。さらに、立派、正式の意。平安時代に入って、オホシは数量的な多さにだけ使い、他の意味にはオホキニ・オホキナルの形を用いるように分化し、中世末期からオホイ(多)とオホキイ(大)との区別が明確になった。平安時代の仮名文学では、数の多さをいうオホシは連用形オホクの他はオホカリの諸活用形を使い、容積を表すにもオオキナリという終止形は使わない。おそらく、終止形オホシとオホキナリによって数量と容積とを区別することは漢文訓読体の文体的特徴と見られたので、女性語としてはそれを避けたものとみられる、
とあり、「おほし」自体に、
おほき海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引(もび)き平(なら)しし菅原(すがはら)の里(石川女郎)
御文を面がくしにひろげたり、いとおほしくて(源氏物語)、
と、
容量の多さ、大きさ、
の意から、
所獲の功徳は其の量(はか)り甚だおほけむ(金光明最勝王経平安初期点)、
と、抽象的な、
分量の大きさ、
の意に、さらに、それをメタファに、
酒の名を聖(ひじり)と負(お)ほせし古(いにしへ)の大(おほ)き聖の言(こと)のよろしさ(大伴旅人)、
の、
立派である、
の意で使っている。この「おほし」の意味の幅が、
おほらか、
にもつながっていて、
容量の大きさ、
を、メタファに、
どこの鐘か、おほらかに空に響いて(里見弴『大道無門』)、
おおらかな人柄、
などというように、今日、
ゆったりとしてこせこせしない、
鷹揚、
の意でも使う。ちなみに、接尾語「らか」は、
まだらか、
うららか、
あららか、
あさらか、
なだらか、
たからか、
などと、たとえば、
時となく雲居雨降る筑波嶺をさやに照らしていふかりし国のまはらをつばらかに示し給へば(万葉集)、
と、
擬態語・形容詞語幹などを承けて、見た目に、~であるさま、の意で使う。
とある(岩波古語辞典)。
「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)は、「大樹」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/487425798.html)で触れたように、
象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる、
とある(漢字源)。
「多」(タ)は、
会意。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在すること、
とあり(大言海)、いずれも会意文字としつつ、
夕(=肉)」を重ねて数多いことを意味する(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A)、
夕+夕。「切った肉、または、半月」の象形から、量が「おおい」を意味する「多」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji156.html)、
夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す。一説に、象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表すという(角川新字源)、
と、微妙なニュアンスの差はあるが、
夕、または肉説、
をとる。
(「多」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9Aより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95