身の色は五色にて、角の色は白き鹿(しか)一(ひとつ)ありけり。深き山にのみ住て人に知られず、……また烏あり、此かせきを友として過ごす(宇治拾遺物語)、
の、
かせき、
は、
鹿の異名、
とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)が、
越国白き鹿(カセキ)一頭(ひとつ)を献れり(「日本書紀(720)」推古紀)、
一箇蒜(ひとつのひる)を白きかせぎに弾きかけ給ふ(景行紀)、
と、多く、
かせぎ、
といい、
鹿の古称、
である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
(弓で鹿を仕留める源経基(月岡芳年『貞観殿月』「月百姿」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%ABより)
この由来を、雄の頭部の樹枝状の、
角が桛木(かせぎ)に似ているところから(デジタル大辞泉・広辞苑)、
と、
角桛木に似たれば名とす、桛は工字型を成すに、古製なるは、両端、外に反りたり、空也の徒の桛杖(かせづえ)は、頭に鹿角をつけたり、
ともある(大言海)。「桛杖(かせづえ)」は、
鹿杖、
とも当て、
鹿の角を頭につけた杖、空也上人の徒が創めたものという、
とある(広辞苑)。
わさづの(わさ角)、
杈椏杖(またぶりづえ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
(空也上人像の鹿の杖(六波羅蜜寺) https://kamakurakannon.fc2.net/blog-entry-3752.htmlより)
「桛木(かせぎ)」は、
紡錘(つむ)でつむいだ糸をかけて巻く工字形の木。織機に付属して、経(たていと)を巻いておくもの、
で、
かせ(桛・綛)、
ともいい(「桛」「綛」は国字)、
紡錘つむで紡いだ糸を巻き取るH形またはX形の道具、
ともある(デジタル大辞泉)。
今日でも、「糸巻とり」を、
かせくり器、
と呼んでいる。
(「桛木紋」 精選版日本国語大辞典より)
その形状は、「桛木」を図案化した「桛木紋」から推定できるが、どうも、鹿の角には見えない。
「桛杖(かせづえ)」は、上述したように、空也の徒の、
鹿の角を頭につけた杖、
の意もあるが、
鹿杖をつきてはしりまはりておこなふなりけり(宇治拾遺物語)、
と、
鹿杖、
あるいは、
鹿背杖、
とも当て、「鹿の角を頭につけた杖」とは逆に、
末端が叉(また)になった木の杖、
で(広辞苑)、
杈椏杖(またぶりづえ)、
わさづの、
あるいは、
帷(かたびら)計を着て中結て足駄を履て杈杖と云物を突て(今昔物語)、
と、
杈杖、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
(杈椏杖(またぶりづえ) 精選版日本国語大辞典より)
また、
鹿杖、
あるいは、
杈椏杖(またぶりづえ)、
は、
末端が叉(また)になった木の杖、
の意の他に、
木の杖の上端に手をそえる架(かせ)を設けたもの、
であるため、別に、
杖の頭の丁字形をしたもの、
を、
鐘を打つ撞木(しゅもく)の形状に似るところから、
撞木杖、
ともいう(仝上)。取手の丁字形と杖先の叉(また)がセットになったものが多かったからであろうか。
(撞木杖(しゅもくづえ) 精選版日本国語大辞典より)
しかし、撞木杖は、能の小道具でもあり、
頭の部分が丁字形をした杖、
であり、
検校および別当以上に用いることを許された、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、同じく、
かせづえ、
ともいうのがややこしいし、また、
先に突きやすくするための叉(また)を設けたもの、
も、空也の徒の、
鹿の角を上端につけた杖、
も、ともに、皆、
杈椏杖(またぶりづえ)、
鹿杖、
桛杖(かせづえ)、
という(精選版日本国語大辞典)のは、まぎらわしい。というか、結構いい加減な使い方なのである。
しかし、この、
末端が叉(また)になった木の杖、
の、
杈椏杖(またぶりづえ)、
こそ、
桛木(かせぎ)、
とつながっていると思える。
確かに、平安後期の『散木奇歌集』(源俊頼家集)に、
山に遊び歩きけるに、鹿のひしる(叫ぶ)聲のしければ、
として、
桛(かせ)かけてひしる牡鹿の聲聞けば狙ふ我身ぞ遠ざかりぬる
とあり、「かせぎ」と「桛木」との関連が根深い気がするが、「杈椏杖(またぶりづえ)」を、
先に突きやすくするための叉(また)を設けたもの、
をいうところから気づくのは、「桛木」「桛(かせ)」には、
大猿ありければ、木に追ひのぼせて射たりけるほどに、あやまたずかせぎに射てけり(「古今著聞集(1254)」)と、
と、
木の股(また)、
の意味、また、
股のある木で作って、柱などが傾くのを支え、または物を高い所へ上げるのに用いるもの、
の意味もあることである。「さすまた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484234894.html)で触れたように、
「さすまた」は、
杈首叉(さすまた)の義、
とあり(大言海)、「杈首(さす)」は、
叉手、
とも当て、「こまねく」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484220493.html?1636055164)で触れたように、
杈首股、
と当て、訛って、
さんまた、
といい、それに、
三脵、
三叉、
と当て(広辞苑・大言海)、また、
みつまた、
またふり、
またざお、
さまた、
脵棹(またざお)、
等々ともいう(仝上)。この古名「またふり」は、
杈椏に山橘作りてつらぬき添えたる枝に(源氏物語)、
と、
杈椏、
と当て(大言海)、
またぶり、
ともいい(岩波古語辞典)、和名類聚抄(平安中期)には、
杈椏、末太布里、
字鏡(平安後期頃)には、
萬太保利、
とあるように、
またほり、
ともいい(大言海)、
木や竿のさきを二またにしたもの、
を、
杈杖(またふり)、
という。つまり、
杈椏杖(またぶりづえ)、
の、
杈椏(またぶり)、
は、この、
叉(また)になった木の枝、
に由来するのである。
「鹿」を「かせぎ」といった、
かせぎ、
は、この、
杈杖(またふり)、
杈椏(またふり)、
の意の、
桛木(かせぎ)、
からきているのではあるまいか。この形は、「桛木」の持つ意味の、
末端が叉(また)になった木の杖、
の、
桛杖(かせづえ)、
つまり、
杈椏杖(またぶりづえ)、
とも重なる。だから、「かせぎ(鹿)」の由来を、
枝の三またになったところを切って柱などのカセに用いるさんまたぎ(三又木)をカセギといい、鹿の角がそれに似ているところから(擁書漫筆・比古婆衣)、
とするのは、まさにそれなのである。
(花札(10月札) 「もみじ(紅葉)」と「鹿」 https://www.tengudo.jp/blog/karuta-news/368.htmlより)
ただ別の視点から見ると、「鹿」の古名には、「かせぎ」のほか、和名類聚抄(平安中期)に、
鹿、加、
とある、
妻恋ひに鹿(か)鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(万葉集)、
秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿(か)鳴かむ山そ高野原の上(仝上)、
という、
か(鹿)、
がある。これは、
鳴く声を名とす、「カヒヨとぞ鳴く」などいふ(大言海・広辞苑・松屋筆記・雅語音声考)、
とされる(日本語源大辞典)。「鹿」は、
ししおどり(鹿踊)、
ししおどし(鹿威)、
というように、
肉・宍(しし)」と同語源、
で、和名類聚抄(平安中期)に、
肉、之之、肌膚之肉也、
とあり、
二、三食用の獣類を、日本語でシシといった、
と(柳田國男『一目小僧その他』)、
猪(いのしし)や鹿など食肉用の野獣の総称、
で、
ゐのしし(豬の肉)
と区別して、
是の日に鹿(カノシシ)有て忽に野中より起(お)きて、民の中に入て仆れ死せぬ(仁徳紀)、
と、
かのしし(鹿の肉)、
といった。この「か(鹿)」に鑑みると、
かせぎ、
の「か」を「鹿」と考え、
カセキ(鹿柵)の意(和訓栞)、
と、「せき」を別に考え、
「か(鹿)」+「せき」
とする説もあり得る。「せき(柵)」が妥当とは思わないが、たとえば、「せく」には、
塞く、
があり、
セシ(狭)と同根、
とある(岩波古語辞典)。角からそう考える説も、まんざら憶説とばかりは言えない気がする。
「しか(鹿)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461284450.html)については触れたが、「しか」は、
其(かの)苞苴(ほうしょ つと)は何の物そ。対へて言はく、牡鹿(シカ)なり。問ひたまはく、何処(いつこ)の鹿(シカ)そ(仁徳紀)、
と、
めか(女鹿)にたいしていうせか(夫鹿・雄鹿)の転、
とされる(広辞苑・大言海・万葉集講義=折口信夫・日本語源広辞典・精選版日本国語大辞典)。この場合も、「か(鹿)」から考えられている。「鹿」の古名、
かせぎ、
もまたその可能性はある。
女鹿(めか)に対す、かせぎと云ふも、鹿夫君(かせぎみ)なりと云ふ、
とある(大言海)のも、「か(鹿)」から考える「か+せぎ」とする別説といえる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95