2022年06月11日
したなき
まめやかにさいなみ給へば、殿上の人々したなきをして、みなわらふまじきよしいひあへり(宇治拾遺物語)、
にある、
したなき、
は、
舌鳴、
と当て、
恐れるさま、
とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)が、あまり辞書には載らない言葉で、ネットで検索しても、
下泣き、
は出るが、
舌鳴、
は出ない。わずかに、
舌鳴き、
舌哭き、
と当てて、
舌打ち、
の意としている(岩波古語辞典・広辞苑)。
上記の宇治拾遺の引用は、
青常(あをつね)の君、
などと陰であだなして嗤っているのを父の重明親王が、
まめやかにさいなみ給ふ、
つまり、
真顔で咎めた、
のだから、
舌打ち、
というよりは、
恐縮した、
という意味の方が近い。
「舌打ち」は、
舌を上あごに当てて、弾き鳴らす、
ことで、
失敗して舌打ちする、
というように、
思うようにならない時や、いまいましいときのしぐさ、
なのだが、小動物の注意を引くなどの行う場合は「舌打ち」とは呼ばれずに、
舌を鳴らす、
などと呼ばれることも多いともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8C%E6%89%93%E3%81%A1)。
「舌鳴」は、語の意味からいうと、
舌で鳴く、
か
舌が鳴く、
で、本来は、
舌打ち、
の意だったのだろうと、推測できる。その意味では、
心の中では承服していないが、親王に咎められたので不承不承したがった、
という含意なのかもしれない。「舌鳴き」に近い言葉に、
この為体(ていたらく)にした振ひ、慌しく船を返して(弓張月)、
と、
舌をふるふ、
という言葉がある。
舌を振ふ、
と当て、
兵どもこれを聞いて物も云はず、舌を振りて怖(お)ぢあへり
舌を振る、
ともいい、
恐れおののく、
意であるが、これだと、少し強すぎるようだが、この方が文脈に適う気がする。。
因みに、
天だむ軽のをとめの甚(いた)泣かば人知りぬべし波佐の山の鳩の下泣きに泣く(古事記)、
とある、
下泣き、
は、
まめやかに六借(むつか)らせ給ひければ、殿上人共皆したなきをして(今昔物語)、
と、
隠(しの)びて泣く、
つまり、
忍び泣き、
の意で、
「した」は心の意(デジタル大辞泉・広辞苑)、
シタは隠して見せない意(岩波古語辞典)、
心泣(したなき)の義(大言海)、
などとされる。「下」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463595980.html)は、
「うは」「うへ」の対。上に何か別の物がくわわった結果、隠されて見えなくなっているところが原義。類義語ウラは、物の正面から見たのでは当然見えないところ。シモは、一連の長いものの末の方をいう、
とあり、
その上や表面に別の物が加わっているところ、
の意で(岩波古語辞典)、
内側、
物の下部、
の意があり、
隠れて見えないところ、
の意で、
物陰、
(人に隠している)心底、
という意味がある。これは、「うらなう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.html)で触れたように、「心=裏」とする説に通じ、
ココロ(心)はココロ(裏)の義。ココロ(神)はカクレ(陰)の義(言元梯)、
諸物に変転するところから、コロコロ(転々)の義(百草露)、
ココはもとカクス・カクル(隠)の語幹カクと同源のカカ。本来隠れたもの・隠しているものの義(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々とあり、
下泣き、
を、
心泣(したなき)、
としたのとつながる。だから、大言海は、
した、
に、
下、
舌、
とは別に、
心、
を当てる「した」を一項立て、
胸の下の義か、
とし、
したにのみ恋ふれば苦し紅の末摘花の色に出でぬべき(古今集)、
と、
心の底、
心中、
心裏、
の意としている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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