ひまち


「ひまち」は、

日待(ち)、

と当てるが、この、

マチ、

は、

待ち、

と当てているが、

祭りと同源(精選版日本国語大辞典)、
マツリ(祭)の約(志不可起・俚言集覧・三養雑記・桂林漫録・新編常陸風土記-方言=中山信名・綜合日本民俗語彙)、

とあり、その「まつり」は、

奉り、
祭り、

と当て、

神や人に物をさしあげるのが原義。類義語イワヒ(祝)は一定の仕方で謹慎し、呪(まじない)を行う義。イツキ(斎)は畏敬の念をもって守護し仕える義、

とある(岩波古語辞典)。だから、

待つこと、

は、本来、

神の示現や降臨を願って待ちうけ、これを祭る、

という素朴で原初的な意味の、

神祭のありかた、

を示していたものとみられる(日本昔話事典)。当然、そこに集まる者は、

厳重な物忌、精進潔斎、

が要求され、村落にあって近隣同信のものが同じ場所に集まり、

一夜厳重に物忌して夜を明かす、

という行事を、

まちごと(待ちごと)、

と総称した(仝上)。

庚申の日、
甲子の日、
巳の日、
十九夜、
二十三夜、

等々があり、

庚申(こうしん)待ち、
甲子(きのえね)待ち、
十九夜講、
二十三夜講、

等々と呼ばれる。「庚申待」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488918266.html?1655318574については触れたが、この中でも一番普遍的な形のものが、

日待ち、

であり、

日祭の約(大言海)、

とあるように、

「まち」は「まつり(祭)」と同語源であるが、のちに「待ち」と解したため、日の出を待ち拝む意にした、

ともいわれ(精選版日本国語大辞典)、

日を祭る日本固有の信仰に、中世、陰陽道や仏教が習合されて生じたもの、

で(日本史辞典)、

ある決まった日の夕刻より一夜を明かし、翌朝の日の出を拝して解散する、

ものだが、元来、神祭の忌籠(いみごもり)は、

夜明けをもって終了する、

という形があり、「日待」もその例になる(世界大百科事典)とある。その期日は土地によってまちまちで、

正・五・九月の一日と十五日(日本昔話事典)、
1、5、9月の16日とする所や、月の23日を重んずる所もある。なかでも6月23日が愛宕権現(あたごごんげん)や地蔵菩薩(ぼさつ)の縁日で、この日を日待とするのもある。また庚申講(こうしんこう)や二十三夜講の日を日待とする所もある(日本大百科全書)、
一般に正・5・9月の吉日(広辞苑・大辞泉・大辞林)、
正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない(精選版日本国語大辞典)、
1・5・9・11月に行われるのが普通。日取りは15・17・19・23・26日。また酉・甲子・庚申など。二十三夜講が最も一般的(日本史辞典)、
旧暦1・5・9月の15日または農事のひまな日に講員が頭屋(とうや(とうや その準備、執行、後始末などの世話を担当する人))に集まる(百科事典マイペディア)、

等々と、正・五・九月以外は、ばらつく。

江戸初期の京都を中心とする年中行事の解説書『日次紀事』には、

凡良賤、正五九月涓吉日、主人斎戒沐浴、自暮至朝不少寝、其間、親戚朋友聚其家、雜遊、令醒主人睡、或倩僧侶陰陽師、令誦経咒、待朝日出而獻供物、祈所願、是謂日待……待月其式、粗同、凡日待之遊、

とある。これは町家の例だが、村々でも似ていて、

その前夜の夕刻から当番の家に集まる。(中略)当番に当たったものは、一晩中、神前の燈明の消えないように注意し、カマドの灰はすべて取り出して塩で清め、柴でなくて薪を使うとか、家中の女は全部外に出して、男手だけで料理を用意したともいう。集まるものも必ず風呂に入り、清潔な着物で出席した、

とも(日本昔話事典)、あるいは、

講員は米を持参して当番の家に集まり、御神酒(おみき)を持って神社に参詣する。香川県木田(きた)郡では、春と秋の2回、熊野神社の祭日に餅(もち)と酒を持参して本殿で頭屋2人を中心として、天日を描いた掛軸を拝む。土地によっては日待小屋という建物があって、村の各人が費用を持参する例もある。変わったものに鳥取市北西部に「網(あみ)の御日待」というのがあり、9月15日に集まって大漁を祈願するという、

とも(日本大百科全書)、また、

家々で交代に宿をつとめ、各家から主人または主婦が1人ずつ参加する(世界大百科事典)、

ともある。もともとは、

神霊の降臨を待ち、神とともに夜を明かす、

ことが本来の趣旨だったからと思われる(日本昔話事典)。しかし、「待つ」という言葉の含意から、

日の出を待って拝む、

に力点が移った(仝上)とされ、

御日待(おひまち)、
影待(かげまち)、

とも呼ばれるが(精選版日本国語大辞典)、後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる(仝上)。だから、

単に仲間の飲食する機会、

を「日待」というところも出てくる。ただ、

マチゴトとして神とともにあったことから、その席には神と人の合歓(ごうかん いっしょに喜ぶこと)をめぐる口承文芸が伝承される場、

となり、やがては夜を徹して眠気を払うための話題が求められ(日本昔話事典)、様々な話を語り、伝え合うことになった(日本昔話事典)。

この「日待ち」と対になるのが、

月待(ち)、

で、

十九夜待、
二十三夜待、
二十六夜待、

は、日待と区別して月待と呼ぶ(世界大百科事典)。「月待」も、

月祭(つきまつり)の約、

とある(大言海)。

マチは待ちうけること(日本昔話事典)、
まち設けて物する意、稲荷待(稲荷祭)なども同じ(大言海)

で、「日待」で、上述の『日次紀事』に、

待月其式、粗同、

とあったように、

神の示現や降臨を願って待ちうけ、これを祭る、

ことは同義だか、「月待」は、

特定の月齢の日を忌籠りの日と定め、同信の講員が集まって飲食をし、月の出を待って拝む行事、

で、「日待」と同様、

原始以来の信仰、

と見られ(日本昔話事典)、實隆公記(室町時代後期)に、

今夜待月看経、暁鐘之後参黑戸、就寝(延徳二年(1490)九月二十三日)、

と、

室町時代から確認され、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94。待つのは、

十三夜、
十五夜、
十七夜、
十九夜、
二十三夜、

などで(仝上・日本大百科全書)、十五夜の宴や名月をめぐる句会や連歌会などは、「月待」の行事から派生したとみられる。

二十三夜塔(横浜市緑区) 弘化3年.jpg

(「二十三夜塔」(横浜市緑区)弘化3年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94より)


十七夜塔(下妻市皆葉) 天保10年.jpg

(「十七夜塔」(下妻市皆葉)天保10年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94より)

十九夜に馬頭観音、
二十三夜に勢至観音、

をまつるところが多いのは、

修験道の七夜待ち、

といい、

十七夜に聖観音(千手観音)、
十八夜に千手観音(聖観音)、
十九夜に馬頭観音、
二十夜に十一面観音、
二十一夜に准胝観音(じゅんでいかんのん、じゅんていかんのん)、
二十三夜に勢至観音、

を拝むのに由来している(日本昔話事典)らしい。とりわけ、「二十三夜待ち」は、

三夜待ち、
三夜講、

といい、

正・五・九・十一月、正・六・九月、または正・十一月の二十三夜に営んだ(仝上)とある。そのスタイルは、

村落員全部の加入する講と女子のみの講とがあり、後者は子安観音の信仰と重なっている(仝上)、
月待は、組とか小字(こあざ)を単位とすることが多く、年齢によるもの、性別によるもの、あるいは特定の職業者だけの信仰者によるものなど、さまざまである。日を1日ずらして、男子の二十三夜に対し、女子だけ二十二夜に集まり、安産祈願を行う所もある(日本大百科全書)、

などとあり、二十三夜待はもっとも古く、實隆公記にあるように、

15世紀ごろに京都の公家社会では行われ、正月、5月、9月の月待が重視され、その夜は家の主人は斎戒沐浴して、翌朝まで起きているのが本来であった、

とあり(世界大百科事典)、

神道的に行う場合は月読(つくよみ)尊の掛軸を床の間に飾り、仏教的に行う場合は勢至(せいし)菩薩の掛軸を飾った、

とある(仝上)。村々でも、

十三夜塔、
十四夜塔、
十七夜塔、
十八夜塔、
十九夜塔、
二十夜塔、
二十一夜塔、
二十二夜塔、
二十三夜塔、
二十六夜塔、

等々「月待」の供養として立てた塔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%BE%85%E5%A1%94がさまざま残されているが、

村の四つ辻に、講員が拠出しあって建てた、

二十三夜塔、

が、

十九夜観音、
子安観音、

などとともにきわめて多い(日本昔話事典・百科事典マイペディア)、とある。

「日」 甲骨文字・殷.png

(「日」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5より)

「日」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.htmlで触れたように、「日」(呉音ニチ、漢音ヅツ)の字は、

太陽の姿を描いた象形文字、

である(漢字源)。

「月」 甲骨文字・殷.png

(「月」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88より)

「月」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444490307.htmlで触れたが、「月」(漢音ゲツ、呉音ゴチ)は、

象形、三日月を描いたもので、まるくえぐったように、中が欠けていく月、

とある(漢字源)。

「待」 漢字.gif

(「待」 https://kakijun.jp/page/0961200.htmlより)

「待」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

会意兼形声。寺は「寸(て)+音符之(足で進む)」の会意兼形声文字で、手足の動作を示す。待は「彳(おこなう)+音符寺」で、手足を動かして相手をもてなすこと、

とある(漢字源)が、「待つ」という意味がここからは出てこない気がする。別に、

形声。彳と、音符寺(シ)→(タイ)から成る。道に立ちどまって「まつ」意を表す(角川新字源)、

形声文字です(彳+寺)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形」(役人が「とどまる」所の意味)から歩行をやめて「まつ」を意味する「待」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji514.html

とある。

参考文献;
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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