ねたむ


「ねたむ」は、

妬む、
嫉む、

と当てる(大辞泉・大言海)。「妬む」「嫉む」の「妬」「嫉」の字は、

そねむ、

とも訓ませ(広辞苑)、「妬」の字は、また、

うらやむ、

とも訓ませる(大言海)し、

妬く、

で、

やく、

とも訓ませる(広辞苑)。「ねたむ」は、

女は、今の方にいま少し心寄せまさりてぞ侍りける。それにねたみて、終に今のをば殺してしぞかし(源氏物語)、

と、

(負かされたり、他人の方が幸せであったり、まさっていたりする立場におかれて)相手をうらやみ、憎む、忌々しく思う、

意や、

翁、胸いたきことなし給ひそ。うるはしき姿したる使にも障らじと、ねたみをり(竹取物語)、

と、

悔しく思う、癪に障る、

意で使うが、

妻ねためる気色もなくて過ごしけり(鎌倉時代中期「十訓抄」)、

と、

男女間のことで嫉妬(しつと)する、
やきもちをやく、

と、より絞った意味でも使う。「ねたむ」の語源を、

うれたし(慨哉)と意通ず、

とし(大言海)、「うれたし」は、

心痛しの約轉か(何(いづく)、いづれ)、嫉(ね)し、恨めしと意通ず(大言海)、
ウラ(心)イタシ(痛)の約(岩波古語辞典)、

とある。「うらなう」http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.htmlで触れたように、「うら(占)」は、

事の心(うら)の意、

で(大言海)、「心(うら)」は、

裏の義。外面にあらはれず、至り深き所、下心、心裏、心中の意、

であり(仝上)、「うら」は、

裏、
心、

と当て、

平安時代までは「うへ(表面)」の対。院政期以後、次第に「おもて」の対。表に伴って当然存在する見えない部分、

である(岩波古語辞典)。その意味で、「ねたむ」を、

心痛む、

とする意図はわかるが、語意の範囲が広すぎないだろうか。別に、

相手の名、評判が高く、自分に痛く感じられる意のナイタシ(名痛)から(日本語の年輪=大野晋)、
ネイタム(性痛見)の義(日本語原学=林甕臣)、
ネイタム(心根痛)から変化した(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ムネイタム(無念甚)の義、またムネイタム(心痛)の義(言元梯)、

等々あるが、「痛む」の共通項以上にはいかない。さらに、

「ねたし」+接尾辞「む」

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%82%80。形容詞「ねたし」から動詞「ねたむ」が生まれたとする説である。「ねたむ」は、

形容詞ネタシ(妬)と語幹が共通する動詞で、

ウム(倦)-ウシ(憂)、
スズム(涼)―スズシ(涼)、

と同様の関係がある。またネタマシは、動詞ネタムを形容動詞化した派生語である、

とある(日本語源大辞典)。その意味では、動詞→形容詞なのか、形容詞→動詞なのかは即断できない。ちなみに、

ねたし(妬し)、

は、

相手に負かされ、相手にすげなくされなどした場合、またつい不注意で失敗した場合などに感じる、にくらしい、小癪だ、いまいましい、してやられたと思うなどの気持。類義語クヤシは、自分のした行為を、しなければよかったと悔やむ意。クチヲシは期待通りに行かないで残念の意、

とある(岩波古語辞典)。

別に、類義語「そねむ」と関連づけて、音韻変化から、

ムネイタム(胸痛む)は小開き母韻(下あごの開きが小さい)を落としてネタム(妬む)になった。「タ」が子交(子音交替)[ts]をとげて、ネサム・ネソム(嫉む、壹岐)になった。ネソムは音調上、安定性がないので転位してソネム(猜む、嫉む)になった。「自分よりまさっているものをうらみ憎む、嫉妬する」という意である。〈さまあしき御もてなし故こそすげのうそねみ給ひしか〉(源氏物語)、

とする(日本語の語源)ものもあり、語源ははっきりしないが、「ねたむ」と「そねむ」の関連性を音韻変化で後付けているのは説得力がある。

では「そねむ」からみていくとどうなるのか。「そねむ」は、

嫉む、
妬む、
猜む、

と当て(広辞苑)、

羨み極まりて、惡む、他の能を妬みて仇せむとす、

とあり(大言海)、「ねたむ」より悪感情が勝っているようで、

起逆、謀傾窺便、爰天且嫌之、地復憎之、訓釋「嫌、ソネミ」(日本霊異記)、

と、

嫌う、
憎む、

意、さらに、

参内し給ふ臣下をもそねみ給へば、入道の権威にはばかって、通ふ人もなし(平家物語)、

と、

厭に思って疎外する、

意で使い、類聚名義抄(11~12世紀)には、

嫌・憎、そねむ、

とあり、明らかに、嫌悪の情が表面に出てきている含意となる。だから、「そねむ」の由来を、

背き妬(ねた)むの略(大言海・名言通)、
相手をソネ(确・埆 石の多い、堅い瘦せ地)と思う意、ごつごつして、とがった、不快なものと思うのが原義(岩波古語辞典)、

等々とあるところからは、「ねたむ」に比べると、悪意がより出てきている。

「ねたむ」の関東地方の方言に、

やっかむ、

というのがある。

うらやむ、
ねたむ、

意で使うが、

焼噛む、

の転訛とする説がある(江戸語大辞典)が、

焼き、ねたむ、

から、たとえば、

yaki-netamu→yakkamu

と転訛したのではあるまいか。「ねたむ」の類義語には、

羨む、
妬む、

とあてる、

うらやむ、

がある(大言海)。

花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心(古今和歌集・序)、

と、

人の様子を見て、そのようにありたいと思う、

意や、

群臣百寮、無有嫉妬(ウラヤミネタム)(推古紀)、

と、

ねたむ、
そねむ、

の意でも使う。字鏡(平安後期頃)に、

佒、懟(うらむ)也、心不服也、宇良也牟(ウラヤム)、又、阿太牟(アダム)、

とある。因みに、「あだむ」は、

仇む、

と当てる、

仇と思う意、

の、

この監(げん)にあだまれてはいささかの身じろぎせむも所せく(源氏物語)

と、

敵視する、

意となる(岩波古語辞典)。

「うらやむ」のの語源は、

ウラ(心)ヤム(病)が原義(岩波古語辞典・広辞苑)、
心病む(ウラヤム)の義にて、他を見て心悩む意なるべし、怨むと、粗、同意(大言海・和訓栞)、

と、ほぼ、

心(ウラ)病む、

意としている。これは、

優れている相手のように自分もありたいと憧れ、自分を卑しみ傷つく意。類義語のネタムは優位にある相手を傷つけようと思う意、ソネムは、良い状態の相手を、そね(确)のような石のごつごつした、とがった、嫌なものと思う意、

とある(岩波古語辞典)。なお、

妬く、

を、

やく、

と訓ませるのは、「火をつけて燃やす」意の、

焼く、

をメタファに、

冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らねかもわが情(こころ)焼く(万葉集)、

と、

心・胸などを熱くする、

意で使うが、それを更に絞って、

妬く代わりには手があるだらう(浮世床)、

と、

焼餅を焼く、嫉妬する、

意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

こうみると、

うらやむ→ねたむ→そねむ、

と相手への悪感情が勝るが、

先に昇進した同期生をねたむ(そねむ)」など、うらやみ憎む意では相通じて用いられ、「順調な出世をそねみ、ねたまれる」のように重ねて使われることもある、

ともある(大辞泉)。

こうした心の内の思いの先は、結局、

うらむ、

へと行き着く。「うらむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474030946.htmlで触れたように、「うらむ」は、

恨む、
怨む、
憾む、

と当て、その語源は、

心(うら)見るの転、

とされる(大言海・岩波古語辞典)。

ウラミのミは、miであった。従って、ウラミの語源はウラ(心の中)ミル(見る)と思われる、

とある(岩波古語辞典)。上述したように、「うら(占)」は、

事の心(うら)の意、

で(大言海)。「心(うら)」は、

裏の義。外面にあらはれず、至り深き所、下心、心裏、心中の意、

となり、「うら」は、

裏、
心、

と当て、「かお」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450292583.htmlの項でも触れたように、「うら(心・裏・裡)」は、

顔のオモテに対して、ウラは、中身つまり心を示します、

とし、

ウラサビシ、ウラメシ、ウラガナシ、ウラブレル等の語をつくります。ウチウラという語もあります。後、表面や前面と反する面を、ウラ(裏面)ということが多くなった語です、

ということになる(日本語源広辞典)。「うらむ」は、

相手の心のうちをはかりかね、心の中で悶々とする、

というのが原意であったと考えられるが、

相手の仕打ちに不満を持ちながら、表立ってやり返せず、いつまでも執着して、じっとと相手の本心や出方をうかがっている意。転じて、その心を行為にあらわす意、

とある(岩波古語辞典)ので、ほとんど行動に出る寸前というところだが、まだ、しかし、心の内にとどまっているのは、「ねたむ」「そねむ」「うらやむ」と、「うらむ」も同じなのである。

「嫉」 漢字.gif


「嫉」(漢音シツ、呉音ジチ)は、

会意兼形声。疾は「疒(やまい)+矢」からなり、矢のようにきつくはやく進行する病を意味する。嫉は「女+音符疾」。女性にありがちな、かっと頭にくる疳の虫、つまりヒステリーのこと、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AB%89)。別に、

会意兼形声文字です(女+疾)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「人が病気で寝台にもたれる象形と矢の象形」(人が矢にあたって傷つき、寝台にもたれる事を意味し、そこから、「やまい」の意味)から、女性の病気「ねたみ」を意味する「嫉」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2076.html

「妬」 漢字.gif


「妬」(漢音ト、呉音ツ)は、

形声。「女+音符石(セキ)」で、女性が競争者に負けまいとして真っ赤になって興奮すること。石の上古音は妬(ト・ツ)の音になりうる音であった、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(女+石)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味だが、ここでは、「貯」に通じ(「貯」と同じ意味を持つようになって)、「積もりたくわえられる」の意味)から、夫人(妻)の夫に対する積もった感情「ねたみ」を意味する「妬」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2077.html

「猜」 漢字.gif


「猜」(サイ)は、

会意。「犬+青(あおぐろい)」。もと、くろ犬のこと。くろ犬(中国では、人になつかないといわれている)のような疑い深いことをあらわす、

とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の注に、

ある種の犬を元は表す、

というはその意味で、

犬が懐かない様を言った、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8C%9C

「青」を音符とするのは説文解字来であるが「青」を音符をする漢字と音が大きく違うため、青黒い犬を表した会意文字、

とする説も成り立つ(仝上)、とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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