「区々」は、
くく、
とも、
まちまち、
とも訓ませる(広辞苑)。色葉字類抄(1177~81)に、
區區、クク、
とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、
區、マチマチ、
とある。
意見が区々(くく)に分かれる、
と
まちまちであること、
の意と、
悲むらくは、公の、ただ古人の糟粕を甘んじて、空しく一生を、區々の中に誤る事(太平記)、
と、
小さくてつまらぬさま、
の意で使う(広辞苑・大言海)。「區々」は、
以區區之齊在海濱(区区の斉を以て海濱に在り 史記・管晏傳)、
と、
小さい、
意で使っており、漢語である。だから、
且夫王者之用人。唯才是貴。朝為廝養。夕登公卿。而况区区生徒。何拘門資(「本朝文粋(1060頃)」)、
と、
面積、数量などがわずかであること、
それをメタファに、
物事の価値が少ないこと、とるにたりないこと、
の意や、
行人の毎日区々として、名利の塵に、奔走するを(「中華若木詩抄(1520頃)」)、
と、
小さなことにこだわること、こせこせすること、
の意や、
区々心地無煩熱、唯有夢中阿満悲(「菅家文草(900頃)」)、
と、
ものごとや意見などが一つ一つ別々でまとまっていないこと、
の意や、
区々渡海麑、吐舌不停蹄(仝上)、
と、
けんめいなさま、
の意で使う(精選版日本国語大辞典)が、何れも漢文系の文章で使われている。
「区々」を、
まちまち、
と訓ませる場合も、意味はほぼ同じで、
甄(あきらか)に道芸を崇め、区(マチマチ)に玄儒を別(わか)てり(「三蔵法師伝承徳点(1099)」)、
八方門の区(マチマチニ)別れたる十二部の綜要なり(「唐西域記巻十二平安中期点(950頃)」)、
それ出陣の道のまちまちなりとは申せども(平家物語)、
などと、
それぞれ異なること、
個々別々、
の意である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。「区々」に、
まちまち、
と訓じたのが何に因るのかは、
マ(間)チ(道)を重ねたもの(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ワカチワカチ(分々)の義(言元梯)、
田間の町のように一所ずつ分かれている意(日本釈名)、
区々の訓、街衢の意(和訓栞)、
の諸説だけでははっきりしないが、漢語「区々」は、
秦以区々之地、致萬乗之權(賈誼(かぎ)、過秦論)、
と、
小さい、狭い、
意であり、そこから転じて、
答蘇武書、區區竊慕之耳(李陵)、
と、
おのれの心を謙していう、
とある(字源)。あるいは、
区々之心(くくのこころ)、
と、
小さくつまらぬ心、
の意、また、
おのれの心を謙していふ、
とあり、略して、
區區、
ともいう(仝上)とあるのを見ると、漢語「区々」には、
まちまち、
個々別々、
の意はない。とすると、「まち」からきたと考えるのが自然である。「まち」は、
町、
区、
と当て、
土地の区画・区切り、仕切りの意、
とあり(岩波古語辞典)、
田の区画、
市街地を道路で区切った、その一区画、
宮殿・寺院・邸宅内の一区画、
(「坊」と当て)都城の条坊制の一区画、
物を売る店舗、市場、
などといった意味があり(岩波古語辞典・大言海)、和名類聚抄(平安中期)には、
町、未知(まち)、田區也、
字鏡(平安後期頃)には、
町ハ、田區ノ畔埓(かこい)也、
とあり、さらに、和名類聚抄(平安中期)には、
坊、萬知、別屋也、
とも、また
店家、俗云東西町是也、坐売物舎也、
ともあり、平安末期『色葉字類抄』には、
市町(いちまち)、人皇廿代持統天皇之時、諸国市町始也、
ともある。「まち」の由来は、
閒路(マチ)の義にて、田閒の路の略の意と云ふ(大言海)、
田閒の路をいうマチ(間道・間路)の義(日本釈名・東雅・箋注和名抄・筆の御霊)、
ヒノミチ(間道)の略か(玄同放言)、
マチ(間道・間路)の義(俚言集覧・和訓栞・語簏・柴門和語類集・国語の語根とその分類=大島正健)、
ミチ(道)と同原同義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
マチ(間地)の義か(和句解)、
マチ(間所)の義(言元梯)、
間処の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々、区分の「道」を取るか、分かれた「土地」をとるかで別れるようだ。「みち」は、古く、
ち、
といい、
道、
方向、
と当て、
青丹よし奈良の大路(おほち)は行きよけどこの山道は行き惡しかりけり(万葉集)、
大坂に遇ふや嬢子(をとめ)を道(みち)問へばただには告(の)らず当麻路(たぎまぢ)を告る(万葉集)、
と、
道、また、道を通っていく方向の意、独立して使われた例はない、「……へ行く道」の意で複合語の下項として使われる場合は多く濁音化する、
とあり(岩波古語辞典)、「みち」は、
ミは神のものにつく接頭語、チは道・方向の意の古語。上代すでにチマタ・ヤマヂなどの複合語だけに使われ、また、イヅチのように方向を示す接頭語となっていた。当時は、人の通路にあたるところには、それを領有する神や主がいると考えられたので、そのミコシヂ(み越路)・ミサカ(ミ坂)・ミサキ(み崎・岬)などミを冠する語例が多く、ミチもその類。一方ミネ(み嶺)・ミス(み簾)など一音節語の上にミを冠した語は、後に、そのまま普通の名詞となったものがあり、ミチも同様の経過をとって、通路の意で広く使われ、転じて、人の進むべき正しい行路、修業の道程などの意に展開し、また、人の往来の意から、世間の慣習・交際などの意に用いた(岩波古語辞典)、
ミは発語、チは通路なり、古事記「味御路(ウマシミチ)」、神代紀「可恰御路(ウマシミチ)」と見ゆ(大言海)、
などとあり、和名類聚抄(平安中期)に、
大路、於保美知、
とある。他方、同じ「ち」と訓む、
地、
は、古く、呉音で、
雲の上より響き、地(ヂ)の下よりとよみ、風・雲動きて、月・星さわぐ(宇津保物語)、
と、
ヂ、
と訓ませていた(岩波古語辞典・明解古語辞典)。こう見ると、「まち」の、「ち」は、
路・道、
の「ち」のようである。
「區(区)」(漢音ク・オウ、呉音ク・ウ)は、
会意。「匸印+狭いかっこ三つ」で、こまごまとして狭い区画をいくつも区切るさま、
とあり(漢字源)、「区々」は、
こまごまと狭苦しいさま、
転じて、
自分のことをへりくだっていうことば、
とある(漢字源)が、
会意。匸(かくす)と、品(多くの物)とから成る。多くの物をしまいこむことから、くぎる、区分けする意を表す、
とか(角川新字源)、
「區」の略体。「區」は、「品(物の集合)」に「匸(かくしがまえ:「かくす」「わける」)」を併せた、会意文字。同系語に「躯」「駆」など、
とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%BA)、
会意文字です(匸+品)。「四角な物入れ」の象形と「品(器物)」の象形から、多くの物を「くわけする」を意味する「区」という漢字が成り立ちました、
とか(https://okjiten.jp/kanji477.html)、「品(物)」「品(器物)」と「物」とする説が多数派である。
(「區」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%BAより)
なお「ちまた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464423994.html)については触れたことがある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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