2022年07月09日

もの狂い


世の中になほいと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。誰てふもの狂ひか、我、人にさ思はれんとは思はん(枕草子)、

にある、

もの狂ひ、

は、

物狂ひ、

と当て、古くは、

ものくるい、

と清音(大辞泉)、

正気でなくなること、
何かの原因で正常な判断ができなくなること、

の意で、

「もの(=霊・魂)」がついて、正気が狂う(大辞泉)、
鬼祟(もの)に狂ふ意といふ(大言海)、

とある(仝上)。

「もの」http://ppnetwork.seesaa.net/article/462101901.htmlは、

形があって手に振れることのできる物体をはじめとして、広く出来事一般まで、人間が対象として感知・認識しうるものすべて。コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるに対して、モノは推移変動の観念を含まない。むしろ変動のない対象の意から転じて、既定の事実、避けがたいさだめ、普遍の慣習・法則の意を表す。また、恐怖の対象や、口に直接指すことを避けて、漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。人間をモノと表現するのは、対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている、

とあり(岩波古語辞典)、「オニ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461493230.htmlで触れたように、折口信夫は、

極めて古くは、悪霊及び悪霊の動揺によって著しく邪悪の偏向を示すものを「もの」と言った。万葉などは、端的に「鬼」即「もの」の宛て字にしてゐた位である、

とし(『国文学』)、『大言海』も、「もの(物)」を四項に区分し、そのひとつ「もの」は、「者」の意より移り、

神の異称、

転じて、

人にまれ、何にまれ、魂となれるかぎり、又は、靈ある物の幽冥に屬(つ)きたる限り、其物の名を指し定めて言はぬを、モノと云ふより、邪鬼(あしきもの)と訓めり。又、目に見えぬより、大凡に、鬼(万葉集七十五、「鬼(モノ)」)、魂(眞字伊勢物語、第廿三段、「魂(もの)」)を、モノと云へり、

としているが、大野晋は「『もの』という言葉」と題した講演で、

「もの」という精霊みたいな存在を指す言葉があって、それがひろがって一般の物体を指すようになったのではなく、むしろ逆に、存在物、物体を指す「もの」という言葉があって、それが人間より価値が低いと見る存在に対して「もの」と使う、存在一般を指すときにも「もの」という。そして恐ろしいので個々にいってはならない存在も「もの」といった。古代人の意識では、その名を傷つければその実体が傷つき、その名を言えば、その実体が現れる。それゆえ、恐ろしいもの、魔物について、それを明らかな名で言うことはできない。どうしてもそれを話題にしなければならないならば、それを遠いものとして扱う。あるいは、ごく一般的普遍的な存在として扱う。そこにモノが、魔物とか鬼とかを指すに使われる理由があった、

とするhttp://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/onitoyobaretamono.htm。折口信夫が、古代の信仰では

かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、ものと、の四つが代表的なものであった、

とする(『鬼の話』)のに対し、

「かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、もの」は、平安時代なら適用するが、それ以前は、「かみ」「たま」「もの」の三つであって「おに」は入らない、

とする説も(大和岩雄『鬼と天皇』)ありhttp://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/onitoyobaretamono.htm、ぼくには、憶説ながら、

もの、

としか呼べないものの中から、

かみ、
と、
たま(霊)、

もの、

が分化し、さらに「もの」から、

おに(鬼)、

が分化していった、というように見える。いずれにしろ、

その意味で、「もの狂い」の「もの」は、神なら、

神降ろし、

つまり、

神の託宣を聞くために、巫女などがわが身に神霊を乗り移らせること、

の意となり、霊なら、

憑依、

といい、あるいは、

狐憑き、

のように、

狐の霊に取り憑かれ精神が錯乱した状態、

に陥る。

だから、「もの狂い」には、現象として、

正気でなくなること、

の意だが、その因ってきたるものが、

神の乗り移ったもの、

なのか、

霊の憑依したもの、

なのか、

によって、

神かがる状態、

なのか、

もの(靈)に憑かれた状態、

なのかが違ってくる。いずれにしろ、一種狂乱状態をメタファに、

ものに憑かれた状態、

を表現するのが、「能」「狂言」の、

物狂い、

であり、

子や夫と別れるなどの精神的打撃により一時的に心の均衡を失った主人公がそれを自覚しながら周囲の風物に敏感に反応し、おもしろく戯れ歌い舞うこと、

を、

物狂い能、

という(大辞泉)。

「能の謡の五百以上もある曲目において、その半数までが神と人、もしくは精霊と人との交錯であり混同であって、必ず一人のシテが前後二つの舞を舞うことになっている」(柳田國男「女性と民間伝承」)

とされる能の演目の、

神・男・女・狂・鬼、

の五種類の、四番目、

「隅田川」
「班女」
「蘆刈」

等々の、

狂乱物、
狂い物、

と呼ばれるものである。

「物」  漢字.gif


「物」(漢音ブツ、呉音モツ・モチ)は、「もの」http://ppnetwork.seesaa.net/article/462101901.htmlで触れたが、

会意兼形声。勿(ブツ・モチ)とは、いろいろな布でつくった吹き流しを描いた象形文字。また、水中に沈めて隠すさまという。はっきりと見分けられない意を含む。物は、「牛+音符勿」で、色合いの定かでない牛。一定の特色が内意から、いろいろなものをあらわす意となる。牛は、物の代表として選んだにすぎない、

とあり(漢字源)、

天地間に存在する、有形無形のすべてのもの、

を意味する(字源)。そこから、コトに広がり、

物事、

へと意味を拡げる。上記の、

「牛」+音符「勿」。勿は「特定できない」→「『もの』の集合」の意(藤堂明保説)、

の他に、

犂で耕す様(白川静説)があるが、

古い字体がなく由来が確定的ではないhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9とある。別に、

形声。牛と、音符勿(ブツ)とから成る。毛が雑色の牛の意から、転じて、さまざまのものの意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(牜(牛)+勿)。「角のある牛」の象形と「弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)から、清められたいけにえの牛を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「もの」を意味する「物」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji537.html

「狂」 漢字.gif


「狂」(漢音キョウ、呉音ギョウ)は、「狂骨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485097166.htmlで触れたように、

会意兼形声。王は二線の間に立つ大きな人を示す会意文字、また末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、大げさにむやみに走り回る犬、あるわくを外れて広がる意を含む、

とあり(漢字源)、別に、

形声。犬と、音符王(ワウ)→(クヰヤウ)とから成る。手に負えないあれ犬の意を表す。転じて「くるう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ(同じ読みを持つ「枉」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の
意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1163.html。「王」を示す甲骨文字がかなりの数あって、「王」(オウ)の字の解釈には、

「大+―印(天)+-印(地)」で、手足を広げた人が天と地の間に立つさまをしめす。あるいは、下が大きく広がった、おのの形を描いた象形文字ともいう。もと偉大な人の意、

とある(漢字源)他、諸説あり、中でも、

象形文字。「大」(人が立った様)の上下に線を引いたもの。王権を示す斧/鉞の象形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B

象形文字です。「古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり」の象形から「きみ・おう」を意味する「王」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji189.html

と、「まさかり」「おの」と見る説が目につく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 02:53| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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