2022年07月11日

うはなりうち


松坂屋甚太夫が女房、うはなりうちの事(諸国百物語)、

にある、

「うはなりうち(うわなりうち)」とは、

後妻打(ち)、

と当て、

あさましや、六条の御息所(ミヤスドコロ)ほどのおん身にて、うはなりうちの御ふるまひ(謡曲「葵上」)、

と、

本妻や先妻が後妻をねたんで打つ、

意味で、

室町時代、妻を離縁して後妻をめとった時、先妻が意趣を晴らそうと、親しい女たちを語らって、予告して後妻の家を襲い、家財などを打ち荒らす習俗があった、

とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、

輔親の家に雜人多く至りて濫行をなす。女方宇波成打(うはなりうち)と云々(「御堂関白日記(1012)」)、

と、平安時代から見られ、室町時代に多く見られ(仝上)、天正初期(1570年代半ば)の『林逸節用集』に、

嫌打、ウハナリウチ、

とある。

往古うはなり打の図  歌川広重画.jpg

(「往古うはなり打の図」(歌川広重) 女たちが双方に別れ、箒や擂り粉木など日用の道具を持って争う https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%A6%BB%E6%89%93%E3%81%A1より)

相当打(さうたううち)、
騒動打、

ともいう(広辞苑)。

最古の記述は寛弘七年(1010)二月、

藤原道長の侍女が夫の愛人の屋敷を約30人の下女と共に襲撃した、

というのがある(平安中期「権記(藤原行成日記)」)し、北条政子が、

源頼朝の愛妾亀の前に後妻打ちをした(吾妻鏡)、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%A6%BB%E6%89%93%E3%81%A1。「うはなりうち」の習俗は、寛永(17世紀前半)を過ぎた頃にはすでに絶えていたらしい(仝上)。

うわなりうち.jpg

(後妻打(うわなりうち) 広辞苑より)

前妻が後妻をねたむこと、

は、

須勢理毘売命(スセリビメノミコト)甚(いた)くうはなりねたみしたまひき(古事記)、

と、

うはなりねたみ(後妻嫉妬)、

といい、平安末期『色葉字類抄』に、

妬 ウハナリネタミ、

とある。

うはなり(うわなり)、

は、

後妻、
次妻、

と当て、

ある女房、うはなりをたちまちとり殺さんと思ひ(御伽草子・火桶の草紙)、

と、一夫多妻のころの制度で、

あとに迎えた妻。上代は前妻または本妻以外の妻をいい、のちには再婚の妻をいう、

とあり(デジタル大辞泉)、

第二夫人や、めかけなどを云うことが多い、

とある(岩波古語辞典)。和名抄には、

後妻、宇波奈利、

とあるが、類聚名義抄(11~12世紀)には、

妬、ウハナリ、

とあり、「うはなり」そのものが、

妬み、

をも意味していたようだ(大言海・柳田國男「女性と民間伝承」)。

宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る 我が待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯨障(さや)る 前妻(こなみ)が 菜乞はさば 立そばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うはなり)が 菜乞はさば いちさかき 実の多けくを こきだひゑね ええ しやこしや こはいのごふぞ ああ しやこしや こはあざわらふぞ(古事記)、
うはなりこなみ、一日一夜よろづのことをいひ語らひて(大和物語)、

などとあるように、「うはなり」は、

嫡妻、
前妻、

と当てる、

こなみ、

の対である。「こなみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/478998852.htmlで触れたことだが、

山彦冊子(橘守部 天保二年(1831))に、コナミは、着馴妻(こなれめ)の轉(着物、ころも。雀、すずみ)。ウハナリは上委積妻(ウハナハリメ)の轉(なげかはし、なげかし)。古へ、二妻(ふたづま)を、衣を、二重着るに譬えたり、とあり(和訓栞、コナミ「熟妻(こなめ)、或は、モトツメと読めり」、ウハナリ「ウハは、重なる義也、ナリは並(ならび)の義、ラ、ビの反(かえし)、リ」)。仁徳紀廿二年正月、「天皇納八田皇女将為妃、皇后御歌『夏蟲の譬務始(ヒムシ 夏蠶(ナツコ))の衣二重着て隠み宿りは豈良くもあらず』」、萬葉集「おおよそに吾し思はば下に着て馴れにし衣を取りて着めやも」「紅の濃染の衣下に着て、上らに取り着ば言成さむかも」。何れも、二妻のことを云へりなりと云ふ、

とあり(大言海)、「こなみ」「うはなり」ともに、着物に喩えた、と見る。「うはなり」の「うは」は、

ウハヲ(上夫)・ウハミ(褶)・ウハ(上)などのウハと同根、後から加えられるものの意、

とあり(岩波古語辞典)、

うはづつみ(上包)、
うはつゆ(上露)、
うはぬり(上塗り)

等々同趣の言葉が多く、これは、重ねるという意味にもなり、同趣旨の説が多い。

ウヘニアリ(上在)の転(名語記・俚言集覧)、
後にきてウヘ(上)ニナルという意か(和句解)、
ウハは上で、重なる意。ナリは並の義(和訓栞・名言通・日本語源=賀茂百樹)、
ウハ(上)ナリ‐メ(女)の略。ウハナルは下に着た着物の上にもう一重重ねる義(山彦冊子)、
ウハナリ(上也)の義(言元梯)、
ウハは後の意(古事記傳)、

しかし、「なり」の説明が得心がいかない。単純に考えれば、

上成、

なのだが、そうあけすけには言うまいから、

ならぶ(並)、

が妥当なのかもしれない。対して、後の夫の意の、

後夫(うはを)、

といい、和名類聚抄(平安中期)に、

後夫、宇波乎(ウハヲ 上夫)、一云、伊萬乃乎宇止(いまのをうと)、

とある。対して、前夫は、

之太乎(したを 下夫)、

で、類聚名義抄(11~12世紀)に、

前夫、シタヲ、一云、モトノヲトコ、

和名類聚抄(平安中期)に、

前夫、之太乎、

とわかりやすい言い方になっている。なお、「うはなり」に、

嫐、

の字を当てると、

歌舞伎十八番の一つ。元禄十二年(1699)中村座の「一心五界玉」で初代市川団十郎が初演、

の演目で、

嫐を描いた錦絵.jpg

(嫐を描いた錦絵(香蝶楼豊国)国立国会図書館蔵 デジタル大辞泉より)

うわなり打ち、

を題材に、

甲賀三郎(こうがのさぶろう)を間にはさんで、先妻と後妻がうわなり打ちをし、先妻が恨みから鬼と化したのを三郎が退治する、

というものでhttps://www.eg-gm.jp/e_guide/memo/a/memo_uwanari.html

元となる資料が極端に少なく、昭和六十一年一月上演の際には、元禄十二年に初代市川團十郎が演じたときの評判記のわずか数行の記事から構想し、同時代の近松門左衛門の「弘徽殿鵜羽産屋(こきでんうのはのうぶや)」からストーリーと人物を借りて脚本が作られました、

とある(仝上)。

「妻」 漢字.gif

(「妻」 https://kakijun.jp/page/0856200.htmlより)

「妻」(漢音セイ、呉音サイ)は、

会意文字。「又(て)+かんざしをつけた女」で、家事を扱う成人女性を示すが、サイ・セイということばは、夫と肩をそろえる相手をあらわす、

とあり(漢字源)、「糟糠之妻」「荊妻(ケイサイ)」というように、「夫の配偶者」の意である。別に、

象形、(婚礼の)髪飾りをつけた女性。又は、「又」(手、動作)+「女」で会意とも。「夫」をそろうの意で「斉」等と同系、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%BB

「妻」 金文・西周.png

(「妻」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%BBより)

象形。かんざしをさし、手で髪を調えている女の形にかたどり、「つま」となった者の意を表す、

とも(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji42.html)ある。

「嫐」 漢字.gif

(「嫐」 https://kakijun.jp/page/9B6B200.htmlより)

「嫐」(漢音ドウ、呉音ノウ)は、

会意文字。「女+男+女」、

としかなく、「なやむ」「うるさい」意とある(漢字源)。

嬲、

の異体字ともあるhttps://kakijun.jp/page/9B6B200.htmlが、「嬲」(ジョウ)は、

なぶる、
からかう、

意で、意味を異にする(字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:09| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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