「歌占(うたうら)」は、
巫女(みこ)や男巫(おとこみこ)が神慮を和歌で告げること、また、その歌による吉凶判断、
とあり(大辞泉)、
恵心僧都、巫女に心中の所願を占へとありければ、歌占に和讃を唱へて、「十万億の国国は、海山隔てて遠けれど、心の道だに直(なほ)ければ、つとめて至るとこそ聞け」と占ひたりければ(鎌倉初期の説話集『古事談』)、
と、
巫女などの口から出る歌を手掛かりに占いを行うこと、
である(岩波古語辞典)。本来は、神との交信をする行為、つまり、
巫(かんなぎ、古くはかむなき)、
であったが、後に、中世、
男巫(みこ)の候が、小弓に短冊を付け歌占を引き候が(謡曲「歌占」)、
と、
白木の弓に、歌を書いた多くの短冊を下げ、その一つを当人に引かせ、出た歌によって神慮をうかがう占い(岩波古語辞典)、
となり、さらに近世になると、
七月七日「不論男女七人会同、各書旧歌百首、都合為一巻、用歌占(「長秋記(1133)」)、
とあるように、
草紙や百人一首を開いて出た歌などによって吉凶を占う(広辞苑・大辞林)、
ものに変わっていく。
(「歌占」 精選版日本国語大辞典より)
この「歌占」を主題にし、
伊勢の神職度会(ワタライ)家次が、歌占をして諸国を巡るうち、自分を尋ねる我が子幸菊丸と再会し、里人の所望で地獄巡りの曲舞(クセマイ)を舞う、
という能の「歌占」になる。それは、
加賀国 白山の麓に住む男(ツレ)は、父を捜す幼子(子方)を連れ、最近評判の占い師(シテ)のもとを訪れる。聞けば、彼はもと伊勢の神官で、かつて故郷を去った神罰により頓死し、三日後に蘇生した経験をもつという。彼はさっそく男と幼子の悩みを占うが、その中で、幼子は既に父と再会しているとの結果が出る。訝りつつも幼子の素性を尋ねる占い師。そうするうち、実はこの占い師こそ、幼子の父であったことが判明する。
この再会も神慮ゆえと、帰郷を決意した占い師。彼はその名残りにと、男の求めに応じ、頓死の折に体験した地獄の様子を舞って見せる。しかしこの舞は、神の憑依を招き寄せる恐ろしい舞であった。舞ううちに狂乱状態となって責め苛まれ、これまでの無沙汰を神に詫びる占い師。やがて正気に戻った彼は、我が子を連れ、故郷へと帰ってゆくのだった、
という概要(http://www.tessen.org/dictionary/explain/utaura)で、
弓につけた短冊を選ばせ、その歌で占う、
中世の風俗と、頓死して3日目に蘇生し、地獄を見た恐怖で白髪となっている、
シテの舞う地獄巡りの曲舞(くせまい)、
が眼目(日本大百科全書)とある(「歌占」については、https://www.nousyoukai.com/blank-26に詳しい)。因みに曲舞(くせまい)は、
久世舞、
九世舞、
とも書き、『七十一番職人尽歌合(しょくにんづくしうたあわせ)』に、
白拍子(しらびょうし)と曲舞とが対(つい)になっている
ので、囃子(はやし)、服装などの類似から、その母胎は白拍子舞にあるのではないかといわれている(仝上)。服装は、児(ちご)は水干(すいかん)、大口(おおくち)、立烏帽子(たてえぼし)、男は水干のかわりに直垂(ひたたれ)を着け、扇を持ち鼓にあわせて基本的には一人舞を舞った、
とあり、南北朝時代から室町時代にかけて流行した中世芸能の「曲舞」を、大和(やまと)猿楽の観阿弥(かんあみ)が自流の能の謡のなかに取り入れて独自の芸風を確立したとされる(仝上)。
その「歌占」の度会(わたらい)家次の後裔と称する伊勢の北村某という旧家に、
「持ち伝えた歌占の弓というものは、長さ三尺ばかりの木の弓で、取柄には赤地の絹を糸にて巻き、弓の本末(もとうら)に一種の歌が書いてありました。
神ごころ種とこそなれ歌うらのひくもしら木のたつた山かな
……意味がいっこうにはっきりせぬ歌ですが、謡の方には、「引くも白木の手束(たづか)弓」とありますから、これだけはもう誤っているのです。
なおそれ以外に八枚の短冊に歌が書いて、弓の弦に結びつけてありました。歌占を引くというのはすなわちこの短冊の一枚を、多分目でもつぶって手にとること、あたかも今日のおみくじのごときもので、かの「歌占」の男みこの、
小弓に短冊を付け歌占を引き候が、けしからず正しき由を申し候ふ程に云々、
と言われていたのは、疑いもなくこの事であります」
とあり(柳田國男「女性と民間伝承」)、歌は、たとえば、
鶯のかひこの中のほととぎすしやが父に似てしやが父に似ず、
といった類である(仝上)。上記に「本末(もとうら)」というのはよくわからないが、弓の場合、
弓を射る時、下になる方の弭(はず)を「もとはず(本弭・本筈)」、
上になる方を(弓材の木の先端を末(うら)と呼ぶことので)「うらはず(末弭・末筈)」、
というが、何処を指しているのかはっきりわからない。文意からすると、「歌占」の短冊とは別に、弓の上になる方(うらはず)辺りにつけた短冊に書いてあるということだろう。なお「弓」については「弓矢」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html)で触れた。
「うた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448852051.html)で触れたことだが、「うた」は、古代特別な意味、神事や呪術性という意味を持っていると考えると、
ウタフ(訴)の語根。これからウタフを経過して、ウタヒとウタヘとに分化した(万葉集講義=折口信夫)、
という、
ウタフ(訴)、
ではないかという気がする。語源から考えれば、
ウタフ(ウ)、
は、色ふ、境ふ、等々と同趣で、
歌を活用せしむ、
でいいと思うのだが(大言海・日本語源広辞典)、もう少し踏み込んで、、
ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根で、自分の気持ちをまっすぐに表現する意、
とし、
ウタ(歌)アヒ(合)の約で、もとは唱和する意か、
とする(岩波古語辞典)説もある。なお、「うらなう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.html)、「うたがう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/477908236.html)については触れた。
「歌」(カ)は、
会意兼形声。可は「口+⏋型」からなり、のどで声を屈折させて出すこと。訶(カ)・呵(カ のどをかすらせて怒鳴る)と同系。それを二つ合わせたのが哥(カ)。歌は「欠(からだをかがめる)+音符哥」で、のどで声を曲折させ、からだをかがめて節をつけること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(哥+欠)。「口の象形と口の奥の象形×2」(「口の奥から大きな声を出す、うたう」の意味)と「人が口を開けている」象形(「口を開ける」の意味)から、「人が口をあけ大きな声でうたう」を意味する「歌」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji220.html)。
「占」(セン)は、「うらなう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.html)で触れたように、
「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、あるものある場所を示す記号。卜(うらない)によって、ひとつの物や場所を選び決めること、
とある(漢字源)。「卜」(漢音ボク、呉音ホク)は、
亀の甲を焼いてうらなった際、その表面に生じた割れ目の形を描いたもの。ぼくっと急に割れる意を含む、
とあり(仝上)、これは、
亀卜(きぼく)、
というが、
亀の腹甲や獣の骨を火にあぶり、その裂け目(いわゆる亀裂)によって、軍事、祭祀、狩猟といった国家の大事を占った。その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞、すなわち甲骨文字であり、卜という文字もその裂け目の象形である。亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが、次の周代になると、筮(ぜい 易占)に取って代わられ、しだいに衰えていった、
とある(世界大百科事典)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
柳田國男「女性と民間伝承(柳田國男全集10)」(ちくま文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95