「影向(ようごう)の松」という名の松が、今日、
影向のマツ 善養寺(江戸川区東小岩)境内に生育している樹齢は600年以上のクロマツの巨木、
影向の松 善福院(三重県伊賀市)境内に生育している松(現在三代目)、
影向の松 春日大社(奈良県奈良市)境内に生育しているクロマツ(平成に入って枯れたため現在後継樹を育成)、
影向の松 不洗観音寺(岡山県倉敷市)境内に生育している推定樹齢200年のクロマツ、
があるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E5%90%91%E3%81%AE%E6%9D%BE)。
春日大社影向の松には、
春日大明神が降臨し万歳楽(まんざいらく)を舞ったとされ、能舞台の鏡板の松はこの松を描いたものとされる、
という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BD%B1%E5%90%91)。
(万歳楽 精選版日本国語大辞典より)
「影向」は、
ようごう、
と訓ませ、また、
ようこう、
とも訓むが、
えいこう、
えこう、
とも、
えいきょう、
などとも訓む(広辞苑・字源・大言海)。これは、「影」が、
漢音エイ、呉音ヨウ、
「向」が、
漢音キョウ、呉音コウ、
と発音するため、
ようこう、
ようごう、
の訓みは、呉音によっている。『文明本節用集』(ぶんめいほんせつようしゅう 室町時代の文明年間以降に成立)には、
影向、ヤウガウ、
とある。
「影向」は、
誠に来迎引摂(らいごういんじょう)の悲願も、この所に影向を垂れ(平家物語)、
と、
神または仏が現れること、
また、
神仏が一時応現すること、
の意で(広辞苑・岩波古語辞典)、
衆生済度のため化身となり出現すること、
を意味する(大辞林)が、
神仏が本来の居場所を離れ有縁の人前に姿をとって赴くこと、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BD%B1%E5%90%91)のが、正確な意味に思える。この、
神仏が仮の姿となって、この世に現れること、
あるいは、
姿を見せずに現れること、
を、
権現、
という(世界大百科事典)。
神仏の影向は、中世の社寺縁起にしばしばみられ、それにちなんだ伝承地は各地に残されている。また、中世の絵画には、神仏の影向を具体的に描いたものが多くみられ、人々は、そのような神仏の具体的な姿を信仰の対象とした(仝上)、という。
「影向の松」の名も、
この松が枝を多くのばし、まるで母親が両手を広げて子どもたちを抱えるようなその姿に由来する、
とされる(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/5547.htm)。
影とは、物の陰影なり、本体ありて、その陰(影)を他面に対向せとむるを影向と云ふ、即ち、月影の水面に映ずるが如し、
とある(大言海)。
「播州飾磨(しかま)の了覚寺という寺にも、孤松一名折居松というのがあって、和泉(式部)の手栽(てうえ)ともいえばまたこの松を栽えた時に、ちょうど彼女が生まれたから折居松だともいっていたそうであります。生まれたから折居松は意味がないようですが、折居は宛て字であって、実は降臨松であったらしいのであります。神木へ神が御降りになると称して、その下で祭りをした風習の盛んであった頃には、その木を影向松(ようごうまつ)とも、星降りの松とも、勧請(かんじょう)の木ともまた腰掛木ともいっておりました。今でも無数にその名の木が諸国に残っておりますが、その神を顕わしたのは通例は樹の下に立たしめた童男童女でありました。」
とあり(柳田國男『女性と民間伝承』)、
「神は高い空から、清い地の上に御降りなされるものという信仰から、枝ぶりの尋常でない木をもって神意を暗示するもの」
と考え、
枝垂れ木、
笠木(笠松)、
と呼んだりした(仝上)。また、各地には、
仏や神が姿を現した霊石、
を、
影向石(ようごういし)、
と呼ぶ、
神仏が顕現した事蹟が存在し、その地に寺社が建立されることも多い、
とあり(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BD%B1%E5%90%91)、
知恩院の影向石、
は、建暦二年(1212)法然の臨終に際し、瑞相や紫雲が立ちこめる奇瑞が現れたが、そのときに賀茂大明神がこの石に降臨した、
といわれる(仝上)。こうした由来からか、
影向石、
は、
拝み石、
とも言い、
遠くの神(神社)を遙拝したり、来臨する神を遥拝したりする場所にある石、また、その石にまつわる伝説、
を指す(精選版日本国語大辞典・日本伝奇伝説大辞典)。南高諏訪神社(福島県信夫郡)の「拝み石」は、
倭健命がここで諏訪を遥拝した、
と伝え、四天王寺(大阪市)南大門の「拝み石」は、
紀州の熊野神社に向かって礼拝する目印、
とされ、岡山県久米郡福渡町にある、
三尊石仏岩、
は、
弥陀三尊の来迎を拝んだ、
と伝承される(仝上)。
遥拝の場所を示す石、
であるか、
神仏の影向を伝える石、
であるか、いずれにしても、この背景には、
神が天上から岩石の上に降臨し、また遠来の神が石に一時休息して人界に来臨する、
という考えがあり、
腰掛石、
影向石、
降臨石、
勧請石、
と呼ぶ「石」は、
影向松、
降臨松、
勧請の木、
神代杉、
等々の「木」と同様に、
神の依代、
と考えていいようである(仝上)。
(影向寺(野川)の影向石(右) http://www.miyamae-kankou.net/historyculture-category/2009-11yougouji/より)
影向寺(野川)の影向石は、
江戸時代の初め万治年間に、当時の薬師堂が火を被ると、本尊薬師如来は自ら堂を出て、影向石の上に被災を逃れたと伝えられています。石に神仏が馮依しているとして爾来影向石と称されようになり、寺名も養光寺から影向寺と改めた、
とされる(http://www.miyamae-kankou.net/historyculture-category/2009-11yougouji/)。
こうした経緯からか、
庭園を眺めたり礼拝したりする場所に置く平たい石、
も、
お墓の手前に敷かれている板状の石、
も、
拝み石、
と呼ぶようである(精選版日本国語大辞典)。なお、歌舞伎(享保16年11月(京・早雲座)初演)の外題、
影向石、
は、
えいごうせき、
と通称するようである(歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典)。
「影」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、
会意兼形声。景は「日(太陽)+音符京」からなり、日光に照らされて明暗のついた像のこと。影は「彡(模様)+音符景」で、光によって明暗の境界がついたこと。とくに、その暗い部分、
とあり(漢字源)、別に、
会意兼形声文字です(景+彡)。「太陽の象形と高い丘の上に建つ家」の象形(「光により生ずるかげ」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様・色どり」の意味)から、「かげ」を意味する「影」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1289.html)。「景」(漢音ケイ・エイ、呉音キョウ・ヨウ)は、
形声。京とは、高い丘にたてた家をえがいた象形文字。高く大きい意を含む。景は「日+音符京」で、大きい意に用いた場合は、京と同系。日かげの意に用いるのは、境(けじめ)と同系で、明暗の境界を生じること、
とある(仝上)。
「向」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「背向(そがい)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482178677.html)で触れたように、
会意。「宀(屋根)+口(あな)」で、家屋の北壁にあけた通気口を示す。通風窓から空気が出ていくように、気体や物がある方向に進行すること、
とある(漢字源)。別に、
会意。「宀」(屋根)+「口」(窓 又は 窓に供えた神器)、
ともあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91)、さらに、
象形文字です。「家の北側に付いている窓」の象形から「たかまど」を意味する「向」という漢字が成り立ちました。「卿(キョウ)」に通じ、「むく」という意味も表すようになりました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji487.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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