太刀をもえ差しあへず、腋にはさみてにぐるを、けやけきやつかなといひて、走(はしり)かかりてくるもの、はじめのよりは走のとくおぼえければ(宇治拾遺物語)、
とある、
けやけし、
は、
殊勝な奴、
生意気な奴、
と矛盾した意味が載る(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。「けやけし」は、
尤(けや)けし、
異(けや)けし、
などと当てる(大言海)。漢語に、
治行尤異なるを以て、中二千石に秩す(漢書・宣帝紀)、
とあり、
尤異(ユウイ)、
は、
特にすぐれる、
また、
特に珍奇なもの、
の意とある(字源・字通)。この字を「けやけし」に当てた理由かと思われる。
「けやけし」は、
ケ(異)に接尾語ヤカがついたケヤカの形容詞形。アキラカ・アキラケシの類。変わっているさまである、特別だ、すぐれているの意(岩波古語辞典)、
ケヤカを転じて(赤(アケ)、あか。宅(やけ)、やか)活用せしめし語。静やか、しずやけしもあり(大言海)、
とあり、色葉字類抄(1177~81)に、
尤、けやけし、尤物(ゆうぶつ)、
とある。「尤物(ゆうぶつ)」は、
夫有尤物足以移人(左伝)
尤は異なり、人の最も優れたる者、後世には美女の義とす、
とある(字源)。
変わっている→際立っている→特別だ→すぐれている、
といった意味の外延は、
奇(く)し、異(け)しの語根、
である、
ケ(異)、
の意味の幅の、
妹が手を取石(とろし)の池の波の間ゆ鳥が音けに鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、
と、
普通と異なるさま、
いつもと変わっているさま、
の意や、
ありしよりけに恋しくのみおぼえければ(伊勢物語)、
と、
ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま。きわだっているさま、格別なさま、
の意で、
多く、連用形「けに」の形で、特に、一段と、とりわけ、
などの意で用いられるし、
御かたちのいみじうにほひやかに、うつくしげなるさまは、からなでしこの咲ける盛りを見んよりもけなるに(夜の寝覚)、
と、
能力、心ばえ、様子などが特にすぐれているさま、ほめるべきさま、興の惹かれるさま、
の意(日本国語大辞典・岩波古語辞典)を色濃く反映しており、
末代には、けやけきいのちもちて侍る翁なりかし(大鏡)、
と、
特別だ、希有だ、
という意から、
めざましかるべき際(きは)はけやけうなども覚えけれ(源氏物語)、
と、
風変わりだ、異様だ、変わっている、
意や、
貫之召し出でて歌つかうまつらしめ給へり。…それをだにけやけきことに思ひ給へしに(大鏡)、
と、
きわだってすぐれている、すばらしい、
意でも使う。ちょっと解釈がぶれているのが、上述の、
太刀をもえ差しあへず、腋にはさみてにぐるを、けやけきやつかなといひて、走(はしり)かかりてくるもの、はじめのよりは走のとくおぼえければ(宇治拾遺物語)、
の「けやけき」の意味で、前述注記(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)では、
殊勝な奴、生意気な奴、
の意とされたが、
はなはだ優れている、すごい、
の意の例とされている説(岩波古語辞典)もあり、逆に、同趣旨の、
生意気である、しゃくにさわる。
とするものもある(https://manapedia.jp/text/5612)。価値の両面なので、
すぐれている⇔しゃくにさわる、
きわだってすぐれている⇔生意気だ、
と背反する意味と見ていいのかもしれない。さらに、
人の言ふほどのことけやけく否びがたくて、万(よろづ)え言ひ放たず(徒然草)、
と、
非常にはっきりしているさま、
つまり、
きっぱりと、
の意でも使う(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。「けやけし」は、江戸時代には、
近曾(ちかごろ)身上やけやけくなるかと見えしに、いく短く程もなく凋落(おちぶれ)て(新累解脱物語)、
いとけやけき僧の香染(かうぞめ)の浄衣(ころも)を穿き(古乃花双紙)、
などと、
高貴である、
意で使われている(江戸語大辞典)。
(「けやけし」は)平安中期以前に見られる「……けし」という語は、「けく・けし・けき」の三形式にしか活用しない。後に「……かに」「……かなり」に取ってかわられ……歌ことばとして残っているに過ぎない、
とある(日本語源大辞典)のは、如何なものだろうか。
因みに、「けやけし」は、ク活用で、
未然形 けやけく けやけから
連用形 けやけく けやけかり
終止形 けやけし ◯
連体形 けやけき けやけかる
已然形 けやけけれ ◯
命令形 ◯ けやけかれ
と変化する(https://manapedia.jp/text/5612)。ク活用は、文語形容詞の活用の型の一つで、
「よし」「高し」などのように、語尾が終止形の「し」にあたる部分で「く・き・けれ」のように変化する、
もので、この活用に属する形容詞の多くは、客観的な性質や状態的な属性概念を表わす。「赤し・おもしろし・清し・けだかし・少なし・高し・強し・遠し・のどけし・はかなし・広し・めでたし」などがあり、現代語では、終止形・連体形とも活用語尾は「い」となる(精選版日本国語大辞典)、とある。
「尤」(漢音ユウ、呉音ウ)は、
会意文字。「手のひじ+-印」で、手のある部分に、いぼやおできなど、思わぬ事故の生じたことを示す。災いや失敗が起こること。肬(ユウ こぶ)・疣(ユウ いぼ)の原字。特異の意から転じて、とりわけ目立つ意となる、
とあり(漢字源)、「尤(とが)める」意であるが、目立つ意から、「尤者(ユウシャ ユウナルモノ)」「尤物(ユウブツ すぐれたもの)」と使う。我が国で、「君の言うことは尤もだ」という意の「もっとも」で使うのは、「尤」の字義からは出てこない。むしろ「けやけし」に「尤けし」と当てた使い方の方が、字義に叶っている。別に、
象形。手の指にいぼができている形にかたどる。いぼの意を表す。「肬(イウ)」の原字。ひいて、突出している意に用いる(角川新字源)、
指事文字です。「手の先端に一線を付けてた文字」から、「異変(異常な現象)としてとがめる」を意味する「尤」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2423.html)、
という解釈もある。
(「異」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0より)
「異」(イ)は、
会意文字。「大きなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物を持つさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、
とある(漢字源)が、別に、
象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)、
象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「人が鬼を追い払う際にかぶる面をつけて両手をあげている」象形で、それをかぶると恐ろしい別人になる事から、「ことなる」、「普通でない」を意味する「異」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji972.html)、
等々異説が多い。「異類」「異端」と、同じではない意、「異邦」「異日」と、別の意、「異様」と、異なる、あやしい意、「変異」「天変地異」と、常、正の対、普通とは異なる意などで使う。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95