つゆ計りも人に物をあたふる事をせず、慳貪に罪深くみえければ(宇治拾遺物語)、
慳貪の心深くして…物を悋しむこと限り無し(今昔物語集)、
とある、
慳貪(けんどん)、
は、
正韻(洪武正韻 1375年)「慳、音堅」、廣韻((1008年))「悋(ヲシム)也」、
とあり(大言海)、
己が物を慳(ヲシ)み、他の物を貪ること(仝上)、
つまり、
物を惜しみむさぼること、けちで欲ばりなこと、
の意である(広辞苑)。
慳貪愚痴にして、家内の者に情(つれ)なくあたりけるが(善悪報ばなし)、
と使う、
慳貪愚痴、
は、仏教語で、
貪欲で無慈悲冷酷で物の道理を知らぬこと、
の意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、あるいは、
文覚が持つ所の刀は、人を切らんとにはあらず、放逸邪見の鬼神を切り、慳貪無道の魔縁を払はんとなるべし(源平盛衰記)、
と、
慳貪無道、
等々とも使う(精選版日本国語大辞典)。で、転じて、
慳貪邪心にして、先祖の弔ひをだにもなさず(仝上)、
と、
慳貪邪心、
と使い、
苛(かじ)きこと、
情愛なきこと、
じゃけん
の意となる(大言海・日本国語大辞典)。江戸時代には、
おいらんがわたくしをアノよふにけんどんになさいますから(廻覧奇談深淵情)、
と、
つっけんどん(突慳貪)、
の意で使う(江戸語大辞典)。
「慳貪」は、「二八蕎麦」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/479200852.html)で触れたように、
倹飩、
とも当てて、
江戸時代、蕎麦、饂飩、飯、酒などを売るとき、一杯盛り切りにしたもの、
を言い(広辞苑)、
けんどん饂飩、
けんどん蕎麦切(略して、けんどん蕎麦)、
等々と使ったが、
汁にて煮たる饂飩を、塗箱に、一杯盛切(もりきり)にて賣るもの、蕎麦切にも云ふ。初は下民の食なりき、後には、歴々も食ひ、大名けんどんなど云へり。これを賣る家をけんどん屋と云ふ。移りては、一杯盛切にて賣る物の称ともなれり、
とあり(大言海)、
けんどん酒、
けんどん奈良茶飯、
などあり、
けんどん屋、
も、
慳貪の名前に云如く強ひざるの意を表し始め蕎麦に号け次に飯に移り又酒に移り(「守貞謾稿(1837~53)」)、
と、
うどん、そば、酒、飯などを売る時、一杯ずつの盛りきりで、代わりを出さない、
ものを総称するようになる(精選版日本国語大辞典・江戸語大辞典)。
或書云寛文四年慳貪蕎麦切始て製之。下賤の食とす(守貞謾稿)、
とあるのは、「昔昔昔昔物語(1732)」に、
寛文辰年(1664)、けんどん蕎麦切と云ふ物出来て、下下買喰ふ、貴人には喰ふものなかりしが、近年、歴歴の衆も喰ふ、結構なる座敷へ上るとて、大名けんどんと云ひて、拵へ出す、
とあるのを指し、嬉遊笑覧(1830)には、
大名けんどんと云ふは、一代男に、川口屋の帆かけ舟の重箱、……帆かけ舟は、諸大名の舟を、五色の漆にて絵にかきたるなり、西国の大名、難波にて艤して出立つ故、其船どもの相印を見習へり、大名けんどんの名、ここに起こる、
とある。「けんどん」の由来については、
倹約饂飩の略にて一人前一杯にて、かはりもなき意と云ふ、和訓栞「旅店の麺類を云ふは、倹飩也と云へり」、多くは當字に、慳貪と書く(大言海)、
給仕も入らず、挨拶するものもあらねば、そのさま慳貪なる心、又、無造作にして、倹約にかなひたりとて、倹飩と書くと云ふ(「近代世事談(1734)」)、
盛りきりで出すという吝嗇なところから、ケンドン(慳貪)の義(守貞謾稿・嬉遊笑覧)、
盛りきりのうどんは、オントウ(穏当)でなくケンドン(慳貪)であるという洒落から、オントウ(穏当)は昔の音の近いウンドン(饂飩)の意をかけた(善庵随筆)、
ケントン(見頓)の義。頓は食の意で見る間にできる食事の義(けんどん争ひ所収山崎美成説)、
箱に入れてところどころに持ち出せるものの意で、けんどん(巻飩)の義。書籍に似たその容器を書巻に擬しての古称(けんどん争ひ滝沢馬琴説)、
等々があるが、「慳貪」の意味に、出発点の、
倹約饂飩、
をかけたとする説が一番すっきりする。考え落ちは過ぎると語呂合わせになる。
ただ、「けんどん」には、
外に持運ぶに膳を入る箱はけんどん箱なるをやがてけんとんとばかりいひ(嬉遊笑覧)、
と、
けんどんばこ(慳貪箱)」の略、
としても使うが、「けんどん箱」とは、
上下左右に溝があって、蓋または戸(扉)のはめはずしができるようにしたもの、
の意で(江戸語大辞典)、
此箱、口は横にありて、上下に、一本溝あり、板の蓋を、先づ、上の溝にはめて、後に下の溝におとすやうにして、はめはづしす、これを、けんどん蓋と云ひ、略して、けんどんとのみも云ひ、移しては、小さき袋戸棚、又は、本箱などの戸の、同じ製なるものにも云ふ、
とある(大言海)。つまり、出前用の岡持ちのふたが、
けんどん、
になっていることから「けんどん箱」とも呼ぶようである。蕎麦屋・うどん屋のことを「けんどん屋」と呼ぶのは、この「けんどん」に由来するとする説もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%B9%E9%A3%A9)。上記「けんどん」の語源説で、
けんどん争ひ、
とあるのは、
山崎美成・曲亭馬琴らが関わっていた好事家の集まり「耽奇会」に出品された「大名けんどん」(装飾を施した豪華なけんどん箱)という道具の「けんどん(箱)」の名称の由来をめぐっての美成と馬琴の論争、
を指す(仝上)。美成は、
かつて「けんどん屋」と呼ばれる接客の簡易な(「つっけんどん」な)形態の外食店が存在し(論争時点では名称が廃れていた)、そこから盛り切り蕎麦を「けんどんそば」と呼ぶようになり、「けんどんそば」を運搬する箱を「けんどん箱」と呼ぶようになった、
と主張し、馬琴は、
箱のほうを「けんどん」と称したのが先である、
と主張した(仝上)。「けんどん」が、
盛り切りうどん、
を指したのだとすれば、普通に考えれば、食い物から出たと考えられるが、「岡持ち」の箱の構造を「けんどん」というにいたった説明にまでは届かないのではないか。「けんどん蓋」も、
蝶番などの金具を使わず簡易に開閉できる構造、
からきた(https://wp1.fuchu.jp/~kagu/search/regist_ys.cgi?mode=enter&id=204)とされる。いずれも、
慳貪、
という言葉からきている。個人的には、それぞれ、別由来のような気がしてならない。
「慳」(漢音カン、呉音ケン)は、
会意兼形声。「心+音符堅(かたい)」で、心が妙にひめくれて堅いこと、
とあり(漢字源)、「慳吝」と、けちけちする意、あるいはいこじな意味はあるが、
邪慳、
というような、いじわる、の意はこの字にはない。
(「貪」 説文解字・漢(小篆) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%AAより)
「貪」(漢音タン、呉音トン、慣用ドン)は、
会意文字。今は「ふたで囲んで押さえたしるし+-印」の会意文字で、物を封じ込めるさまを示す。貪は「貝+今」で、財貨を奥深くため込むことをあらわす、
とある(漢字源)。財貨を欲ばる意(角川新字源)ともある。別に、
会意文字です(今+貝)。「ある物をすっぽり覆い含む」象形(「含」の一部で、「含む」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から「金品を含み込む」、「むさぼる」、「欲張る」、「欲張り」を意味する「貪」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2202.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95