2022年07月27日

むづがる


「憤る」は、

いきどおる、

と訓ませるが、

守殿(かうのとの)、など人々まゐり物はおそきとて、むづかる(宇治拾遺物語)、

と、

むづかる(むずかる)、

と訓ませ、

近世末までは、むつかる、

と清音とあり(大辞林)、

叱る、

意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)が、

心知れる人々は、あな憎、例の御癖ぞ、と見たてまつりむつかるめり(源氏物語)、

などと、

不機嫌で小言や文句を言う、
機嫌をわるくする、
ぶつぶつ文句を言う、

の意とあり(岩波古語辞典・広辞苑)、さらに、

鬱悶(むつか)しく思ひて憤(いきどお)る、
心の中にいきどほる、
むかつく、

とある(大言海)のが正確なのではあるまいか。また、

若君の泣き給へば例はかくもむつからぬに、いかなればかからん(大鏡)、

と、

子どもがただをこねる、
子供がじれて泣く、
すねてさからう、

意でも使う。これは、現代でも、

むずかる赤ん坊、
赤ん坊がむずかる、

等々と使い、

京阪では現在まで「むつかる」だが、東京では「むずかる」、

とある(日本国語大辞典)。また、

渋面をつくる、
にがむ、

意でも使う(大言海)ともある。

「むづかる」は、色葉字類抄(1177~81)に、

憤、ムツカシ、ムツカル、

とあるように、

ムツク、ムツカシと同根、

である(岩波古語辞典・大辞泉)。

「むつく」(口語では「むつ(憤)ける」)は、

憤く、

と当て、

俗にむづく、

とあり(大言海)、

明神、御気色まことにすさまじげにむつけたる体におはしければ(雑談集)、

と、

不満に思う、
気にくわないと思う、

意と、

醒き風吹かよひ、人の身にあたるといなや、むつける程に草臥つきて(武家義理物語)、

と、

健康を損ねる、
気分がすぐれず衰弱する、

意でも使う(日葡辞書「ムツクル」)。


「むつかし」(「むづかし」、口語は「むつかしい」「むずかしい」)は、

難し、

と当て、

大方いとむつかしき御気色にて(源氏物語)、

と、

不機嫌である、

意や、

女君は、暑くむつかしとて、御髪(みぐし)すまして(仝上)、

と、

うっとおしい、

意や、

手にきり付きて、いとむつかしきものぞかし(堤中納言物語)

と、

気味が悪い、
いやな感じだ、
見苦しい、

意や、

暮ゆくに客人(まらうど)は帰り給はず、姫君いとむつかしとおぼす(源氏物語)、

と、

厄介だ、
うるさくて応対が面倒、

の意や、さらに、

山伏という前句(は、付句わするのが)むつかし(俳句・昼網)、

と、

困難である、

という意でも使うが、これは、上記の用例から、転じて、

煩わしく入りまざりて解き得難し、
成就しがたし、

の意になったもの(大言海)と見られる。その意味で、

(後白河)法皇夜前より又むつかしくおはします(明月記)、

と、

重態である、

意も、そうした意味の転化の一環と思われる。だから、「むつかし」は、

憤(むづか)るより転じた(大言海・瓦礫雜考・和訓栞・上方語源辞典=前田勇・日本語の年輪=大野晋)、

と見る見方は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

憤懣、むつかし、

とあることからも妥当に思える。しかし、「むづかる」の語源を、

ムヅムヅと気に障って憤る意(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、擬態語とみる説がある。ただ、表記が、

むずむず、

で、「むづむづ」でないことや、

かぶと引き寄せうち着て、緒をむずむずと結ひ(平治物語)、

と、

ぐいぐいと力をいれるさま、

の意や、

堀河の板にて桟敷を外よりむずむずと打ちつけてけり(愚管抄)、

と、

遠慮会釈ないさま、

の意で使い(岩波古語辞典)、現代の、

あっと言わせてやりたくて、むずむず身悶えしていた(太宰治「清貧譚」)、

と、

今すぐやりたいことがあるのに、それが出来なくてもどかしく思う、

意や、

汗でむずむずするのと蚤が這ってむずむずするのは(夏目漱石「吾輩は猫である」)、

と、

虫などが這いまわるような刺激を感じる、

意のような、

不快感、

の意はない(擬音語・擬態語辞典)のが難点。

「憤」  漢字.gif

(「憤」 https://kakijun.jp/page/1535200.htmlより)

「憤」 説文解字・漢.png

(「憤」 説文解字・漢(小篆) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%A4より)

「憤」(漢音フン、呉音ブン)は、

会意兼形声。奔(ホン)は「人+止(あし)三つ」の会意文字で、人がぱっと足で走り出すさま。賁(フン)は「貝(かい)+音符奔(ひらく、ふくれる)の略体」の会意兼形声文字で、中身の詰まった太い貝のこと。憤は「心+音符賁」で、胸いっぱいに詰まった感情が、ぱっとはけ口を開いて吹き出すこと、

とある(漢字源)。「憤慨」「発憤」等々と使う。

会意兼形声文字です(忄(心)+賁)。「心臓」の象形と「人の足跡が3つ並んだ象形と子安貝(貨幣)の象形」(「貝殻の模様がさかんに走る」の意味)から、心の中を何かが走り回る事を意味し、そこから、「いきどおる」を意味する「憤」という漢字が成り立ちました、

も同趣旨であるhttps://okjiten.jp/kanji2021.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:27| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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