2022年08月12日
むさと
むさと物事機をかけまじき事なり。惣じて小事は身のたしなみ、心の納め様にも依るべし(宿直草)、
にある、
むさと、
は、
むやみに、
の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「むさと」は、
むざと、
ともある(広辞苑)が、
近世初期までは「むさと」と清音、
であった(精選版日本国語大辞典)。
人の国をむさと欲しがる者は、必ず悪しきぞ(「三略鈔(1534)」)、
と、
貪るように強く、
の意や、
矢ごろ矢たけと云ふ事。むさと云まじき事也(「弓張記(1450~1500頃)」)、
Musato(ムサト)シタコトヲユウ(「日葡辞書(1603~04)」)、
と、
とるべき態度・守るべき節度をわきまえず、無分別・不注意であるさまを表わす語、
として、
軽はずみに、思慮もなく、うっかりと、
の意や、
古今ぢゃと云うて、むさと秘すべきにあらず(「耳底記(1598~1602)」)、
其村々ににくきもの在之とて、御検地などむさとあしく仕まじく候(「島津家文書(1594)」)、
などと、
正当な理由もなく、または、いいかげんに事を行なうさまを表わす語、
として、
みだりに、むやみに、やたらに、
の意や、
我らがやうな尊き知識などが、何とて、むさとしたる所へ寄るものか(咄本「昨日は今日の物語(1614~24頃)」)、
と、
あまりれっきとしたものでないさま、ちゃんとしていないさまを表わす語、
として、
らちもない、取るに足らない、いいかげん、
の意で、
物をきかじ見じと云心、然どもむさとしては叶まい(「古文真宝彦龍抄(1490頃)」)、
Musato(ムサト)シテイル(「日葡辞書(1603~04)」)、
と、
とりとめなく、無為に過ごすさまを表わす語として、
とりとめなく、漫然と、
の意や、
薄紅の一枚をむざと許りに肩より投げ懸けて(夏目漱石「薤露行(1905)」)、
と、
あっさりとむぞうさに事を行なうさまを表わす語、
として、
無造作に、
の意で使うなど、「むさと」の意味の幅はかなり広い(精選版日本国語大辞典・日本国語大辞典)。それは、「むさと」の語源を、
「むさ」は「むさい」の「むさ」と同じ(日本国語大辞典)、
まざまざのまざの転(大言海)、
ムサボル・ムサシと同根(岩波古語辞典)、
と見るのと関わる。ただ、「まざまざ」は、
正正、
と当て、
ありありと目に見えるさま、
の意で、「むさと」とは意味がずれすぎるのではあるまいか。「むさし(むさい)」は、
もとより礼儀をつかうて身を立つる人には心むさければ(「甲陽軍鑑(1632)」)、
と、
貪り欲する心が強い、また欲望意地などが強すぎてきたない、
といった意であり、そこから、
岳が胸中は定て泥と塵とが一斛(=石 さか)ばかりあるべきぞ、むさい胸襟ぞ(「四河入海(1534)」)、
と、外観の、
きたならしい、きたなくて気味が悪い、不潔である、
意で使う。「むさぼる」は、
ムサはムツト・ムサシ・ムサムサのムサと同じ、ホルは欲る意(岩波古語辞典)、
ムサとホル(欲)の意(大言海)、
ムサトホル・ムサムサホリス(欲)の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
「むさ」は「むさい」「むさ」などの「むさ」か。「ぼる」は「欲る」の意(日本国語大辞典)、
とあり、「むさ」「むさむさ」とつながる。「むさむさ」も、
むさむさとした心もさっと晴れやかになったぞ(「四河入海(1534)」)、
と、
むさぼり欲する心が強いさま、また、心が満たされず、いらいらとおちつかないさま、
の意や、
下種(げす)しく荒くふとふとと聞こえ、むさむさと聞こゆる也(十問最秘抄(1383~1386)」)、
と、
せま苦しい、窮屈なさまを表す語、
として、
むさくるしいさま、
の意や、
詞もつたなく、風情もなくて、ことごとしく具足おほく、むさむさと俗なる連歌が付にくき也(「九州問答(1376)」)、
と、
ごちゃごちゃとして、きたならしいさまを表す語、
として、
汚らしい、
意や、
つくものごとくなる髪、むさむさとたばね(仮名草子「東海道名所記(1659)」)、
と、
毛などが多くて、乱れているさまを表す語、
として、
むしゃむしゃ、もさもさ、
といった意で使うほかに、
むさむさと物をくひ(「役者論語・あやめ草(1776)」)、
と、
節度をわきまえず、無分別、不注意であるさまを表す語、
として、
うっかり、
の意や、
Musamusato(ムサムサト)ヒヲクラス(「日葡辞書(1603~04)」)、
と、
いいかげんにするさま、また、物事をするのに熱心さのないさまを表す語、
として、
無為に、
の意でも使う(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。こうみると、
むさと、
むさし、
むさむさ、
むさぼる、
の「むさ」には、
欲心にのめり込む、
意とともに、
そのことで心がお留守になる、
意の両面がある気がする。その意味で、
「みずからを省みて恥じないこと」を表わす「無慙(むざん)」との意味の重なりから、「むざと」や「むざむざ」の語形が生じたと考えられる。明治以降「むざと」はほとんど使われなくなり、「むざむざ」のみが残る、
とある(精選版日本国語大辞典)のは意味があるのではないか。今日、
むざむざ、
は、
この蛸むざむざと喰ふも無慚のことなり(仮名草子「一休咄(1668)」)、
と、
価値あるものが不用意に、あるいは無造作に失われるさまなどを、無念に思い惜しむ気持を込めて表す語、
として、
惜しげもなく、
無造作に、
の意だけで使うが、清音の、
むさむさ、
は、上述したように、日葡辞書(1603~04)に、
むさむさと日を暮らす、
とあるように、
物事をいい加減にするさま、または、興味も持たず、熱心さもなく物事とをするさま、
の意で、
何もしないで、あるいはたとえ何かしていてもいい加減にして、時を過ごす、
意の使い方をしていた。
しかし、今日でも、
あんな結構なものをむざむざ食うものではない(堺利彦「私の父」)、
と、
むしゃむしゃ、
と、
貪り喰う、
という含意がある(擬音語・擬態語辞典)。やはり、
むさ、
は、
貪るさま、
の擬態語からきているからではないか、という気がする。
「貪」(漢音タン、呉音トン、慣用ドン)は、「慳貪」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/490034144.html?1658600957)でふれたように、
会意文字。今は「ふたで囲んで押さえたしるし+-印」の会意文字で、物を封じ込めるさまを示す。貪は「貝+今」で、財貨を奥深くため込むことをあらわす、
とある(漢字源)。財貨を欲ばる意(角川新字源)ともある。別に、
会意文字です(今+貝)。「ある物をすっぽり覆い含む」象形(「含」の一部で、「含む」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から「金品を含み込む」、「むさぼる」、「欲張る」、「欲張り」を意味する「貪」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2202.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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