冥加
此の礫打たれし家主も自然と機にもかけざるは、理の常を得し冥加ならんか(宿直草)、
の、
冥加、
は、
冥賀人に勝れて、道俗・男女・宗と敬て、肩を並ぶる輩无し(今昔物語)、
と、
冥賀、
と当てたりするが、
孝衡曰、加護二種有、一、顕如、謂現身語、讃印其所作、二、冥加、謂潜垂覆摂、不現身語(鹽尻)、
と、
冥々のうちに受ける神仏の加護、
知らないうちに受ける神仏の恵み、
の意であり(日本国語大辞典)、
自他ともに知らざるを冥と云ふ、
とある(大言海)。また、
命冥加、
というように、
偶然の幸いや利益を神仏の賜うものとしてもいう。
以佛神力、増菩薩智慧、隠密難見、故曰冥加(大蔵法數)、
被冥加、汝不知恩(法華玄義)、
と、仏教語であり(字源)、
冥助(みようじよ)、
冥利(みようり)、
とも言う。「冥利」は、
神仏の助け、
の意であるが、
運、
幸せ、
の意もある(仝上)。同じく、「冥加」も、
男のみょうがに一度いつてみてへ(廻覧奇談深淵情)、
と、
神仏の目に見えぬ加護、
の意が転じて、
甲斐、、
しるし、
の意で使っている(江戸語大辞典)。本来、
神仏の目に見えぬ加護、
の意なのだから、
こは冥加(ミャウガ)なるおん詞、ありがたきまでにおぼへはんべり(読本「昔話稲妻表紙(1806)」)、
と、
ありがたくもったいないさま、
冥加に余るさま、
の意で使い、そうした意味で、
冥加涙(冥加のありがたさに出る涙)、
とか、
冥加に余(あま)る(冥加を過分に受けて、まことにありがたい)、
とか、
冥加に尽(つ)きる(神仏の加護から見放される、逆に冥加に余ると同義でも)、
とか、
冥加無し、
と、
兄に向つて弓を引かんが冥加なきとはことわりなり(保元物語)
神仏の冥加をこうむることがない、神仏から見放される、
意や、
さやうに冥加なきこと、何とてか申すぞ(御伽草子「文正草子」)、
と、
神仏の加護をないがしろにする、おそれおおい、
意や、
竹は悦び、アヽ冥加もない、有難い(浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」)、
と、
(「無し」が意味を失い、「冥加なり」を強めた言い方に転じて)冥加に余る、ありがたい、
意で使ったりする。また、
代物をつつませられ被下候間、各為冥加候間、代を被下候を斟酌申候へば(「実悟記(1580)」)、
今日吉日なれば薬代を冥加のためにつかはしたし(日本永代蔵)、
と、
神仏などの加護・恩恵に対してするお礼、報恩、
の意に広げて使い、
あの君七代まで太夫冥加(メウガ)あれ(「好色一代男(1682)」)、
吾妻を見込んで頼むとは、いとしらしい婆さん傾城めうが聞気でごんす(浄瑠璃「寿の門松」)、
と、
身分、また職業を表わす語の下に付けて自誓のことばとして用いる。その者として違約や悪事をしたら神仏の加護が尽きることがあっても仕方ない、
の意で使ったりする。「神の加護」の意が、それを受ける側の都合に合わせて、重宝にプラスにもマイナスにも当てはめられている、という感じで、江戸時代の気質をよく示している気がする。
冥加の為に奉納す、
と、
「冥加」には、「神の加護」の御礼を形にする、
神仏の利益(りやく)にあずかろうとして、また、あずかったお礼として、社寺に奉納する金銭、
としての、
冥加金(冥加銭)、
の意があり、
冥加永、
ともいう(「永」は、永楽銭のこと)が、略して、
ヤアさっきに渡した此銀を、ヲヲ表向で請取たりゃ事は済む。改めて尼御へ布施せめて娘が冥加(メウガ)じゃはいのふ(浄瑠璃「新版歌祭文(お染久松)(1780)」)、
と、
冥加、
ともいい、その同じ名を借りて、
運上と云も冥加と云も同様といへども、急度定りたる物を運上と云(「地方凡例録(1794)」)、
と、
本来は商・工・漁業その他の営業者が幕府または藩主から営業を許され、あるいは特殊な保護を受けたことに対する献金、
を、
冥加金(冥加銭)、
略して、
冥加、
と名づけ、のちには、幕府の財政補給のため、
営業者に対して、年々、率を定めて課税し、上納させた金銭、
になり(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)、運上と一括して取り扱われる例が多いとされる(仝上)。江戸時代の田制、税制についての代表的な手引書「地方凡例録(じかたはんれいろく)」によると、各種の運上と並んで、
醬油屋冥加永、
質屋冥加永、
旅籠屋(はたごや)冥加永、
があり、醬油屋冥加は、
その醸造高に応じて年々賦課、
質屋は軒別に賦課、
旅籠屋冥加は飯盛女を置く宿屋に対して年々賦課、
という(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)。本来は各種営業に対する課税の中で、一定の税率を定めて納めさせるものを、
運上、
と称し、免許を許されて営業する者が、その利益の一部を上納するものを、
冥加(みようが)、
と呼んで区別していた。前者は小物成(こものなり 雑税)に属し、後者は献金に属するが、現実には運上も冥加も同一の意味に混同して使われる場合が多い、とある(仝上)。
「冥」(漢音メイ、呉音ミョウ)は、
会意。「冖(おおう)+日+六(入の字の変型)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また冖(ベキ おおう)はその入声(つまり音 ミャウ)にあたるから、冖を音符と考えてもよい、
とある(漢字源)。別に、
会意。「冖」(覆う)+「日」+「六」(穴の象形)を合わせて、日が沈んで「くらい」こと、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%A5)、
会意。冖と、日(ひ、明かり)と、(六は変わった形。両手)とから成る。両手で明かりをおおうことから、「くらい」意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(冖+日(口)+六(廾))。「おおい」の象形と「場所を示す文字」と「両手でささげる」象形から、ある場所におおいを両手でかける事を意味し、そこから、「くらい(光がなくてくらい、道理にくらい)」を意味する「冥」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1619.html)あり、「六」の解釈が分かれる。
「加」(漢音カ、呉音ケ)は、
会意。「力+口」。手に口を添えて勢いを助ける意を示す、
とある(漢字源)。
会意。力と、口(くち、ことば)とから成る。ことばを重ねて人をそしる意。転じて、「くわえる」意に用いる、
が、意味をよく伝える(角川新字源)が、さらに、
会意文字です(力+口)。「力強い腕」の象形(「力」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から、力と祈りの言葉である作用を「くわえる」を意味する「加」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji679.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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