定めて六十万決定(けつじょう)往生のひとにやと、殊勝の思ひをなす(宿直草)、
にある、
六十万決定往生、
とは、
時宗祖一遍が念仏札に記した言葉、一切衆生が極楽往生できることを示す、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
この念仏札は、
一遍上人が熊野本宮の証誠殿から受けた神詞「人々の信不信をとはず賦算すべし」によるもので、7.5×2cmほどの板に「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と記されたもの、
で、この札配りを、
賦算(ふさん)、
といい、
御化益(ごけやく)、
ともいう、時宗独特の行事である(広辞苑・デジタル大辞泉)。
念仏よりやさしい、往生のあかしとして始められた、
という。
一遍上人は、北は陸奥国江刺から南は薩摩国・大隅国に至る諸国を遍歴し、
生涯に約250万1千人(25万1千人とも)に配られた、
と記録されている(http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/gohusan)、とある。
「六十万人」の意味には、
第一、一遍の偈(『一遍聖絵』第三)、「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」の四句の首字をとったものと解されている、
第二、『一遍聖絵』第三では、「六」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を、「十」は、阿弥陀如来が悟りを開いてからの十劫という長い時間を、「万」は、報身仏である阿弥陀如来の「万徳」(あらゆる徳)を、「人」は、一切衆生が往生して、安楽世界の人となることを意味するとする、
との二つの説がある(『一遍上人全集』)らしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A6%E7%AE%97)。どちらにしても、60万人というのは象徴的な意味と見ていい。
(一遍聖絵 熊野権現に出会う http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2より)
(一遍聖絵 一遍上人の臨終 http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2より)
法然の浄土宗では、
念仏をとなえる衆生の努力を重視、
し、親鸞の真宗では、
阿弥陀仏の絶対的な力を説く、
のと異なり、一遍はそうした信仰を、
賦算(ふさん 紙の念仏の札を会う人々にくばること)、
踊念仏(踊りつつ念仏をとなえて法悦の境地を体験すること)、
遊行(ゆぎよう 定住せず各地を修行と布教のために巡り歩くこと)、
という方法によって実践した(世界大百科事典)とされるが、「踊念仏」は、
弘安二年(1279)、信濃国の伴野(佐久市)を訪れたとき、空也の先例にならって踊念仏を催したが、それが予想外の人気を集めたため、その後一遍の赴く所では必ず踊念仏が行われて、数多くの庶民がそれに加わるようになった、
とある(世界大百科事典)ように、
当初、これは、意図的ではなく自然発生的に行われ、しだいに形式化されていった、
と考えられている(http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2)。
一遍は、念仏往生の鍵は信心の有無、浄や不浄、貴賤や男女に関係するのではなく、すべてを放下(ほか)し、〈空〉の心境になって、名号(みようごう 念仏)と一体に結縁(けちえん)することにあると説いた。寺を建てたり新しい宗派を開いたりする意志を持たず、一遍は生涯を廻国遊行(ゆぎよう)の旅に過ごし、念仏に結縁した人びとに往生決定の証明として念仏を書いた紙の札を与え(賦算)、彼らに阿弥号をつけた。時衆に〈某阿弥陀仏〉と称する人が多いのはこのためである、
ともある(世界大百科事典)。
「賦」(フ)は、
会意兼形声。武は「止(あし)+戈(ほこ 武器)」の会意文字で、敵を探し求めて、むりに進むの意味を含む。賦は「貝+音符武」で、貧しい財貨を無理に探り求めること、
とあり(漢字源)、「貢賦」「賦役」「賦課」「賦租」等々、徴発の意味である。別に、
形声文字です(貝+武)。「子安貝(貨幣)」の象形と「矛(ほこ)の象形と立ち止まる足の象形」(「矛を持って戦いに行く」の意味だが、ここでは、「莫+手という漢字」に通じ、「さぐり求める」の意味)から、「貨幣を求めてとりたてる」を意味する「賦」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1295.html)。「賦算」は、
算(念仏札)を賦(配)る、
意とされる(http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2)が、「賦」の、
布、
敷、
頒、
と類義で、
わかつ、
遍く配る、
という意からきている(漢字源)。
「算」(漢音呉音サン、唐音ソン)は、
会意。「竹+具(そろえる)」むで、揃えて数えるの意、
とあり(漢字源)、数取りの竹をそろえて「かぞえる」意を表す(角川新字源)とある。別に、
会意文字。「竹」+「目」+「廾」(両手)を合わせて、目と両手を用い、竹の器具で「かぞえる」こと、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AE%97)、
象形と両手の象形」(「両手で備える(準備する)」の意味)から、「竹の棒を両手で揃(そろ)える、数(かぞ)える」を意味する「算」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji229.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95