2022年08月30日

保呂乱す


誉れ世に高きも夫婦の中の善し悪しにあり。ああ保呂乱すべからず(宿直草)、

にある、

保呂乱す、

は、

取り乱す、

意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、

鷹が両翼の下の羽毛である保呂羽を乱す意から、

ともある(仝上)。「保呂」は、

保呂羽(ば)の略、

で、

鷹(たか)や鷲(わし)の翼の下にある羽、矢羽として珍重された、

とある(広辞苑)。「保呂羽」は、

含(ほほ)みたる羽の意、

とある(大言海)。「ほほむ」は、

ふふ(含)む、

に同じで、

ふくらむ、

意である(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)に、

含、フクム・ククム・フフム、

とあり、

鳥の両翼の下にある羽、隙を補ふものの如し、

という(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

倍羅麽(麼)、鳥乃和岐乃之多乃介乎、為倍羅麽也、……今俗謂保呂羽、訛也、

とある。

葛飾北斎『肉筆画帖 鷹』.jpg

(「鷹」(葛飾北斎『肉筆画帖』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9より)

保呂乱す、

は、もと鷹匠用語で、

鷹が保呂羽を乱す、

意とあり、

前後を忘じ母衣を乱して咎を酒に塗るたぐひ(文化七年(1810)「当世七癖上戸」)、

と、

取り乱した言動をなす、

意や、

信玄の母衣を勝頼みだす也(文化五年(1808)「柳多留」)、

と、

身代をなくす、

意で使ったりする(江戸語大辞典)。この「保呂」の他に、

母衣、
保侶、
幌、
縨、

等々と当てて、

矢を防ぐために鎧(よろい)の背にかける、袋状の布製防具、

をも言う(日本国語大辞典)。

甲冑の背につけた幅の広い布で、風にはためかせたり、風をはらませるようにして、矢などを防ぐ具とした。五幅(いつの 約1.5メートル)ないし三幅(みの 約0.9メートル)程度の細長い布である、

とある(日本大百科全書)。

母衣の付け方.jpg

(母衣の付け方 武家戦陣資料事典より)

本来は、

雨湿を避けたり、防寒のために用いた、

とある(武家戦陣資料事典)が、後世、平和な江戸時代になると、

保呂は胎内の子のつつまれし胞衣(えな)なり、

などという俗説が生まれ、広く信じられたらしい。しかし、

(母衣の)母の字に付きて後に作為したる僞説、

である。どうやら、南北朝時代には、

錦や金銀襴の厚地のものもあって、一種のマント代わりと軍容を増すためのもの、

であり、

騎走したとき靡くのが格好良いのであり、また裾の方を腰に結びつけると風をはらんで丸くなり、美観と勇壮に見えるので主将とか、いわゆる洒落た武士が用いるところであった、

が、徒歩の場合や、風のないときはふくらまないので、室町時代から、

保呂串で球状につくりそれに母衣をまぶせて、いつもふくらんでいるように見せた、

とあり(仝上)、

竹籠(たけかご)を母衣串(ほろぐし)につけてこれを包み、背後の受け筒に挿した、

のである。室町時代末期からは、

指物としての母衣となり、主将、物頭、使番、剛勇で特に許されたものの用いるものとなった(仝上)。

で、「母衣」も、

保呂衣(ほろぎぬ)、
懸保呂(かけぼろ)、
保呂指物(ほろさしもの)、
矢保呂、

等々と区別して呼ばれたりするようになる(世界大百科事典)。

熊谷直実。その背中に大きな赤い母衣を負う.jpg

(平敦盛を呼び止める、大きな赤い母衣を負う熊谷直実(一の谷合戦図屏風) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)

たとえば、使番の集団を、

母衣衆、

というのは、織田信長が創めたものだが、豊臣秀吉の黄母衣衆、赤母衣衆、腰母衣衆、大母衣衆も、

着用が許される名誉の軍装、

である。考えてみれば、矢はともかく鉄炮の時代、防具として役立ちそうもないものだから、

一種美装と誉れ、

の証しだったのではないか。

母衣の図。『和漢三才図会』より。.jpg

(母衣の図(和漢三才図会) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)

この「ほろ」の語源は、「保呂」の、

含(ほほ)みたる羽の意、

と同じく、

ほ(含)ろの義(日本語源=賀茂百樹)、

でいいのではあるまいか、

ヤホロの轉、ヤホロは矢ふくろの意(塩尻)、

は、戦国期に、

背に負うた矢を包む母衣状の矢母衣(やぼろ)、

を使うようになってからのことで、先後逆で、由来とは考えにくい。

フクロの略転(燕石雑記・和訓栞)、

は、母衣を串や籠で象るようになって以降の話であるし、

胎児を守るホロ(胞衣)の意を、敵の矢から守る物に転用した(壒嚢抄)、

に至っては俗説に過ぎない。

なお、「保呂」とよばれるものに、

一番の母衣なんぞは顔ほどもあったよ、母衣とは丸髷へ入れる形(かた)さ(文化十四年(1817)「四十八癖」)、

と、

女髪の丸髷を結うとき、髷を大きくするために入れる張り子の型、最も大形なるを一番という、

とある(江戸語大辞典)。「母衣」を籠などで象ってふくらませたのに準えた、と思われる。

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:04| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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