三つ瀬の川を瀬踏みして、手を取りて渡すは、初めて会ふ男の子なりと世話にも云ひならはせり(宿直草)、
に、
三つ瀬の川、
は、
三瀬川(みつせがわ)、
とも表記し、
死出の山、三途の河をば、誰かは介錯申すべき(保元物語)、
の、
三途の川、
の意である。
死後7日目に冥土(めいど)の閻魔(えんま)庁へ行く途中で渡るとされる川、
である。偽経「十王経」が説くところでは、
死出の山、
に対する語とされ、
川中に三つの瀬があって、緩急を異にし、生前の業(ごう)の如何によって渡る所を異にする、
といい(広辞苑)、
葬頭河曲(さうづがはのほとり)、……有大樹、名衣領樹、影住二鬼、一名脱衣婆、二名懸衣翁(十王経)、
と、
川岸には衣領樹(えりょうじゅ)という大木があり、脱衣婆(だつえば)がいて亡者の着衣をはぎ、それを懸衣翁(けんえおう)が大木にかける。生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が違うので、それを見て、緩急三つの瀬に分けて亡者を渡らせる、
という(日本大百科全書)。「三途」については、『金光明経』では、
地獄・餓鬼・畜生の三途の分かれる所、
とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、「三途(さんづ)」とは、
三塗、
とも当て、
死者が生前の悪業に応じて苦難を受ける火途・刀途・血途の三つをいい、これを地獄・餓鬼・畜生の三悪道に当てる、
とある(岩波古語辞典)。
「十王経」では、
葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡、
と、
緩急三つの瀬があり生前の罪によって渡るのに三つの途(みち)がある、
とし、生前の業ごうによって、
善人は橋を渡る(デジタル大辞泉)、
が、他は、
川の上にあるのを山水瀬(浅水瀬ともいう)といい、水はひざ下までである。罪の浅いものがここを渡る。川の下にあるのは強深瀬(江深淵)といい、流れは矢を射るように速く、波は山のように高く、川上より巌石が流れ来て、罪人の五体をうち砕く(世界大百科事典)、
とある。
(『十王図』(土佐光信)にある三途川。善人は橋を渡り、罪人は悪竜の棲む急流に投げ込まれている。左上、懸衣翁は亡者から剥ぎ取った衣服を衣領樹にかけて罪の重さを量っている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9Dより)
「十王経(じゅうおうきょう)」は、
中国の民間信仰と仏教信仰との混合説を示す偽経、
とされ、諸本があるが、唐代の、
閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経、
や、平安時代末期の、
地蔵菩薩発心因縁十王経、
などが流布した(仝上)とある。
死後、主として中陰期間中に、亡者が泰広王、初江王、宋帝王など、10人の王の前で、生前の罪業を裁かれる次第を述べ、来世の生所と地蔵菩薩の救いを説いて、遺族の追善供養をすすめるもの。期間はさらに百ヵ日、一周忌、三周忌に延長される、
といい(「中陰」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485912319.html)については触れた)、
中世の中国で、泰山信仰や、冥府信仰が流行するのに伴って、仏教側で考えだしたものらしい、
ともある(仝上)。「十王経」などの説く「十王」は、
地獄において亡者の審判を行う10尊、
をいい、
閻魔大王、
はその一人になる(「十王」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B)に詳しい)。
「三途の川」は、
葬頭河(そうずか)、
渡り川、
とも称するが、「さうづ」というは。
三(サム)の音便、
とあり(大言海)、
葬頭河とは借字、
とあり、
そうずがわ(三途川・葬頭川)、
しょうずがわ(三途川)、
とも訓むのは転訛と思われる(広辞苑)。
因みに、「三途の川」に対する、
死出(しで)の山、
とは、
死後、越えて行かなければならない山、
つまり、
冥途、
とされる(精選版日本国語大辞典)が、「十王経」に、
閻魔王国境死天山南門、亡人重過、両基根逼、破膝割膚、折骨漏髄死而重死、故曰死天、従此亡人向入死山、
とあり、この、
死天山、
から出た語といわれる。これによれば、
閻魔王国との境に死天山の南門があり、死者はこの山に行きかかり、さらに死を重ねるほどの苦しみにあう、
という(精選版日本国語大辞典)。
しでの山ふもとを見てぞ帰りにしつらき人よりまづこえじとて(古今集)、
にあるように、「古今和歌集」以来、
「しでの山」は、「あの世」と「この世」とを隔てる山として理解されており、やはり両者を隔てる川「みつせ川(三途川)」とともに、しばしば、
又かへりこぬ四手(シデ)の山(ヤマ)、みつ瀬川(平家物語)、
と並べて用いられた(精選版日本国語大辞典)。
「三」(サン)は、「三会」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.html)で触れたように、
指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、
とある(漢字源)。また、
一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、
ともある(角川新字源)。
「瀬」(ライ)は、
形声。瀬は「水+音符頼(ライ)」で、頼は音符としてのみ用い、その原義(他人になすりつける)とは関係がない。激しく水の砕ける急流のこと、
とあり(漢字源)、我が国では、「逢瀬」と、「場合」の意や、「立つ瀬」と立場、の意で使う。別に、
形声文字です(氵(水)+頼(賴))。「流れる水」の象形と「とげの象形と刀の象形と子安貝(貨幣)の象形」(「もうける・たよる」の意味だが、ここでは、「刺」に通じ(「刺」と同じ意味を持つようになって)、「切れ目が入る」の意味)から、「水がくだけて流れる、急流」を意味する「瀬」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1464.html)。
「途」(漢音ト、呉音ド)は、
会意兼形声。「辶+音符余(おしのばす)」で、長くのびるの意を含む、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(辶(辵)+余)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「先の鋭い除草具の象形」(「自由に伸びる」の意味)から、「どこまでも伸びている道」を意味する「途」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1135.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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