三諦円融
三諦(さんたい)円融(えんにゅう)の妙理を問ふに、果たして台密の極談(ごくだん)、その弁懸河(けんが とどこおることなくすらすら語る)なり(宿直草)、
の、
「三諦円融(さんたいえんにゅう・さんだいえんにゅう)」は、
円融三諦(えんにゅうさんたい・えんにゅうさんだい)、
ともいい(「えんゆう」は「えんにゅう」と連声になることが多い)、また、
不思議の三諦、
ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%AB%A6%E5%86%86%E8%9E%8D)。
天台に説く、「諦」は真理の意。諸法は空・仮・中三諦に解釈されるが、本来真実としては区別なく、絶対的同一であること、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。天台宗で説く三つの真理は、
空諦(くうたい 一切存在は空である)、
仮諦(けたい 一切存在は縁起によって仮に存在する)、
中諦(ちゅうたい一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)、
とされ、それぞれ、
独立の真理(隔歴(きゃくりゃく)三諦)、
とみるのでなく、
その本体は一つで三者が互いに円満し合い融通し合って一諦がそのままただちに他の二諦である、
として、
即空・即仮・即中、
とする(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)をいう。円融と隔歴の関係は、
無差別と差別、
絶対と相対、
という関係に近い(精選版日本国語大辞典)とある。この、
一切の存在には実体がないと観ずる空観(くうがん)、
と、
一切の存在は仮に現象するものであると観ずる仮観(けがん)、
と、
この空仮の二観を別々のものとしない中観(ちゅうがん)、
との三観を、
一思いの心に同時に観じ取ること、
を、
一心三観(いっしんさんがん)、
という(精選版日本国語大辞典)。一瞬の心のうちに、
空観、仮観(けかん)、中観の三観が成立する、
というのは、
竜樹の思想を実践しようとするもの、
である(百科事典マイペディア)、ともされる。
「圓融」(えんゆう 「えんにゅう」と連声になることが多い)は、漢語で、
公家之費、敷於民閒者、謂之円融(長編)、
と、
あまねくほどこす、
あるいは、
靈以境生、境因円融(符載銘)、
と、
なだらかにして滞りなし、
の意(字源)だが、天台宗・華厳宗では、
一切存在はそれぞれ個性を発揮しつつ、相互に融和し、完全円満な世界を形成していること、
つまり、
円満融通、
をいう(広辞苑)。
「三諦」(さんたい・さんだい)は、
有諦・無諦・第一義諦、
とも、また、
空諦・色諦・心諦、
ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%AB%A6%E5%86%86%E8%9E%8D)が、この三諦の真理を観ずる智慧として、
空観・仮観・中道観、
の三観を立てる。三諦と三観は、
所観の境、
と、
能観の智、
の関係だが、本来的には三観と三諦は同体であり、不二である(仝上)、とある。これを、
観法の側面、
から見ると、
一切の存在には実体がないとする空観、一切の存在は仮に現象するものであるとする仮観、空観と仮観の二観を別のものではないとする中道観の三観を順序や段階を経ずに一心のなかに同時に観じとること、
を、
一心三観、
といい、観法の究極的な目標とする。これに対して、
真理の側面、
から見ると、
空・仮・中の三諦が究極においてはそれぞれ別のものではなく、相互に障ることなく完全に融けあっているということ、
となる(仝上)。つまり、
相即無礙、
である(仝上)。
「圓」(エン)の字は、「まる(円・丸)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.html)で触れたように、
会意兼形声。員(イン・ウン)は、「○印+鼎(かなえ)」の会意文字で、まるい形の容器を示す。圓は「囗(囲い)+音符員」で、まるいかこい、
とあり(漢字源)、「まる」の意であり、そこから欠けたところがない全き様の意で使う。我が国では、金銭の単位の他、「一円」と、その地域一帯の意で使う。別に、
会意兼形声文字です(囗+員)。「丸い口の象形と古代中国製の器(鼎-かなえ)の象形」(「口の丸い鼎」の意味)と「周
意味)から、「まるい」を意味する「円」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji194.html)。
「円」は、「圓」の略体。明治初期は、中の「員」を「|」で表したものを手書きしていた。時代が下るにつれ、下の横棒が上に上がっていき、新字体採用時の終戦直後頃には字体の中ほどまで上がっていた、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%86)。
「融」(漢音ユウ、呉音ユ)は、
形声。「鬲(ふかしなべ)+音符蟲の略体」で、なべてぐつぐつととかしたように、平均し調和したコロイド状(微細な粒子となって他の物質の中に分散している状態)になること。蟲の原義(へび・むし)には関係がない、
とある(漢字源)。別に、
形声、「鬲」は鼎(かなえ)で、鼎の中で「とかす」こと(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%9E%8D)、
形声、蒸気が立ちのぼる意を表す。ひいて「とおる」、転じて、物が「とける」意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(鬲+虫)。「古代、中国の金属製の器、鼎」の象形と「頭が大きくてグロテスクなまむし」の象形から、鼎から虫がはい出るように蒸気が立ち上るさまを表し、そこから「とける」を意味する「融」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1380.html)、
等々ともある。
「三」(サン)は、「三会」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.html)で触れたように、
指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、
とある(漢字源)。また、
一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、
ともある(角川新字源)。
「諦」(漢音テイ、呉音タイ)は、
会意兼形声、「言+音符帝(しめくくる)」、
とあり(漢字源)、
形声。言と音符帝(テイ)明らかにする意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(言+帝)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「木を組んで締めた形の神を祭る台」の象形(「天の神、天下を治める、みかど」の意味だが、ここでは、「しめくくる」の意味)から、「言葉で締めくくり、明らかにする」を意味する「諦」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2135.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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