智は是万代の宝、八識不忘(ふもう)の田地(でんち)に納む。師、訝しくは試みに問へ(宿直草)、
に、
八識不忘の田地、
とあるは、
唯識大乗の見地から、小乗仏教を合わせて、人間のもつ八種の悟性をいう。「田地」はそれを納める心、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
八識(はっしき)、
は、唯識(ゆいしき)宗で、
色・声(しょう)・香・味・触(そく)・法、
の六境を知覚する、
眼(げん)識・耳(に)識・鼻識・舌識・身識・意識、
の、
六識(ろくしき)、
に、
末那識(manas まなしき)、
阿頼耶識(ālaya-vijñāna あらやしき)、
を加えたものをいう(広辞苑・大言海)。天台宗では、
阿摩羅識(amala-vijñāna あまらしき)、
を立て、全九識とし、真言宗では、
乾栗陀耶識(紇哩陀耶識 hṛdaya-vijñāna けんりつだやしき)、
を立て、
十識、
とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%AD%98)。「識」は、
サンスクリット語でビジュニャーナvijñāna、パーリ語でビンニャーナviññāa、
で、
心(チッタcitta)、意(マナスmanas)と同義、
とある(日本大百科全書)が、
心の異名にて、了別の義。心境に対して、了別する故に識と云ふ、
とある(大言海)のが正確ではないか。「了別」(vijñapti りょうべつ)とは、
ものごとを認識する働き、
をいい、
八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)すべてに通じる働き、
で(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B9%E3%81%A4)、識の業として、
了別外器、
了別依止、
了別我、
了別境界、
の4種があり、このなかの、
了別外器と了別依止は阿頼耶識、
了別我は末那識、
了別境界は六識、
の働きをいう(仝上)ともある。
「末那識(まなしき)」は、
意の常態、
とある(大言海)が、
眼、耳、鼻、舌、身、意という六つの識の背後で働く自我意識のこと、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98)、これを、
マナス(manas 思い量る意)、
もしくは、
クリシュタ・マナス(klia-manas 染汚意)と呼んだ(日本大百科全書)。それは、
第八の阿頼耶識(あらやしき)を対象として我執を起し、我見、我癡、我慢、我愛を伴って我執の根本となる「けがれた心」である、
からとされる(ブリタニカ国際大百科事典)。
その「阿頼耶識(あらやしき)」は、
一切諸法の種子を含蔵して、その根本となるもの、
とある(大言海)が、
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識、
の七識が表層的、意識的であるのに対し、「阿頼耶識」は、
深層心理的、無意識的な認識、
であり、
前七識とその表象、つまり自我意識、意識ある存在者、自然などのあらゆる認識表象を生み出すとともに、それらの表象の印象を自己のうちに蓄える、
ことから、
種子、
に例えられ、
刻々に変化しながら成長し、成熟すると世界のあらゆる現象を生み出し、その果実としての印象を種子として自己のなかに潜在化する。世界は外的な実在ではなく、個体の認識表象である、
とある(日本大百科全書)。
「阿摩羅識(あまらしき)」は、
けがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王、
であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを、
真如縁起、
などともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%91%A9%E7%BE%85%E8%AD%98)。
真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における、
仏性の異名、
である(仝上)とする。
「乾栗陀耶識(けんりつだやしき)」は、
最深層にある宇宙意識、
であるが、「仏性」を超えた物を何と呼んでいいのか。「識」の次元とは異次元のように思われる。
「八入」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484945522.html)で触れたように、「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、
指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、
指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji130.html)、
などと説明される。
(「識」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AD%98より)
「識」(漢音ショク、呉音シキ、漢音・呉音シ)は、
会意兼形声。戠の原字は「弋(棒ぐい)+Y型のくい」で、目印のくいをあらわす。のち、口または音を揃えた字となった。識はそれを音符とし、言を加えた字で、目印や名によって、いちいち区別して、その名をしるすこと、
とある(漢字源)が、
会意形声。「言」+音符「戠」、「戠」は「幟・織」の原字で「戈」に飾りをつけたもので、標識を意味する、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AD%98)、
形声。言と、音符戠(シヨク)とから成る。意味をよく知る、記憶する意を表す。ひいて「しるし」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(言+戠)。「取っ手のある刃物・口の象形」(「(つつしん)で言う」の意味)と「枝のある木に支柱を添えた象形とはた織り器具の象形」(はたを「おる」の意味)から、言葉を縦横にして織り出して、物事を「見分ける」、「知る」を意味する「識」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji787.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95