憂うることなかれ、ただ汝がいにしへの知るところの、古則話頭、よく憶持してわするる事なく(奇異雑談集)、
とある、
古則話頭(こそくわとう)、
は、
禅宗で、古則・公案の一節、または、その一則、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。似た言葉で、
酒掃(さいそう)をいたし、古則法問を糾明し、夜話坐禅おこたる事なく、つとめ申しさふらひしが(奇異雑談集)、
とある、
古則法問(こそくほうもん)、
は、
禅宗修行者が瞑想すべき先人の教えと、仏法についての問答と、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「酒掃」は、当て字、普通は、
洒掃、
と表記し、
水をそそぎ、塵を掃っての掃除、禅宗の修行の一つ、
とある(仝上)。
「古則」(こそく)は、
古人が残した法則、
の意で、
参禅者の手本となるものの総称、
をいい、
古則公案、
と併称する(日本国語大辞典・広辞苑)とあるが、「話頭」は、一般には、
話のいとぐち、
や、また、
話頭を転ずる、
と、
話の内容、話題、
の意だが、禅宗では、
古則、公案、
のこととある(http://www.rinnou.net/cont_01/words.html)ので、
古則話頭、
も、
古則公案、
と同義になるが、「話頭」には、
学道の人、話頭を見る時、目を近け、力を尽して、能々是を可看(正法眼蔵随聞記)、
あるように、
禅宗で、古則・公案の一節。または、その一則のこと、
に限定されるので、
特定(特別)の一節、
を意味している(精選版日本国語大辞典)。
ちなみに「公案」とは、
元来は公府の案牘、
という意で、
国家の法令または判決文、
をさすが、禅宗では、
祖師の言行や機縁を選んで、天下の修行者の規範としたもので、全身心をあげて究明すべき問題のこと。修行の正邪を鑑別する規準でもある、
とあり(http://www.rinnou.net/cont_01/words.html)、
高僧が、史中より、宗旨の本色をあらはして、依標とするに足る語を、弟子に、悟道(ごどう)上の問題として示すもの、碧巌集に、古則、又は、本則といへる、是なり、
とある(大言海)。無門関に、
遂将古人公案、作敲門瓦子(がす)、随機導引學者、
と(西村恵信訳『無門関』)、
門を敲(たたく)瓦子(がす)と作(な)す、
とある。門が開けば無用となるもの(西村恵信訳『無門関』)、とある。「公案」は、
具体的には、祖師の言葉・言句・問答などをさす。禅の問答は、時と所を異にして第三者のコメントがつくのがふつうで、はじめになにも答えられなかった僧にかわる代語や、答えても不十分なものには別の立場から答えてみせる別語など、第2次・第3次の問答をうみだした、
とある(http://www.historist.jp/word_j_ko/entry/033038/)。
公案中の緊要の一句を特に、
話頭、
という(http://www.rinnou.net/cont_01/words.html)と、「話頭」の意味は限定されている。だから、
古則話頭、
と、
古則公案、
が重なるのである。
因縁話頭(いんねんわとう)、
ともいう。元来は、
祖師の言行を簡潔に記し、仏道修行上の指針手引としたものであったが、中国唐代にすでに語録として記録されている。宋代にはとくに臨済宗で、師家が学人を悟道(ごどう)に導くために、
趙州(じょうしゅう)無字、
の公案などを学人に示して工夫参究させる禅風が盛行し、
圜悟克勤(えんごこくごん)、
大慧宗杲(だいえそうごう)、
らにより大成された(日本大百科全書)とある。こうした公案を参究して段階的に修行者を大悟徹底させる禅風を、
公案禅、
看話禅(かんなぜん)、
とよぶ(仝上)。公案集に、
碧巌録(へきがんろく)、
従容録(しょうようろく)、
無門関、
などがあり、また、
景徳伝燈録(けいとくでんとうろく)、
には1700余人の祖師の伝記があり、
千七百則の公案、
と称されている(仝上)。この多くは、
中国禅宗が斜陽に向かう宋時代の所産、
とされる(西村恵信訳『無門関』)。宋代の禅僧たちは、
禅宗の命脈を護るための自浄努力として、修行生活の行儀作法を規制した各種の『清規』(生活規則)や、禅の法灯護持のために自家の家風の特質を宣揚したややデモンストレーティブな語録も多く産んだのである、
とある(仝上)。
いずれも唐代禅者の語録や史伝を基礎とするもので、独創性という点においては乏しい、
けれども、
宋代禅者たちによる護法のためのそういう創意工夫があったがゆえに、禅宗が現代にまで存在しえた、
とされる(仝上)。日本の禅宗も、
初期の曹洞(そうとう)宗を除き大方は公案禅が採用され、その手引書も多くつくられた、
とあり、その手引書を、
密参録(みっさんろく)、
門参(もんさん)、
というとある(日本大百科全書)。宋代禅者たちの、
「看話禅」(かんなぜん、かんわぜん 古人の古則話頭を鑑として弟子を開悟に導く指導方法)、
と呼んで始まった起死回生の手段もそれなりの功を奏し、その後の禅宗史の発展にとって貴重な命綱となった(西村恵信訳『無門関』)ことは否定できないとしても、これって、「不立文字」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/491347637.html?1662665083)で触れた、
不立文字、
と矛盾しないのだろうか。結局、
教外別伝、
といいつつ、別の、
経典、
になっているような気がするのだが。
なお、「無門関」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473155387.html)については触れた。
(「古」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%A4より)
「古」(漢音コ、呉音ク)は、
象形。口印は頭、その上は冠か髪飾りで、まつってある祖先の頭蓋骨を描いたもの。克(重い頭をささえる)の字の上部と同じ。ひからびてかたい昔のものを意味する、
とある(漢字源)。別に、
「干」(盾たて)+「口」(神器)で、神器の上に盾をおいて神意を長持ちさせる意の会意(白川静)、
とする説(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%A4)、あるいは、
会意。口と、十(おおい)とから成り、何代も語り伝える昔のことの意を表す、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「固い兜(かぶと)」の象形から「固くなる・古い・いにしえ」を意味する「古」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji210.html)。
(「則」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%87より)
「則」(ソク)は、
会意。「刀+鼎(かなえ)の略形」。鼎にスープや肉を入れ、すぐそばにナイフをそえたさま。そばにくっついて離れない意を含む。即(そばにくっつく)と同じ。転じて、常によりそう法則の意となり、さらにAのあとすぐBがくっついておこる意をあらわす助詞となった、
とある(漢字源)。
会意。「貝(元は「鼎」)」と「刀」を合わせて、鼎かなえで煮物をする脇に取り分ける刃物を置き、場に「のっとる」こと。音は「即」等と共通(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%87)、
会意。刀と、鼎(てい 貝は誤り変わった形。かなえ)とから成り、かなえを供えた前で、犠牲の動物を切ることから、規定・模範の意を表す。借りて、助字「すなわち」の意に用いる(角川新字源)、
はほぼ同趣旨、別に、
会意文字です(貝+刂(刀))。「鼎」(かなえ-中国の土器)」の象形と「刀」の象形から、昔、鼎に刀で重要な法律を刻んだ事から「法律」、「法則」、「規則」を意味する「則」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji754.html)。
参考文献;
西村恵信訳『無門関』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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