肉身は地水火風空の五蘊、かりに和合して、実なる物にあらざるなり(奇異雑談集)、
とある、
五蘊(ごうん)、
は、
集まって肉体を形成する五つの要素、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、これでは何のことかわからない。
「中陰」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485912319.html)で触れたように、「五蘊」は、
五陰(ごおん)、
ともいい(「おん」は「陰」の呉音)、「蘊(うん)」(「陰(おん)」)は、
集まりの意味、
で、
サンスクリット語のスカンダskandhaの音訳、
である(精選版日本国語大辞典)。
五陰(ごおん)は、旧訳(くやく)、
とあり(広辞苑)、同じく、
五衆(ごしゆ)、
ともいう(大辞林)。
仏教では、いっさいの存在を五つのものの集まり、
と解釈し、生命的存在である「有情(うじよう)」を構成する要素を、
色蘊(しきうん 五根、五境など物質的なもののことで、人間についてみれば、身体ならびに環境にあたる)、
受蘊(じゅうん 対象に対して事物を感受する心の作用のこと)、
想蘊(そううん 対象に対して事物の像をとる表象作用のこと)、
行蘊(ぎょううん 対象に対する意志や記憶その他の心の作用のこと)、
識蘊(しきうん 具体的に対象をそれぞれ区別して認識作用のこと)、
の五つとし、この五つもまたそれぞれ集まりからなる、とする。いっさいを、
色―客観的なもの、
受・想・行・識―主観的なもの、
に分類する考え方である(日本大百科全書)。仏教では、あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って、すべての事物が成立している(ブリタニカ国際大百科事典)とする。
色蘊(rūpa)
には、
肉体を構成する五つの感覚器官(五根)、
と、
それら感覚器官の五つの対象(五境)、
と、
行為の潜在的な残気(無表色 むひようしき)、
とが含まれる(世界大百科事典)。また、
受蘊(vedanā)、
想蘊(saṃjñā)、
行蘊(saṃskāra)、
の三つの心作用は、
心王所有の法、
あるいは、
心所、
といわれ、
識蘊(vijñāna)、
は心自体のことであるから、
心王、
と呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。
仏教では、
あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って、すべての事物が成立している、
と考えているから、
五蘊仮和合、
五蘊皆空、
などと説かれる(仝上)。字典『祖庭事苑』(宋代)には、
變礙曰色、領納曰受、取像曰想、造作曰行、了知曰識、亦名五蘊、
とある。
(「五」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%94より)
「五」(ゴ)は、
指事。×は交差をあらわすしるし。五は「上下二線+×」で、二線が交差することを示す。片手の指で十を数えるとき、→の方向に数えて、五の数で←の方向に戻る。その転回点にあたる数を示す。また語(ゴ 話をかわす)、悟(ゴ 感覚が交差してはっと思い当たる)に含まれる、
とある。(漢字源)。互と同系(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%94)ともある。別に、
指事文字です。「上」・「下」の棒は天・地を指し、「×」は天・地に作用する5つの元素(火・水・木・金・土)を示します。この5つの元素から、「いつつ」を意味する「五」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji127.html)。
「蘊」(ウン)は、
会意兼形声。「艸+糸+音符温(ウン 中にこもる)の略体」、
とある。「積み貯える」意の、「蘊蓄」「余蘊」、「物事の奥底」の意の。「蘊奥(うんおう・うんのう)」等々と使う。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95